りんごの皮
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りんごの皮
桜川のの
「クマよけ鈴々をもらってきたよーっ」
学校から帰るやいなや、ジュンは、ランドセルにつけた鈴を鳴らしながら叫んだ。
お母さんは、
「よかったねえ。今日のおやつはアップルパイだよ。手作りなんだけど、おいしいかな」
と言って、パイと紅茶を出してくれた。
ジュンは、いただきますも言わずにかぶりつくと、
「この頃、里にクマが来てるんだって。学校の周りでも目撃した人がいるらしいよ。だから、鈴をつけて歩きなさいって。でも、それだけで安心してはだめだって、プリントも渡されたんだ」
とまくしたてた。
紅茶を流し込むと、ジュンは「クマ注意!」のお知らせを出した。そしてパイを食べ終えるとすぐ、
「アキラ君の家に行ってくるから」
と言って、とびだしていった。
テーブルの上にはプリントが一枚。「クマ くま 熊 BEAR 注意!」という大きなタイトルが目立つ。クマの目撃情報やクマの習性などが記され、充分注意するようにと書いてあった。
午後四時半ごろ、ジュンは帰ってきた。北国の十月は日暮れが早い。逢魔ヶ時の薄暗さのなか、泥だらけのシューズを脱ごうと庭にまわると、生ごみ入れのポリバケツが物置のそばにあった。
(あれっ、いつもは勝手口の外に置いてるんじゃなかったかな)
と思ったが、特に気にも留めず、物置から洗ってあるシューズを取り出した。
その夜、ジュンがお風呂に入っていると、ガタゴト音が聞こえた。風が出てきたのかなと思いながら湯船につかっていると、何かが倒れるような音がした。物置小屋が揺れる音とは違う。窓を少し開けてみると、小屋の方で黒くて、丸っこいものが、せわしなく動いている。まるで生ごみをあさっているようだ。
(えっ! もしかしてクマ!)
ジュンはあわてて窓を閉め、湯船の中に勢いよくもぐった。
次の日、学校に行く前、庭にまわってみるとポリバケツが横倒しになっていて、少し離れたところにふたが転がっていた。ところどころに生ごみが散らばっている。りんごの皮もまじっている。
(クマとは限らないよな)
教室では、クマの話で盛り上がっていた。
夕べ、ルイ君の家にもやってきたらしい。
「おすもうさんくらいもあるクマが、ポリバケツに頭を突っ込んでむしゃむしゃ食べてるんだぜ。すごい迫力だったよ。見たことある人いるかい? たぶん僕だけだと思うよ」
と自慢話が続いている。「おおー」という歓声にカチンときたジュンは、思わず叫んだ。
「俺だって見たよ。俺んちのは子グマだったけどさ。うちのお母さんはアップルパイに使ったりんごの皮をクマのために取っておいたんだぜ。しかも、クマが食べやすいように生ごみ用のポリバケツを庭の端っこに置いて。さらに、バケツのふたまではずしやすいようにしてさ」
すると、
「やさしい!」「すごいね!」「動物愛!」
というつぶやきが女子軍団から聞こえてきたので、ジュンは鼻高々だった。
ところが、誰が言いつけたのか、担任の耳にも入り、こっぴどく注意された。家にも電話があり、「クマを近づけるようなことは決してしないように」と厳重に申し渡された。
噂はあっという間に広がり、ジュンと母親は、「みんなが恐れているクマを助けている厄介者」にされてしまった。学校では、ジュンの姿を見るとヒソヒソ。スーパーでは、お母さんを見かけるとソソクサ。
お父さんの情報では、どうやら、今度の日曜日、猟友会が山に入って、クマ狩りをするらしい。
お母さんは、
「ジュン、知ってたのね。ごめんね。もう、えさはあげないことにするからね」
と言った。なんとなくさみしそうだ。その晩、バケツをひっくり返したり、なめたりしている子グマのほうに向かって、
「ごめんね。もう、えさはあげられないんだよ。山へお逃げ」
と話しかけていた。
日曜日。猟友会のメンバー三人と市役所の担当者二人が山へ向かった。猟銃の音が空高く響き渡り、里まで聞こえてきた。
何日か過ぎてから、お父さんがジュンに話してくれた。
「お母さんが子どもの頃、近所で、少しの間、子グマを飼っていたそうなんだ。親グマとはぐれて鳴いているところを見つけたんだって。すごくかわいいので、お母さんは毎日見に行ったらしいよ。すぐに山に戻されたそうだけど、そのときのことがきっと心に残っているんだと思うよ」
お母さんのしたことが、クマにとっていいことなのかいけないことなのか、ジュンにはわからなかった。でも、あんなことしなければよかったんだと自分のした軽率な行動をずっと後悔していた。
(せめて、お母さんにあやまろう)
そう決心したジュンの目に、白い山がまぶしく映った。