時の花・史桜
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時の花・史桜
天王谷一
その村には時計がなかった。
そもそも村人たちには、時間という概念がなかった。
陽は昇り、陽は沈む。潮は満ち、潮は引く。
産まれて生きて死んでゆく。ただそれだけのこと。
もし「時間」という言葉を使うとしたら、村人たちの「時間」は、前だけに流れていたと言えるのかもしれない。あのモノが現れるまでは。
そのモノは降ってきた。天空の光全部を遮るような荷物を担いで降ってきた。
最初、村人には黒い布が上空から覆い被さってくるように感じられた。それを人らしきモノが担いでいると分かったとき、
「何者だ、あの男は?」
「いや、女の人だろう?」
「危ないぞ。落ちてくる」
村人たちは騒然となった。
村人たちの心配をよそに、男だか女だか判然としないその人型は、優雅に地上に降り立った。そのモノが十字を切るようなしぐさをすると荷物は解かれ、アッというまに空に舞い上がった。帰っていったらしい。
村人は、そのモノが何かを村にもたらしたことだけは感じ取った。目には見えない。何か良からぬ不吉なモノが残されたことを予感させた。
一人の村人が天に問いかけた。
「あなたは、どなたですか」
答えはない。
「どこから来られたのですか」
「空を飛べるのですね」
「荷物の中に入っていたモノはなんですか」
村人の質問は続いたが、応答はなかった。
気短な村人の一人が大声を上げた。
「毒でも撒いたのか」
『返しに来ただけです』
そのモノの声が降ってきた。声も男の声とも女の声とも取れるような声音であった。落ち着いたよく通る声が降ってきた。
『時の花です』
「時の花?」
『あなたたちの使った時間は種となり貯蔵される。そして満杯になれば、その重量のせいで降りてくる。種が傷付かないように、丁寧に運ぶことが私の役目』
「どこに種があるんです?」
「目に見えないなんて怪しいじゃないか」
『時間は本来見えないモノだからね。だけど今に時の花が咲けば見えるようになりますよ。ずっと繰り返してきたことなんですから』
「繰り返してきた?」
『おっと、今回は少しおしゃべりが過ぎました。とにもかくにも、元はあなたたちのモノなのですから、しっかり時の花を愛でてやってくださいな』
スッとそのモノの声は消えてしまった。
「おおい、もっといろいろ教えてください」
「時間とは何のことですか?」
二度とそのモノの声は降ってこなかった。
すぐに「時の花」は一斉に芽吹き、花開いた。
最初、草に隠れるような小さな花ばかりであったので気づく村人も少数であった。しかし、だんだんと「時の花」は色鮮やかとなり、村中を覆い尽くした。そして、村人を刺激した。
不吉な予感は的中した。
「時の花」の花粉は、村人に過去と未来のあることを教えた。時間という概念を村人の頭に埋め込んでいった。村人は取り戻すことのできない過去を嘆き、死に至る未来を恐れるようになった。
前だけに流れていた時間が、村人の心に留まり、自分を見つめることを要求し始めた。
一人一人の胸腺に巣食った時間は、村人の心を弄んだ。
ただ産まれて生きて死んでゆくことに満足できない村人は、自分と他人を比べることを覚え、諍いが絶えなくなった。
蓄積されてゆく時間に慣れない村を救ったのは、一人の赤ちゃんの誕生であった。
「オギャー」
過去と未来に苛まれ続けていた村人たちに、その産声は、一瞬という時間のあることを教えた。今、ここに在ることの蓄積が時間であることを村人に感得させた。
降って来たモノの言葉を思い出す村人たちもいた。
「元々自分たちの使った時間の種であり花である……私たちの時間」
「繰り返す……私たちは時間への無自覚と自覚を繰り返してきた」
「時の花を愛でること」
時間を区切ることの大切さを知り始めた村人たちは、その赤ちゃんを「史桜」と名付け、時間と対峙することの尊さを知らせてくれた記念の子として大切に育てた。