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ポパジのいた日

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ポパジのいた日

市成洋輝

ポパジは突然やってきた。

父が何度かペットショップに見に行き、悩んで、悩んで、たくさんいた仲間も次第に減り、最後の一匹になって、それでも父は悩みぬき、五月五日のこどもの日、シャム猫が我が家にやってきた。

売れ残りのせいか、とても小さく、耳にはダニ、毛にはノミ、お尻は赤く、とても汚いシャム猫だった。

でも、子猫のシャム猫は、自由を得て、ショップのゲージから解放されて、我が家では飛びまわっていた。

母が「まあ、シャム猫なんか買ってきて」「お父さんときたら、大変よ」「世話は誰がするの」「エサはどうするの」「寝床はどこにするの」と、たたみかけて聞いていた。

父は、シャム猫を買った誇りか、「はい。はい」と聞き、その場をやり過ごしたが、案の定、世話係は母になった。

名前を付けよう。両親と私ら兄弟で、いくつか候補になる名前を挙げた。決まったのは、リリーだった。メスのシャム猫でどこか気品を感じたのか、そんな名前になってしまった。

すぐにお風呂に入れると、全身泡だらけで、さらに小さな子猫に変身していたが、とてもおとなしくお風呂に入っていた。

父が、「猫は水が嫌いだから、暴れるかもしれない」と言ったが、「そうか、お湯は違うのか」と、わけのわからないことを言っていた。

それからは、猫中心の生活になった。母はとてもかわいがり、いつの間にか、寝床は母の布団の中になっていた。

兄も私も高校を卒業し、大学も卒業ということになり、あっという間に時間が過ぎていった。

リリーはすっかり、壮年から白髪も混じった老年期の猫になっていた。

私は独立し、実家を離れていたが、結婚後、子どもを実家に連れていった。初めてわが子が猫に対面。リリーは嫌な顔をせず、抱かれていた。いや、持たれていた。うーん、ぶら下がっていたようだった。

そのとき、初めて発した子どもの発音が、ポパジであった。どういうわけか。リリーの名前が、そのときからポパジになった。

幸い私がポパジと呼んでも、「にゃーん」とちゃんと返事をしてくれた。

ポパジはとても楽しそうに子どもと戯れていた。たくさんたくさん、楽しい時間が流れていった。

ある朝、一本の電話が鳴った。

「洋、ひろし、大変よ……」

「ポパジが……」

その声はとても悲しげな声だった。

「えっ、なに。なにかあったの」

母はしばらく無言だった。絞り出すような声で、「ポパジが死んだわ。死んじゃったの」と言うと、電話の向こうですすり泣く声がした。

ポパジは大好きな母に看取られて、天国へ旅立っていった。小さな体で、たった一人で、逝ってしまった。

「ポパジ。ポパジ……」

私は何度かポパジと呼び続けた。

急いで実家に帰り、冷たくなったポパジと対面した。

「よく頑張った。よく長生きしてくれた。ありがとう。ポパジ。天国でまた会おうね」

そう心の中で話していた。

ピンポーン。市役所の職員が無言でポパジの棺を受け取り、一礼して去っていった。

母はずーと泣いていた。「すみません。ポパジを天国までお願いします」と伝えると、私もとても悲しくなってきた。

その日は両親と泣きはらした。母は「もう生き物はいらないわ。死んでしまうからつらいの」そう言うと、父もうなずいていた。

あれから、三十年、両親も旅立ち、ともにポパジと天国で楽しい日々を送っているだろうと、毎年、五月五日のこどもの日が来ると思い出す。

あの、小さな青いひとみ、無邪気な姿。かわいい鳴き声、人なつっこい顔。丸い背中。少しとがった顎。今でも、いつまでも、ポパジはポパジだ。私の中では、青春時代の中にいる。

夢で、母に抱かれ、とてもうれしそうなポパジを見たことがある。あれ、夢かと思うほど現実的だった。父がかたわらにいて、母がポパジを抱っこして、兄がほほ笑んでいる。

そんな姿を夢で見た。

ポパジは今でも私の心の中にいる。両親らとともに、私を見守ってくれているだろう。今でも、そしてこれからも。エンドレス。

ポパジと過ごした時間は短かったけど、とても楽しい時間だった。

「ポパジ、ありがとう。また、母の布団で寝ているんだね。ポパジ……」

私が天国へ行ったとき、また猫じゃらしで遊ぼうね。それまでは両親のことをよろしくね。そんなことを思い出す五月五日が毎年やってくるのが楽しみだ。