第43回「小説でもどうぞ」選外佳作 私の有意義な休日 稲尾れい


第43回結果発表
課 題
依存
※応募数367編
選外佳作
私の有意義な休日 稲尾れい
私の有意義な休日 稲尾れい
お昼にいつも行く定食屋で、いつもの日替わり定食が売り切れていた。
「何か、SNSでうちの日替わり定食を紹介してくれた人がいたみたいで」
顔馴染みの店長さんが嬉しさと申し訳なさ半々、という様子で声を掛けてきた。店内は今日の日替わりメニューのちらし寿司を前にしてはしゃいでいる人だらけ。この猛暑の中、元気なことだ。仕方ない、と頭では分かっていても、昼休みを想定通りに有意義に過ごせないことに猛烈な苛立ちを覚える。
ここに日参するのは、日替わり定食が美味しく安く職場から近い、とコスパもタイパも最高だからだ。あと、店長さんは若干好みのタイプだ。今日のところは二番目に好きな鮭ハラス定食でも、と一瞬思うも、ちらし寿司を見せつけられ気分が削がれたのでそのまま職場に戻ることにする。
有意義に過ごしたい、と私は常に思っている。職場では誰よりも多くの業務を誰よりも効率的に回すことが喜びだし、自分が職場の仕事を支えているんだ、と実感すると残業も楽しい。
通勤時間も無駄にしない。往復の電車では同業種の仲間たちのSNSをスマホでチェックしたり、お薦めされたビジネス書や自己啓発本を読んだり、それらへの感想を投稿したりと、実に意義ある時間を過ごしている。
「今年度、まだ一度も休んでないでしょ。もう八月も半ばなのに」
エナジードリンクで空腹をなだめながら午後の業務をこなしていると、上司に声を掛けられた。「はぁ、まぁ」曖昧に答える。
用事のない休日は苦手だ。何も有意義なことをせずに過ごすのがいたたまれなくて、働いている時以上に疲れてしまう。
「年に五日以上は有休を取ってもらわないと怒られちゃうから。まず今週中、一日休んで」
申請早めによろしくね、と念を押され渋々うなずく。仕方がない。休むからには有意義な休日にしよう。そう心に決め、エナジードリンクの残りを一気に飲み干した。
有休は早くも明日取ることになった。丁度お盆休み明けで職場に人員が足りているからだ。突然なのですべきことが思いつかない。電車を降り、駅前のスーパーに向かう。この時間には賞味期限が近いお惣菜の値引きが始まっている。これらのお惣菜と自宅の冷凍庫に常備しているご飯がいつもの夕食だ。食品ロスを防ぎ、自分で作る時間と手間も省ける。ご飯は大量に炊き、一食分ずつ分けて冷凍している。女の一人暮らしにはいささか不釣り合いに見える一升炊きの炊飯器は半年前、自分への三十歳の誕生日祝いにと奮発した。
帰宅後は浴室に直行する。湯船にゆっくり浸かった方が疲れが取れる、と言われるけれど、私は時間と手間と水道代を考えて一年中シャワーを使っている。今の季節は素早く汗を流せてさっぱりするし、真冬でも帰宅直後の体の温まっている状態なら寒くない。
食事をしつつ録画していた語学番組を見る。最近はすぐに眠くなるので、まだ見ていない回が随分溜まっている。明日は早起きして最新の回まで見よう、と決める。その後近所のカフェに行き、積読中のビジネス書や自己啓発本を読もう。休日の方針が決まり、安心して眠くなる。番組を止めて歯を磨き、スマホのアラームを早朝にセットして布団に潜り込んだ。
意識が戻った時、カーテンの下から目が痛くなるほどの白い元気な光が差し込んでいた。スマホの時計は十三時前を表示している。随分前にアラームを自ら切ったおぼろげな記憶がよみがえり、枕に顔を埋めた。初っ端から寝坊とは。苛立ちと自己嫌悪に襲われるけれど、いつまでも脱力してはいられない。何とか巻き返すべく外出の支度を始める。
バッグに本を詰め込み、近所のカフェに勇んで出掛けた。窓際の席に通され、注文したアイスコーヒーが届くと「さて」と意気込み、テーブルの上に重ねた本を一冊手に取る。
気付くと、読んでいたはずの本を顔の下に敷いてテーブルに突っ伏していた。顔の横では、半分飲んだアイスコーヒーが溶けた氷で薄まって恨めしそうだ。のろのろと顔を上げ、薄いコーヒーをストローで一気に飲み干すと、少し頭が冴えてきた。二度までも眠気に負けるとは。苛立ちを通り越してふて腐れた気持ちになる。私はもう一杯アイスコーヒーを頼んだ。けれどもう本を開く気にはなれず、ただぼんやり座ってコーヒーを飲んだ。お店の軒先に幾つか吊られていた南部鉄の風鈴が、昼下がりの微風に吹かれて涼しい音を立てるのが窓越しに聞こえた。
翌日の昼、いつもの定食屋で日替わり定食を注文すると「一昨日はごめんなさいね」と店長さんが今日の日替わりメニューの焼サバ混ぜご飯を少し大盛りにして出してくれた。
「嬉しいです。昨日も有休消化で、食べに来られなかったから」ご飯に手を合わせ、勢いで思わず喋り過ぎてしまう。「寝坊して、読書しながら寝落ちして、ぼーっと風鈴の音を聞いてました」
休みの日を無為に過ごしてしまった、という自嘲のつもりだった。けれど店長さんはニッと笑って言った。
「良いですね。それって最高に有意義な休日だ」
(了)