阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「地球のオデキ」古林邦和
庭に出たらタケノコの頭が見えた。手で触ってみた。冷たい。タケノコの毛のざわざわ感はなく、つるつるした手触りだ。さすがに秋にタケノコのはずはないと思うが、それでも庭の枯葉の間から頭をつんと覗かせている様子は、春先の竹やぶで見るタケノコそっくりだった。しばらく頭を撫でているうちに、石かな、と思う。しかし石がある朝突然、土から顔を出すはずはない。
不思議な思いのまま仕事に行って、日暮れて帰ってきたら、枯葉の中のとんがり頭は朝の二倍ほどに膨れて、タケノコの形態はすでにない。指で触れるとやはり石だ。石が突き出ているとしたら、氷河を見るまでもなく、その底に巨大な岩盤が埋まっていることになる。
翌朝はさらに膨れていた。それで思いだしたのは、昭和新山だった。朝飯の食パンを口にくわえながらネットで確認したら、地震の頻発で地下の溶岩が上昇して海抜三百メートル余の山ができたというのだ。
ネクタイを締めながら首を傾げる。地震など起こっていないし、ここは火山帯からほど遠い。令和新山の可能性は少ないと自分にいいきかせた。
一週間しないうちに、石のてっぺんが塀を超えて、道からも見えるようになった。すると私が仕事から帰るのを待ちかねて、近所の人たちが石のことをああだこうだと言い募り、自説珍説を披露した。
一番笑ったのは、これは地球のオデキではないか、というものだった。二軒隣のひきこもりの若者、ケンちゃんが、ひきこもりの禁を解いてわざわざやってきて、メジャーで石の幅を計って、そういったのだ。
ケンちゃんは日に何度も家から出て来て、大きさを確認したり、写メでとったりした。引きこもりをやめたみたいだった。そんな中にも石は徐々に大きくなり、大きくなるにつれて、ますます塀の向こうに人が集まるようになった。病院から抜け出してきたような松葉杖を突いたパジャマ男、学校帰りの生徒たち、わざわざ列車で来たという感じのリュックの若い女たち。その誰もが石に写メを向けた。
不思議に思ってネットを開いたら、あった! 「庭のオデキの観察日記」というタイトルだ。ケンちゃんが日々の成長の記録をブログに上げていたのだった。
庭は観光地になった。観光客は本来的に無礼なもので、ほっとけば塀を乗り越えて庭に飛びこんでくる。この前は松の木を折られたし、コスモスも踏みにじられた。叱りつけても、へらへらと笑って逃げていくだけだ。機械を手に大学から研究に来たという、いかにも胡散臭そうなやつらもいた。
そんなどたばたを嗤うように石はますます巨大化して、ついに先端が屋根に迫った。塀の向こうの観光客の心配をしているわけにはいかなくなった。あと少し肥大すれば、屋根が壊れるのだ。
夜中に何度も目が覚めるようになった。暗い中で目を開けると、石の軋む音が聞こえる。いや、石に押されて家が軋んでいるのだ。
私は仕事に行けなくなったので、投げやり気分で見物料を取って、人々を入れることにした。入場料は二百円だ。すると毎日百人以上の客が入り、それなりの儲けになった。けれどマナーが悪い。夕べの庭でバーベキューをする不届き者まで現れた。それも含めて、入場無料のケンちゃんが写真に撮り、ブログに落とす。今やケンちゃんのフォロワーは一万人を超えた。
庭はすでに荒れていた。花も木もない。そしてとうとう石は屋根の一部を壊して小山になった。よじ上る場合は千円取ったが、これは大人気で一時間待ちだ。
マスコミも毎日来た。市の経済効果に貢献したとして賞状を授与されたこともある。しかし一番驚いたのは、私が石の語り部になっていることだ。引率されて来たあどけない小学生たちに石の来歴を話すのは楽しかった。しかも金になる。すべて石のおかげだ。
もう一人の恩人のケンちゃんは、まるで小学生の朝顔日記のように日々の変容をブログで伝えてくれる。どうしてこれほどマメな若者が引きこもりだったのか、私には理解できない。毎日の挨拶は丁寧だし、顔の艶もよくなった。笑顔も爽やかだ。石が成長を止めたら、ケンちゃんはどうなってしまうのだろう、
冬になり、初雪が石に積もった。半壊れの家を背にした白い石は、インスタ映えした。美しい。
私は、ケンちゃんがいったようにこれは地球のおでき、オデキがオヘソになろうとして頑張っている、と考えながら、めくれそうな屋根を見上げて、大満足で携帯コンロでインスタントラーメンを作っているのだった。