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短いからこそ見えてくる?「短歌とジェンダー」

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川柳・俳句・短歌・詩
短歌
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Kouboの連載「あなたとよむ短歌」を担当している柴田葵です。歌集『母の愛、僕のラブ』(書肆侃侃房)などを出版している、現代短歌の歌人です。今回は「ジェンダー」という切り口から、短歌について考えてみました。

57577の31音で一首が構成される短歌。短いからこそ「どんな言葉を選ぶか」が、作品に大きな影響を与えます。この読み物は、「ジェンダー」という言葉を知らなくても、短歌やジェンダーを「難しそうだな」と思う人でも大丈夫です。一緒に考えるきっかけにしてみませんか? 他のジャンルの創作や、日頃の会話にも役立つことがあるかもしれません。

 

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■柴田 葵
1982年、神奈川県生まれ。元銀行員、現在はライター。「NHK短歌」や雑誌ダ・ヴィンチ「短歌ください」、短歌×写真のフリーペーパー「うたらば」への投稿を経て、育児クラスタ短歌サークル「いくらたん」、詩・俳句・短歌同人「Qai(クヮイ)」に参加。第6回現代短歌社賞候補。第2回石井僚一短歌賞次席「ぺらぺらなおでん」。第1回笹井宏之賞大賞「母の愛、僕のラブ」。Kouboにてあなたとよむ短歌を連載中。

 

※掲載している情報は過去のものの場合があります。今年度の開催状況は、主催者サイトを随時ご確認ください。

 

そもそも「ジェンダー」とは?

ジェンダー(gender)は、社会的性別とも訳されます。ほとんどの人は出生時に生物学的な性別が判定され、戸籍などにも登録されるわけですが、生まれた瞬間に自分自身を男児だ、女児だ、と認識している赤ちゃんはいません。

けれども、成長とともに人間は自らの、そして他者の性別を認識していきます。これは私の感覚ですが、もしかしたら身体的な性別の違いよりも先に、幼い子どもはジェンダーを認識するのではないでしょうか。

たとえば、男児・女児「らしい」名前をつけられる人もいるかもしれません。「らしい」色やデザインの服、髪型、アニメ、おもちゃ。たとえ自分自身がそうしたものを与えられなくても、保育園や幼稚園にいき、自分の保護者以外と交流を持つことで、社会や文化が形成した、性別ごとの役割・規範を認識していきます。そのように人間が後天的に獲得していった性別の認識がジェンダーです。

女性は、そして男性はこうあるべきだ、というジェンダー規範は、時に個人の意思や自由、権利を邪魔します。人権よりもジェンダー規範が上位にくるわけがありません。しかし、社会に根づいた常識は瞬時に覆るものでもありません。疑問を呈する声や運動によって議論が発生し、そして変化していきます。

たとえば、男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年です。私が生まれたのが1982年なので、そのあとです。そんなに大昔じゃありません。育児休業法の成立は1991年です。ジェンダー認識はこの数十年で大きく変化したため、現在の高齢者世代と10代の若者世代とで認識が異なるのも当然でしょう。

ジェンダーで読む短歌

短歌は一首が約31音と、とても短い形式の文芸です。少し短めの一文程度です。その短さのなかに必要な情報をどう盛り込み、どう表現するかが面白さでもあります。読者は31音の情報から、状況や心情を想像(読解)することになります。

そうなると、言葉の辞書的な意味だけでなく、人々に共通する常識や語の持つ雰囲気も積極的に活かしていく必要があります。たとえば、俵万智さんの初期の作品のうちでも特に有名な一首を読んでみましょう。

嫁さんになれよだなんて缶チューハイ二本で言ってしまっていいの

(俵万智)

1987年に出版された歌集『サラダ記念日』に収録されている短歌ですが、歌集のなかでも「野球ゲーム」という連作(短歌を何首かまとめて一連とした作品形式)のうちの一首です。この連作「野球ゲーム」は、第31回角川短歌賞(1985年)で次席になった作品です。俵万智さんも短歌の新人賞に応募されていた時代があり、現代口語短歌を開拓する気鋭の新人として注目されました。

この一首に登場人物は二人います。短歌の主体(視点となっている人物)Aと、会話している相手Bです。Bは「嫁さんになれよ」とAに言っています。「嫁さん」という言葉から、Bは男性でAは女性だと読解できます。

また、「なれよ」という乱暴でぶっきらぼうな「男言葉」なので、Bは男性であることがより明確になります。対するAも、「言ってしまっていいの」と思っています。「言ってしまいやがって」などよりは女性らしい言葉遣い、つまり「女言葉」ですね。以上から、これは(Bは酔っているとはいえ)プロポーズで、AとBは男女カップルであることがわかります。

でも、本当にそうでしょうか?

たとえば、この読解のなかに出てくる「男言葉」「女言葉」というのは、揺るがない概念でしょうか?