第7回「小説でもどうぞ」選外佳作 見知らぬ男/川野石
第7回結果発表
課 題
写真
※応募数327編
選外佳作「見知らぬ男」川野石
私は、目の前に座る女の子の顔をくまなく観察し、夫の面影を探している。二十歳くらいだろうか、化粧が濃すぎて素顔がよくわからない彼女の、眉、目、鼻、口、耳、顎……ひとつひとつのパーツを、丹念に見ていく。
頬を上気させ、まるで罪人を責めるかのような激しい口調で言葉を吐き出す彼女の顔に、私が見知った部分は、今のところひとつも見つかっていない。
日曜日の昼下がり、庭の土いじりをしている時に、彼女は何の前触れもなく、我が家を訪ねてきたのだった。彼女は夫が家にいるかどうかを確認し、不在を告げる私に、「私は実の娘です」と、挑戦的な目をして言った。胸をどろんと重くする、黒ずんだ油のような一言だった。
女の子は、夫が帰るまで待つと言った。その意志が強固なものだったので、私は彼女を家に上げざるを得なかった。彼女をリビングのソファに座らせ、台所に立った。紅茶とお菓子をお盆に乗せて戻ってくると、一通り部屋を鑑定した後らしく、「パパは、いい家に住んでるんですね」と彼女は、私の目を見据えて吐き捨てるように言った。それから、いかに自分と母親が、お金に困った貧しく辛い生活をしてきたかを話し始めたのだった。
この女の子は、本当に夫の実子なのだろうか。私は半分、疑っている。しかし、もう半分は、そうかもしれない、と思っている。私は、夫の過去を知らないのだ。
十年前、夫は生活保護受給者で、ぼろぼろのアパートに住んでいた。私は銀行勤めのキャリアウーマンで、裕福な暮らしをしてはいたが、心は擦り切れて悲鳴を上げていた。私たちは、アルコール依存症の会で知り合った。ふたりとも三十五歳の同い年だったが、その会の中では夫の方がだいぶん先輩だった。
夫は我慢の限界という段階で、一度あらゆるものから逃げ出したという。しかし、過去がどこまでも追ってきて自分を苦しめるから、もう、死ぬしかなかったのだと。そして山に入って木に掛けたロープで首を吊った。だがブラックアウトした後にロープが切れて、死にきれなかった。自殺に失敗した後、廃人同様になった夫は、精神病院に出たり入ったりしながら、季節もわからないような年月をただただ繰り返した。そして私と出会い、ふたりでもう一度生きようと決めた。
その頃には夫の目は、何度も漂白剤を入れて洗ったシーツのように、真っさらに澄み切っていた。私が冗談めかして、「首吊り自殺って、命の洗濯ができるの? だったら私も一度試してみようか」と言ったくらいだ。私自身、いつまでも過去に縛られて、身動きできないでいたから。夫は、「やめとけ、本当に死んでしまうよ」とただ笑っていた。
夫が「俺は子供の頃、写真家になりたかったんだ」と言った時、「今からなればいいわ」と背中を押したのは私だ。夫の澄んだ目で見ている世界を、私も見てみたかった。
それから夫を支えることが、私の生きがいになった。ふたりで苦楽を共にするうちに、私の過去も漂白されていった。いい子でいないと愛してくれない母のことも、勉強ができないと愛してくれない父のことも、ほとんどかすんで見えなくなってしまった。
「あなた、私のこと信じてないんでしょう!」
女の子が鋭くとがる声で私を刺した。我に返った私に、彼女は畳みかけるように言った。
「有名な写真家になったって、過去は消えないんですよ。離婚して消息不明になって、このまま逃げ果せるなんて大間違いですからね。ちゃんと責任取ってもらわないと」
嫌な言い方だ。彼女を操っている背後の存在を感じた。嫌な女。本当に夫が、この女の子の母親と結婚していたことがあるのか――。
女の子はバックの中から手帳を取り出し、そこに挟んであった古い写真を、テーブルの上に叩きつけるようにして置いた。証拠、とでも言いたげに。私はそっと写真を手に取った。公園で撮られたらしき家族写真。父親と母親と、五歳くらいの女の子が写っている。この写真によって、女の子が私の夫の、血のつながった娘であることは証明された。写真に写る父親の、目、鼻、口、顔の形などが夫の特徴と同じだったからだ。
と同時に、写真の中の彼は、どこもかしこも私の夫ではなかった。母親と同じくらい明るい茶色い髪の毛で、片耳にピアスをしている二十五、六歳くらいの男。何かを隠すように、軽薄そうに笑っている。こんな顔を、私は知らない。こんな顔して生きていたら、そりゃあ、そのうち限界がくるはずだわ。
ふっと笑った私を、けげんそうに見守る女の子の様子が、目の端でうかがい知れた。私には、もう迷いはなかった。写真を置き、女の子の目を見ながらはっきりと言った。
「これ、私の夫ではないです。人違いですよ。お引き取り下さい」
(了)
頬を上気させ、まるで罪人を責めるかのような激しい口調で言葉を吐き出す彼女の顔に、私が見知った部分は、今のところひとつも見つかっていない。
日曜日の昼下がり、庭の土いじりをしている時に、彼女は何の前触れもなく、我が家を訪ねてきたのだった。彼女は夫が家にいるかどうかを確認し、不在を告げる私に、「私は実の娘です」と、挑戦的な目をして言った。胸をどろんと重くする、黒ずんだ油のような一言だった。
女の子は、夫が帰るまで待つと言った。その意志が強固なものだったので、私は彼女を家に上げざるを得なかった。彼女をリビングのソファに座らせ、台所に立った。紅茶とお菓子をお盆に乗せて戻ってくると、一通り部屋を鑑定した後らしく、「パパは、いい家に住んでるんですね」と彼女は、私の目を見据えて吐き捨てるように言った。それから、いかに自分と母親が、お金に困った貧しく辛い生活をしてきたかを話し始めたのだった。
この女の子は、本当に夫の実子なのだろうか。私は半分、疑っている。しかし、もう半分は、そうかもしれない、と思っている。私は、夫の過去を知らないのだ。
十年前、夫は生活保護受給者で、ぼろぼろのアパートに住んでいた。私は銀行勤めのキャリアウーマンで、裕福な暮らしをしてはいたが、心は擦り切れて悲鳴を上げていた。私たちは、アルコール依存症の会で知り合った。ふたりとも三十五歳の同い年だったが、その会の中では夫の方がだいぶん先輩だった。
夫は我慢の限界という段階で、一度あらゆるものから逃げ出したという。しかし、過去がどこまでも追ってきて自分を苦しめるから、もう、死ぬしかなかったのだと。そして山に入って木に掛けたロープで首を吊った。だがブラックアウトした後にロープが切れて、死にきれなかった。自殺に失敗した後、廃人同様になった夫は、精神病院に出たり入ったりしながら、季節もわからないような年月をただただ繰り返した。そして私と出会い、ふたりでもう一度生きようと決めた。
その頃には夫の目は、何度も漂白剤を入れて洗ったシーツのように、真っさらに澄み切っていた。私が冗談めかして、「首吊り自殺って、命の洗濯ができるの? だったら私も一度試してみようか」と言ったくらいだ。私自身、いつまでも過去に縛られて、身動きできないでいたから。夫は、「やめとけ、本当に死んでしまうよ」とただ笑っていた。
夫が「俺は子供の頃、写真家になりたかったんだ」と言った時、「今からなればいいわ」と背中を押したのは私だ。夫の澄んだ目で見ている世界を、私も見てみたかった。
それから夫を支えることが、私の生きがいになった。ふたりで苦楽を共にするうちに、私の過去も漂白されていった。いい子でいないと愛してくれない母のことも、勉強ができないと愛してくれない父のことも、ほとんどかすんで見えなくなってしまった。
「あなた、私のこと信じてないんでしょう!」
女の子が鋭くとがる声で私を刺した。我に返った私に、彼女は畳みかけるように言った。
「有名な写真家になったって、過去は消えないんですよ。離婚して消息不明になって、このまま逃げ果せるなんて大間違いですからね。ちゃんと責任取ってもらわないと」
嫌な言い方だ。彼女を操っている背後の存在を感じた。嫌な女。本当に夫が、この女の子の母親と結婚していたことがあるのか――。
女の子はバックの中から手帳を取り出し、そこに挟んであった古い写真を、テーブルの上に叩きつけるようにして置いた。証拠、とでも言いたげに。私はそっと写真を手に取った。公園で撮られたらしき家族写真。父親と母親と、五歳くらいの女の子が写っている。この写真によって、女の子が私の夫の、血のつながった娘であることは証明された。写真に写る父親の、目、鼻、口、顔の形などが夫の特徴と同じだったからだ。
と同時に、写真の中の彼は、どこもかしこも私の夫ではなかった。母親と同じくらい明るい茶色い髪の毛で、片耳にピアスをしている二十五、六歳くらいの男。何かを隠すように、軽薄そうに笑っている。こんな顔を、私は知らない。こんな顔して生きていたら、そりゃあ、そのうち限界がくるはずだわ。
ふっと笑った私を、けげんそうに見守る女の子の様子が、目の端でうかがい知れた。私には、もう迷いはなかった。写真を置き、女の子の目を見ながらはっきりと言った。
「これ、私の夫ではないです。人違いですよ。お引き取り下さい」
(了)