阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「帰り道」大河増駆
毎月、購読していた『小学五年生』という雑誌の中に読者のお便りコーナーがあり、次のような記述を見つけた。
―みんな石蹴りをやったことある? 学校から小さな石を蹴って帰るんだけど、途中で石は田んぼに落ちたり川にはまったりするよね。でもね、家まで蹴り終えると願い事がかなうんだよ。いっぺん やってみて―
そのころ、祖母の体調が思わしくなく、父や母が「もう危ないかもしれない」と会話をしているのを聞いた。
ばあちゃん子だった私は、おばあちゃんになんとか生きながらえてほしい、そんな願いから翌日に石蹴りを断行することにした。
校門の近くにある道路の溝にいくつかの石が落ちている。丸こい石は駄目だ。できるだけ平たいのがいい。私は真剣に探した。
少し黒っぽくて平たい石を見つけると、私は慎重に蹴り始めた。
私の家から学校までは片道二キロメートル あり、子どもがゆっくり歩くと四十分はかかる。過去にも石蹴りをやったのだが、三分の一までに石はなくなってしまう。
石は優しく蹴り、歩幅を小さくする。
「おばあちゃんが、長生きできますように」
何度もつぶやいていると、石がおばあちゃんの顔に見えてきたりする。
あと十メートルのところまで迫ってきた。
家の前に知らないおじさんが立っている。
真っ白なズボン、真っ白なシャツ、真っ白な帽子……、顔も真っ白で全く表情がない。
ゴールに到達すると、
「お前の願いは何だ」
おじさんが低く太い声で問いかけてくる。
「おばあちゃんを長生きさせてください」
おじさんは腰を折り曲げ石を拾い上げる。そして、私が歩いてきた道の方へ歩き去った。
その晩からおばあちゃんの容態は良くなっていった。医者はおばあちゃんの状態を見て奇跡だという。みなが驚いた。
私だけに理由が分かっていた。
私にはクラスに好きな女の子がいた。
髪の毛を胸元まで伸ばし、二重まぶたが印象的な女の子だ。
「夏子ちゃんと一回でもいいから話がしたい」
平たい石を探し出し、また石を蹴り始めた。
夏子ちゃんが話かけてきて、手をつないで一緒に帰る姿を何度も想像した。
石蹴りが成功すると、あのおじさんがまた現れた。
「お前の願いは何だ」
「夏子ちゃんとお友だちになりたい」
おじさんは、石を持ち去った。
二日後に席替えがあり、私の隣は夏子ちゃんになった。
当時、流行っていたスポーツカー消しゴムが筆箱に入っているのを見て、
「その消しゴムかわいいね」といってくれた。
私はスポーツカー消しゴムをたくさん持っていたので、「一つあげるよ」と差し出すと夏子ちゃんは目を輝かせて喜んでくれた。
そのことをきっかけに私たちはよく話をするようになった。私と夏子ちゃんはつきあっているという噂が立つようになった。恥ずかしかったけど満更でも無かった。
そのころから、私の鉛筆や消しゴム、ノートがなくなるようになった。おそらくクラスのいじめっ子のあつしが、隠しているのだろう。
ある日の体育の授業でサッカーをやった。ボールが遠くにあるのに、あつしが私の足をバンバンと蹴り始めた。最後に足をひっかけられた僕は地面に転んだ。膝から血が流れ出す。あつしの仲間たちは大笑いしている。それからも、あつしたちの私に対する執拗ないじめは続いた。
私は石蹴りをすることにした。
「死ね! あつし 死ね!」
心の中で何度も叫んでいた。私は力一杯石を蹴った。石は逸れること無くちょこんと私を待ってくれている。
いよいよ家が近づいてきた。石から先に視線を移すと、道路に巨大な穴が開いている。
そんなはずない……朝は、こんな穴がなかった。
巨大な穴の縁からのぞき込むと、井戸の中のように真っ暗である。私が飽きずに眺めていると暗やみから小さな光が差してきた。穴の底に誰かがいる。それはまるで地球の反対側から誰かがのぞき込んでいるかのようだ。
あのおじさんだった。ニタニタ笑っている。恐ろしく遠い距離なのにおじさんの顔がはっきり見える。おじさんの右手には石が握られていて、それを口の中にほりこみ、ケラケラと笑い声を立てた。
「カー」カラスの鳴き声が遠くに聞こえ、空を見上げた。地面に視線をもどすと、穴は無くなっていた。
それから、私は二度と石蹴りをしなくなった。