公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第5回「小説でもどうぞ」佳作 父の年末ジャンボ/山本岬

タグ
作文・エッセイ
投稿する
小説でもどうぞ
第5回結果発表
課 題

賭け

※応募数242編
「父の年末ジャンボ」山本岬
 生真面目な性格の父は、普段は一切ギャンブルをしない人だったが年末ジャンボだけは唯一欠かさず毎年買った。
 父はよく「ギャンブルで一攫千金を狙うのは馬鹿げている」と言った。賭け事で儲けるのは結局胴元だけ。そんなところに夢をみるのはナンセンス。働いてコツコツ稼ぐほうが結果的に効率が良いというのが持論だった。
 なんでも父の父親つまり私の祖父は、週末はオートレース、合間にパチンコ三昧でいろんな所に借金をしていたらしい。一つ一つは小額だったようだが、ときどき父のところにまで催促が来て、言われるままに返していたようだ。その父親つまり私の曽祖父は、詳しくはわからないが土地や不動産、株などを扱う人で亡くなったときにはまあまあまとまった額の借金を残した。
 その成果父はオートレース、パチンコはもちろん、競馬、競輪、株には一切手を出さず、借金と言えば家の櫓ーンだけだった。そんな父が年末ジャンボにだけ一攫千金を夢を夢見るというのは不思議な気がした。
 十二月になると宝くじ三〇枚を居間のテレビ画面の左下の隅に立て掛けた。家族がテレビを見る邪魔になるのはお構いなし。まるで願掛けでもしているかのようにうやうやしく置かれていたものだ。
 大晦日に当選番号が発表されると、当選番号と宝くじを一枚ずつ見比べながら「当たらないね」と言うと末尾一ケタの当たり券を換金してもらうため、三〇枚全部を仕事用の鞄に入れて年末の行事が完了した。
 ところが、ある年の大晦日、例年のように宝くじの当選番号を見ていた父の手が止まり何も言わなくなったことがあった。
 母も私も、正月の準備をしている最中だったが、私にはテレビの前に座った父が一瞬だけ宙に浮き上がったように見えた。
 いつものように宝くじを鞄にしまうと、いつの間にか棚から取り出したウイスキーを少しだけ飲んでから、そのままこたつで眠ってしまった。コップにはまだウイスキーが残っていた。
 年越しそばを食べる間、私は父に宝くじのことを聞きたかったが何となく言い出しにくい空気が漂っていた。母も聞かなかった。
 あの父の反応は絶対に当たっていたに違いない。いくら?何に使うつもりだろう?私にはくれないの?いろんなことが頭の中を巡ってテレビにも集中できない。十分夜更かししたのに、なかなか寝付けなかった。中学生の私は、父が眠っている間にこっそり鞄を開けて当たりかどうか確かめたい気分だった。
 翌日、元旦の朝、父はいなくなっていた。
 母と二人でお雑煮を食べながら「お父さんは?」と聞くと、母は「さあ、初詣かね?」と言った。「えっ、なんで?どうしたの?」こんなことは今まで一度もなかった。
「うーん、朝一人で出かけたのよ。お母さんもよくわからない。なんだろうね」
 母は本当に知らないようだったが、そのわりに落ち着いているのがかえって変だった。
 その晩になっても父は帰らなかった。
 警察に捜索願いを出したほうがいいんじゃないか?母の様子をうかがったが、母はテレビを見て笑ったり、居眠りをしたり、まるで父がいるときと変わらない正月を過ごしているように見えてイライラした。
 次の日も、私と母でお雑煮を食べ、初詣に行き、母方の祖父母のところにお年賀に行った。正月の行事を淡々とこなした。
 その晩になっても父は帰らなかった。
「お母さん、警察に行こうよ」私はついに言った。「そうねえ」母はちょっと考えてから「明日の朝行こうか」と言った。「それで大丈夫?なんか事件に巻き込まれてたらどうするの?」私が言うと「そうね、まあ、大丈夫でしょ」と母は冷静に答えた。不安しかなかったが、次の日まで待つしかなかった。
 一月三日の朝、父は帰ってきた。
「じいさんの墓に参ってきた」と言ってお供え物にしたらしいお菓子を持っていた。母は「はい」と言って受け取ったきり、何も言わなかった。二人の間に、私が何かを聞くのは憚られる雰囲気があって、結局何も聞けなかった。ただ、父が無事に帰ってきてホッとした。
 その年以来、父は年末ジャンボを買わなくなった。その後、我が家の暮らし向きが良くなったわけでもなく、私のお小遣いが増えたわけでもなかったが年末の儀式は静かに終わりとなった。
 あの年の正月、何があったのか大人になった今も聞けず仕舞いだ。私の想像では、父は年末ジャンボ三〇枚に何かを賭けていたのだと思う。そして、おそらく勝ち抜けてそれを清算したに違いない。勝ってよかったね。宝くじなんて勝率最低の賭けに挑むなんて無茶だけど。私なら別のものに賭けるよ。
(了)