宙を舞うシマウマ
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宙を舞うシマウマ
戸辺あさみ
「あのう、道を教えてください」
風の音に混じってそんな声が聞こえて、ぼくはあたりを見回した。けれど、誰もいない。
ここは浜辺が見渡せる崖の上。宿題の絵画『夏の思い出』を描きに来ていた。四年生になったぼくは、家族で出かけることがなぜか苦手になってしまった。だから、毎年家族で行っていた海水浴を描こうと思ったんだ。
「風の音だったのかあ。よっし、集中するぞっと」
ぼくはスケッチブックを片手に持って、鉛筆を握りしめた。その瞬間、今度ははっきりと聞こえた。
「アフリカはどちらの方向でしょうか?」
「ア、ア、アフリカ?」
思わず叫んで、ぼくはどきどきしながら声のしたほうを見て、目を丸くした。そこにいたのはシマウマだったんだ。しかも空に浮いていた。けれど、本物の動物じゃなく、百円玉を入れたら動くぬいぐるみの乗り物だ。
「この間の大雨で仲間とはぐれてしまったんです」
「仲間だって!」
「はい。キリンとライオンなんですけど、見かけませんでしたか?」
「あ、確かにアフリカっぽいや」
ぼくはうなずいて、いそいで首を振った。まったくちんぷんかんぷんだ。頭が混乱しているぼくに、シマウマはここへ来るまでのことを話した。
「遊園地がつぶれて、捨てられそうになったので逃げだしたんです。仲間がたくさんいると聞いて、アフリカへ向かうところでした」
ぼくはぽかんと口を開けて聞いていた。すると、遠くから楽し気な音楽が流れてきた。
「そうだ。あそこならいいかも」
ぼくは大声をあげて、手をたたいた。
「うわあ、びっくりしました」
「ごめん、ごめん。いいことを思いついたんだ。ぼくについてくるといいよ」
「どこへ行くんですか」
シマウマは心配そうな顔で、ぼくの横にぴたっとくっついた。
「いいから、いいから。きっと気にいるさ」
ぼくはシマウマを撫で、歩きだした。でも、シマウマはその場でくるくる回っていた。
「あのう、アフリカとは反対です。海を見ながら向かうように言われましたから」
「うん、大丈夫だよ。さあ、行こう」
しょうがなさそうに、ふわふわゆっくり動きだしたシマウマを引っ張るようにして、話をしながら街のほうへ進んだ。
分かったことがある。ぼくはシマウマがいた遊園地に行ったことがあったんだ。ライオンに乗って泣いていた写真を思いだしたから。確か、後ろにシマウマも写っていた記憶がある。懐かしく思ったけれど、もう一度、遊園地に行ってみたかったなと寂しくもなった。
あれこれ考えているうち、街の広場に出た。向こうに大きな赤色のテントが見える。
「こんにちは」
そう言って、ぼくの目の前にタキシードの男の人が現れて、おじぎをした。そして、シルクハットをくるっとひっくり返すと、ハトやら花束、風船が飛びだした。
「どうぞ、お待ちしております」
タキシードの男の人が、シルクハットをぼくに差しだした。なかをのぞくと、サーカスのチケットが三枚入っていた。
「あ、ありがとうございます」
しどろもどろに言って、チケットを受けとると、タキシードの男の人は、指をパチンと鳴らした。ぼくは魔法からさめたようにはっとして、あわててシマウマを探した。
遠くに見えるシマウマは、もう宙に浮いていなかった。ただの乗り物に戻っていた。
それから間もなくして、この街のサーカス公演最後の日がやってきた。ぼくは広場にいそいだ。そこにシマウマとライオンとキリンが行儀よく並んでいた。捨てられると思ったのは、どうやらシマウマたちの勘違いだったようだ。もともとサーカス団に預かってもらう約束だったらしい。ぼくはシマウマにまたがり、チャリンと百円を入れた。
「よかったね」
ぼくはシマウマに言った。シマウマのうれしそうな鳴き声が聞こえた気がした。
「ユウタは昔、こいつに乗って泣いてたっけ」
横を見ると、ライオンにパパが乗っていた。
「ふん、もう怖くないよ」
ぼくが口をとがらすと、パパは言った。
「違うぞ、ユウタはシマウマと別れるのが嫌で泣いてたんだ」
「ほんと、あのときは大変だったわよね」
パパとママは顔を見合わせて笑った。ぼくはシマウマを見つめて、ため息をついた。
また、パパとママを困らせちゃいそうだ。
「ユウタ、そろそろ始まるぞ」
声と同時に、楽し気な音楽が鳴りだした。