阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「露地の記憶」門田弘
六十年ぶりに立った土地は、記憶のなかにある風景とまったく違っていた。
見知らぬ私鉄の駅を出て、タクシーに地番を告げて連れてこられた場所には、パステルカラーの小ぎれいな建て売り住宅が延々と連なっていた。途中のバイパスには、おなじみの全国チェーン店が集まるモールもあった。
あのころ、ここら一帯は煤煙をはき出す工場群と、低所得層向けの市営住宅や二階長屋が隣接する薄暗いエリアだった。小学生だった私は、その市営住宅のひとつに、両親と祖父母と叔母たち八人で暮らしていた。
道をはさんだ向かい側に、巨大な煙突をそびえさせる工場があり、ゴオゴオという機械音がトタン壁を一日じゅう震わせていた。壁をたどっていくと、右へ折れ曲がった先に土の露地があり、小さな店がいくつか軒を並べていた。たしか八百屋や駄菓子や、洋服屋や金物屋や 時計店があったと思う。
奨学金で公立大学に通い、中堅企業に就職し、技術屋として定年まで勤めあげた。まずは順風満帆な人生だったが、定年後しばらくして妻が他界すると、子供のない私はひとりぼっちになった。
幼時を過ごした町をふたたび訪れる気になったのは、妻と同じ病に私も冒されていることがわかってからだった。
この町には、はるか以前から係累はだれも残っていない。しかし、消そうとしても消せない記憶がひとつ残っていた。
色とりどりの鉢植えを白いフェンスにかけた二階家の表札を見る。もちろん覚えのない名前だ。住宅街に沿って、ゆっくり歩き出す。灰色の工場がそびえていたところも、ポプラ並木つきの住宅街に変わっている。このあたりで右に曲がったんだよな。わびしい商店街があった露地のほうへ体を向ける。
商店街は、あった。
手前から八百屋、駄菓子屋、洋服屋……。あのころのままだった。地面も舗装されておらず、石ころや雑草や、投げ捨てられたゴミがあちこちに見える。商品名や製造元を書いたブリキの看板も、そっくりそのままだ。まさか──。私は絶句して立ちすくんだ。
タケシという友達がいた。クラスで一番体が大きく、少しばかり乱暴者だった。しかし、何を気に入ってくれたものか、私にはいつも親切にしてくれた。友達というより、私はタケシの子分だったのだろう。
あの日。私はタケシとふたりで、この露地にいた。
「うまいもんを食わせてやる」。タケシは低い声でそう言うと、駄菓子屋の店先に置かれた小箱をいくつかつかんだ。
「走れ」。駆けだしたタケシの後を、私は追いかけた。心臓がバクバクと音を立てていたのを覚えている。
「こらあ」。大声が後ろでとどろき、私は震えあがった。T字路の突き当たりで立ちすくんだ。
「どっちへ行った」と、黒っぽい大きな顔が私をにらみつけた。思わず左の方を指さした。タケシが逃げた方角だった。おじさんは何も言わずに左の道へ向かった。
ゴオーッと耳鳴りが続いていた。ふたりが走り去った方へ、私は行けなかった。露地を戻るとき、時計店からいきなり柱時計の音が聞こえた。反射的に目を向けると、茶色い柱時計の間に、縦長の大きな鏡がかけてあった。私が映っていた。ゆがんだ顔だった。
タケシとの記憶は、そこでぷつんと途切れている。タケシはどうなったのだろうか。次の日、小学校で私たちはどう向き合ったのだろうか。少なくともタケシに怒られたという記憶はない。たまたま父の転勤で私はまもなくこの町を去り、それから六十年の歳月が流れた。
ランニングシャツを着た少年が、肩をゆらしながら走ってきた。手にチョコレートらしい小箱の束をつかんでいる。私は息をのむ。タケシ……言葉にならなかった。
「どっちへ行った」。らくだのシャツを着た五十歳がらみの男が、けわしい顔を私に寄せてきた。
「あっち」。私は迷わず人さし指をあげる。タケシが逃げたのとは反対の方向だ。男は草履を土にたたきつけながら、大股で走り去った。
男の背中が角のむこうへ消えても、私はしばらくその場に立ちすくんでいた。
乾いた日差しが照りつける露地を、私は黙って歩いていく。ボーン、ボーンと大きな音がした。
時計店の薄暗い内壁にたくさんの柱時計がかかっていて、どれも振り子が大きく揺れている。手前のふたつの柱時計の間に、縦長の鏡がはさまっていた。
鏡のなかで、ひ弱そうな小学生が私を見つめていた。はにかんだようなその目元は、かすかに笑っているように見えた。