鮎川哲也賞
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SFで新人賞を射止める
今回は、第26回の鮎川哲也賞受賞作『ジェリーフィッシュは凍らない』(市川憂人)について論じる。以前に取り上げた『屍人荘の殺人』(今村昌弘)の前年の受賞作である。
なぜ、わざわざ古い作品を取り上げるのかというと、これがSFだからである。
現在、SFは全く、ほとんど壊滅的に売れていないので、SFと見ただけで、内容の出来不出来に無関係に、一次選考で落とされる新人賞が、いくつか存在する。
もちろん、表立って応募規定に明記されているわけではないが。
しかし、一部のアマチュアの中には、SFが大好きで「できることなら、SFで新人賞を射止めたい」と希望している人間が一定数、存在する。
現在、明らかに「SFでもOK」としている新人賞は、ライトノベルだけである。
ところが、ライトノベルは、これまた応募要項には書かれていないが、30歳を越えると(版元によっては、35歳)「若い人の感性が解るわけがない」と読まずに落とすと、小耳に挟んでいる。
「SFで新人賞を射止めたい」と希望しているアマチュアは、新人賞を射止めないままに歳を重ねて、35歳のボーダーラインを突破してしまう事例が多い。
『ジェリーフィッシュは凍らない』の作者の市川憂人も、受賞時点でジャスト40歳である。
ライトノベル系新人賞に応募しても、見えざる年齢制限に引っ掛かって落とされそうなSFマニアの書き手が唯一、狙えるのが「SF本格ミステリー」それも「SF密室トリック殺人事件ミステリー」である。
これは、密室殺人事件が大好きなミステリー・ファンが読む。このファン層は常に一定数が存在している。
現在、新人賞受賞者がプロ作家になって文壇で生き延びる、いわゆる“生存率”が最も高いのが鮎川哲也賞であるが、根強い“密室殺人事件ファン”がいるからに他ならない。
グランプリを射止めずとも、鮎川哲也賞の最終候補にノミネートされただけで、人気作家になって生き延びている作家が何人も実在する。
例えば第2回の最終候補に『琥珀の城の殺人』でノミネートされた篠田真由美は『ウィキペディア』を読めば一目瞭然、単著だけで70冊以上の著作を送り出している。
人気の凋落に伴い、2009年に募集が停止された新人賞だが、日本SF新人賞の第1回の受賞作『M.G.H. 楽園の鏡像』(三雲岳斗)も宇宙ステーションを舞台にした「密室殺人事件ミステリー」である。
篠田真由美ほどではないが、三雲岳斗も文壇で、しぶとく生き延びている。
要注意のキーポイント
さて、話を『ジェリーフィッシュは凍らない』に戻そう。これはSF的にはパラレル・ワールド物である。
物語の舞台は1983年のアメリカであるが、アメリカとは出てこない。アメリカは「U国」日本は「J国」カナダは「C国」メキシコは「M国」ソ連は「S国」という仮名である。
またアリゾナは「A州」と、アリゾナ州都のフェニックスは「F」と書かれ、密室殺人事件の捜査に取り組む刑事は、A州F署刑事課のマリア・ソールズベリー警部で、その部下で刑事側の狂言回し役を務める九条漣刑事が「J国人」と書かれている。
いくら現実世界ではなく、パラレル・ワールドに舞台を置いているからといって、この手法は、どうかと首を捻る。
「この物語はパラレル・ワールドを舞台としています」と最初に銘打てば良いだけの話で、ここまで明確な地名を仮名にする必要は、どこにもない。
選考委員の北村薫は、選評の中で「読み始めた時には《U国・C国・S国・R国》といった書き方に、抵抗を感じた」と書いている。
ここは要注意のキーポイントである。
鮎川哲也賞は応募作品数が少なく、「前代未聞の密室トリック」が“売り”なので、予選委員もきっちり最後まで読んでくれる。
しかし、応募作品数が多い新人賞で、一次選考で、「仮名で書かれるとリアリティが感じられない」と考える選考委員にぶつかったら、読まずに落とされる危険性が存在する。
また『ジェリーフィッシュは凍らない』は、時系列が頻繁に行ったり来たりする。
墜落した《ジェリーフィッシュ》という名称の飛行船の中で起きた密室殺人事件、それもアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』的な全員殺人事件を捜査するA州F署のマリア警部、および九条刑事の立場と、連続殺人事件が起きる前の、あるいは連続殺人事件が“現在進行中”の飛行船内の奇怪なエピソードとが交互に描かれる。
こういう“時系列崩し”も嫌う選考委員が多いから、要注意である。
この2つの要注意点に留意しつつ『ジェリーフィッシュは凍らない』を読めば、SF密室殺人事件で新人賞を狙うアマチュアには参考になるはずである。
まあ、犯人は一種の“報復殺人”に成功するわけだが、その成功の過程には、かなりご都合主義の展開が散見される。
これは、新人賞を狙うレベルのアマチュアなら容易に気づけるだろう。
ここまで入り組んだトリックの計画殺人を成功させるには、どうしたって、ある程度は犯人にとって好都合なご都合主義は致し方ないが、それは可能な限り少なく抑えなければならない。
これは、最も重要度は低いが、3つめの留意点である。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。