黒猫キッキは固まるニャン
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黒猫キッキは
固まるニャン
白鳥樹一郎
ぼくは、町田幸二、青葉小学校の三年生だ。
五月のある日の夕暮れ、ぼくは一人で、あかしや公園を散歩していた。
そいつを見つけたのは、つつじの木が二本並んで立っている所まで来たときだ。真っ白なつつじの花の下に、黒くてもじゃもじゃしたかたまりが落ちていた。
そっと近づいてみると、それは、小さくてやせてて、真っ黒な子猫だった。瞳の周りが白いだけで、あとは本当に真っ黒だ。両手ですくい上げると、鳴き声も出さずに小刻みに震えている。目を閉じたままだ。
前足で顔を何回かなでた後、子猫は目を開けた。そして、ぼくと目が合うともうれつに暴れはじめて、ぼくの手にかみついた。
「いてっ」
子猫は、ぼくの手を離れて、一回転して地面にうずくまった。
両手ですくいあげて、ぎゅっと抱きしめてあげると、今度は暴れるのをやめて、ぼくの手を舐めはじめた。
顔をあげてぼくを見つめる子猫の黒い瞳が、一瞬だけど金色に光った。
「きっと、ぼくに会うためにここにいたんだよね」
黒猫キッキは、その日から、家族の一員になったんだ。
キッキと出会って、ちょうど一カ月が過ぎた日の帰りの会で、久美先生が話し始めた。
僕たち三年一組の担任は、遠藤久美先生。一年生からの持ち上がり。何でも話せるとてもやさしい先生だ。
でも、久美先生が、その日、鬼になった。
「来月の火曜日の全校朝会は、三年生の歌の発表なの。それから、歌の紹介は、町田幸二さんにしてもらいます」
「えー。ぼく?」
「あらあらあら、幸二さん。今までで、みんなの前で話したことがないのは、三十三人の中で、幸二さんだけなのよ。いいチャンスだから、しっかりがんばってね」
「でも、でも。ぼく……」
ぼくは、朝の会で、何度も一分間スピーチに挑戦した。自分の周りで起こったことを一分間で発表するんだけど、文章ではいくらでも書けるんだ。でも、みんなの前に立つともうだめだ。両手が震える。首筋が汗でぐたぐたになって、何も言えなくなる。体が固まって動けなくなってしまうんだ。
よりによって、学級の中じゃなくて、全校朝会でデビューだなんて。ぼくは目の前が真っ暗になった。
全校朝会まで、あと一週間。あいさつの中身もできあがって、ぼくは一日に十回、大きな声で練習を続けている。もちろん、頭の中にもしっかり入っているよ。あとは人前で言えるかどうかなんだ。
「幸二、私たちの前で練習してごらん」
父さんが声をかけてくれたので、ぼくは、父さんと母さんの前で練習をはじめた。キッキも一緒に見てくれていたよ。
「おはようございます。ぼくたち三年生は、『大きな古時計』と『ヘビーローテーション』の二曲を歌います……」
「幸二、がんばれ!」
父さんの声が遠くに聞こえる。はじめは大丈夫だったのに、手が震えてきた。首筋に汗がながれる。体全体が震えてきて、やがて固まってしまう。
「少し休んで、もう一回挑戦してごらん」
母さんがやさしく言ってくれたので、ぼくは、キッキのところに行って、ぎゅうって抱きしめた。キッキの体の温かさが伝わってきた。
あれっ。なんか、普通の温かさじゃない。ゆたんぽを袋に入れないでだっこした感じ。ぼくは、もう少しでキッキを放り出してしまうところだった。キッキの目が金色に光っている。目を見ていると、どんどん力が湧いてきた。目の光はどんどん強くなってくる。そして、キッキは固まった。招き猫の置物みたいにピクリとも動かなくなったんだ。
「幸二、そろそろ落ち着いた?」
母さんの声で、もう一度、チャレンジ。
キッキは、固まったままだ。
こんどは大丈夫だった。話し終えて、拍手をもらってキッキを見ると、キッキは、クッションの上で気持ちよさそうに眠っていた。きっと、キッキは、ぼくの代わりに固まっていてくれたんだ。
学年発表の日がやってきた。
ぼくは、ステージの真ん中に進み出て、お辞儀をする。体育館の後ろに、竹でできたバスケットを抱えた母さんが見える。
「おはようございます」
大丈夫だ。震えもこないし、体も固まっていない。バスケットの中では、きっと、ぼくの代わりに、キッキが固まっている。
ぼくは、大きな声で、曲の紹介を始めた。