第43回「小説でもどうぞ」選外佳作 ラーメンを食べにいくのだ! 水田洋


第43回結果発表
課 題
依存
※応募数367編
選外佳作
ラーメンを食べにいくのだ! 水田洋
ラーメンを食べにいくのだ! 水田洋
今日は無性に腹が立っていた。午後、全く仕事にならなかったのだ。原因はアホ部長だ。いつものように発注者の無茶な注文を俺たちに押し付けてくる。部下の俺たちは猛反発した。なだめ、すかし、脅して俺たちにいうことを聞かせようとする部長。全く歩み寄りがなく、午後の時間が流れていった。定時の午後六時になると、押し切られそうになった部長は「もう少し君たちが頭を冷やしてからじゃないと話にならないな!」と捨て台詞を残して帰りやがった。それで怒りが止まらなくなったわけだ。
俺はこんなとき、どうしようもなくこってりとしたとんこつラーメンが食べたくなる。ハッキリいって俺は脂っこいラーメンの依存症だ。学生の頃からそうだった。物の弾みで身の丈に合わない高偏差値の大学に入学できた俺は、毎日、自分より優秀な同級生に劣等感を持ち、そのストレスのはけ口をラーメンに求めた。毎日ラーメンを食べ続けた俺は、何らかのストレスを感じるとラーメンを食べずにはいられない体になった。今日みたいな日は何が何でもラーメンを食べに行くのだ。
帰宅途中の水野口駅にあるラーメン浜口屋。あそこしかない。中国出身で学生時代に福岡のラーメン屋でバイトをしていたというご主人が作る濃味のとんこつスープが絡みついた細麺とホロホロのチャーシュー。たっぷりの紅ショウガを乗せよう。生ビールも付けよう。
でも部長と違い、俺は定時には帰れなかった。部長とのケンカで時間を浪費してしまった俺は、今日片付けないといけない仕事をほとんど進めることができなかったのだ。残業し、何とか仕事を片付けたときは午後八時になっていた。
まだ大丈夫。会社から水野口駅まで三十分。水野口駅から浜口山では歩いて五分。浜口屋の閉店時間は午後十時だ。
だが、ここから苦難が続いた。
会社の最寄り駅に入ろうとすると、大きなスーツケースを引っ張る白人のカップルに英語で話しかけられた。今夜、予約したホテルの場所がわからないらしい。彫りの深い顔立ちをしている俺は街を歩くと外人に道を聞かれることが多い。たどたどしい英語で道を教えるが、不安そうな顔をしている。しょうがないからホテルまで案内してやった。「ドーモアリガト!」と笑顔で握手していい気持ちで別れたが、三十分以上ロスした。
まだ大丈夫。
電車では隣にでかい男が座った。しばらくすると、この男の様子がおかしい。顔色が青く、額に大粒の脂汗。明らかに呼吸が荒い。
「大丈夫ですか?」
大男は気を失った。異変に気付いた他の客が車内のSOSボタンを押して駅の人に報告してくれた。次の駅で電車が止まり、駅職員が乗り込んできたが、見るからに非力そうな男で、とてもこの巨体を運べそうにない。
「手伝ってもらえますか?」
ラーメンの食い過ぎによる肥満化を恐れて激しいエクササイズを日課としている俺は、筋骨隆々でたくましく見える。時間がないが仕方がない。俺は男を担いでホームに出た。駆け付けた救護班が大男を担架に乗せて運び去った後、駅員のひ弱男は「どうもありがとうございました!」と笑顔で握手してくれた。気持ちはいいが、ここでも三十分以上ロスした。さすがに焦ってきた。
水野口駅に着いた。慌てて浜口屋に向かう。街灯に照らされた浜口屋の看板が見えた。やった!と思ったら、「ナニヨ! アナタタチ、ヤメテヨ!」女の叫ぶ声が聞こえた。あのしゃべり方は中国系だな。声の方を見ると、若い女が五人の男に囲まれていた。下品な笑みを顔に浮かべ、聞くに堪えない卑猥な言葉を口から垂れ流しながら男の一人が女の手首をつかんで自分の胸に引き寄せた。ラーメンを食べに行きたいのに。
「ハナセ! ヘンタイ!」
「おい、その汚い手を放せ、このくそ野郎」
思わず言葉が出る。一瞬で危険な目になる男たち。女の手首をつかんだ男が、俺の襟首を締め上げる。次の瞬間、男の手首をひねりあげて、投げ飛ばしていた。一斉にとびかかってくる男たち。一人を殴り飛ばすが、後ろから蹴られる。負けそうだ。その時、「オマワリサン! アソコデス!」さっきの女が警察を連れてきてくれた。男たちはいっせいに逃げた。警察は無線で応援を呼んだ。
「コノヒト、ワルクナイヨ! ワタシ、タスケテクレタ!」
女が説明してくれたおかげで、俺はその場で職務質問に応じ、名刺を渡しただけで解放してもらえた。
「アリガト、タスケテクレテ」
口角に血が滲む俺に「ダイジョウブ?」と女が声をかけてくれたが、もう時間がない。時計を確認する時間も惜しい。あと何分だ?走った俺が浜口屋の前にたどり着くと、「本日閉店」の札。膝から力が抜けてへたり込む。部長の顔が頭に浮かんで、腸が煮えくり返ってきた。この思いをどうしたらいいんだ?
「ナニ? アナタ、ラーメンタベタイ?」
女は何のためらいもなく浜口屋の戸を開けて中に入っていく。店の主人と中国語で話した後、「イイヨ」と俺を呼んだ。どうやら浜口屋のご主人の姪っ子で、日本語を勉強しに留学してきたらしい。
「李華を助けてくれたんだって? お客さん、よく来てくれる人だよね。どうもありがと」
俺は念願のこってりとんこつラーメンをすすりながら、部長への恨みを流し去った。
「コレ、サービス」
女がビールの中ジョッキを置いてくれた。
(了)