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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「「鏡のパラドックス」の向こうへ」シツタマキ

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作文・エッセイ
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第46回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「「鏡のパラドックス」の向こうへ」シツタマキ

今日は卒業式。文学部の論理学の授業なんて何の役にも立たなかったかもしれないが、それでも慕ってくれていた何人かの学生が、毎年、卒業式後に研究室を訪ねてくれる。業界用語で言う、この「挨拶受け」のため、今日は夕方まで自分の研究室にいて雑務をこなす。まあ、誰も来ないかもしれないが。

娘の由佳が亡くなってもう十年になろうとしている。由佳は、私の勤める大学の法学部四年生の夏に癌を発症した。卒業時には入院していた。そして卒業後の夏、あっけなく死んでしまった。驚くほど進行が早かった。

卒業シーズンになると思い出す。由佳は、私が彼女の卒業式に代理出席することを望んだ。私は、保護者席なら構わなかったのだが、彼女は、私が卒業者用の彼女の座席に座ることを望んだ。その頃彼女の病状は思わしくなかったし、彼女の望むことなら何でも叶えてやりたい気持ちはあった。しかし、卒業式に彼女の座席に座ることには、躊躇いがあった。当然私がそこに座れば、皆が不審がるだろう。その視線を想像すると耐え難かった。また「予め公表される死」のようでもあり、不吉なようにも思えた。不慮の事故で死んでしまった学生の親が本人の遺影を抱いて卒業者席に座るという前例は、うちの大学にもあった。そんな人達とうちは違う、由佳は生きている、と声を張り上げて主張したい気持ちが大きかった。窮した私は、卒業式に出席する文学部代表教員に名乗りを上げ、自分用の「教員席」を確保することにした。由佳には、「仕事で仕方なく『教員席』に座って参列することになったのだ」と説明した。姑息な手段をとったことが見透かされていたかどうかは判らない。彼女は少し不服そうだったが、もうそれ以上何も言わなかった。

由佳が亡くなってからは、同世代の学生を見るのが辛くてたまらなかった。私は仕事柄、毎年毎年、娘と同じ年頃の子らを相手にしなくてはならない。因果な商売に我が身を恨んだ。一職業人としての矜持のみで、毎回の授業をどうにかやり遂げるような毎日が続いた。大学にいる間は仕事に専念して、心を石のように重くし、喜ばないよう悲しまないよう、とにかく平らにした感情を動かさないように常に心掛けた。

ところが、辛いと同時に、不思議なことに私は、彼ら彼女らの中に由佳の面影を感じて、かすかな喜びを感じてしまってもいた。ふとした瞬間、彼らを目で追いかけ、時に凝視すらしていた。由佳に似ているわけではない、ただ同じ世代の同じ大学の学生だというだけで、彼らの一人一人が由佳の断片を持っているような気がした。若者特有のエネルギーというか熱量というか、そうしたものが一人一人から揺らめき出ていて、鏡のように由佳のある部分を映し出し、照らし出す瞬間がある。乱反射したそれらの無数の断片らが、私の心の中に入り込み、万華鏡のようなきらきらとした美しい幻影をつかの間だけ作り出す。

論理学の中には「鏡のパラドックス」という有名な論題があり、どちらが虚像でどちらが実像なのかは、実は証明することが極めて難しい。私はその虚実の曖昧さ、曖昧さの強靭さに、救われていたのかも知れない。もちろん虚像と実像は決して反転しない。けれども、論理学の専門家でありながら、ほんの刹那に現れては消えてゆく幸福の無数の断片に惑わされるまま、その幻に身を委ねていた。

三人の学生が挨拶に来た。指導教官ではなかったが、卒論を手伝った学生たちだった。彼らは就職先での抱負や感謝などを無邪気に述べ、明るく去っていった。十年も前の私の娘の病死のことなど、彼らは知る由もない。

一時間ほど後、助手室に郵便物を取りに行くと、助手が「先生、大丈夫でしたか?」と恐る恐る訊いてきた。何のことかと聞くと、「先ほど先生のお部屋にご挨拶に行った学生の一人の石川さん、由佳ちゃんに似ていたでしょう。先生、あの子を見ると、きっと由佳ちゃんのこと思い出して、泣いちゃうんじゃないかと、ちょっと心配していたんですよ」と言った。この助手はもう十年以上の付き合いで、由佳とも知り合いだった。由佳が亡くなる前後は特に世話になった。「彼女、似ているかなあ。あまり気付かなかったな。大丈夫、大学にいる間はちゃんと『先生』でいるから。心配かけてすまないね。」由佳のことをいつまでも覚えていてくれる助手を有り難く思った。

その学生は、私には娘に似ているようには思えなかった。助手の言葉を思い返しながら廊下を歩き出した瞬間、私は、はたと気が付いた。学生たちは「由佳の鏡」ではなく、「私の鏡」だったのではないか、と。私が由佳をどう思っていたのか、私が由佳をどう見ていたのかを映し出していたのではないか、と。

この日から私は、虚と実は決して反転しないという実に当たり前のことを、再び、少しずつ、受け入れ始めたように思う。