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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「青い蝶」 犬井森

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作文・エッセイ
結果発表
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第44回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「青い蝶」 犬井森

父が亡くなった。母も三年前に亡くなっており、一人娘の私は、悲しむ間もなく葬儀の後すぐ父の遺品の整理にとりかからなくてはならなかった。父方の親戚はみな遠方に帰ってしまい、さすがに一人での作業は大変なので、近所にすむ母の妹であるさよ子叔母に手伝ってもらうことにした。

まず私は父の書斎から片付けることにした。机の、鍵のついた引き出しをあけると、様々な書類がきちんと分類され、整頓されていた。それを見て私は、真面目で几帳面だった父の姿をしみじみと思い出した。そのうちに、もう一つ鍵のかかった引き出しがあるのが目についた。なんとなく気になって、父から引き継いだ鍵束から合う鍵を探し、その引き出しをあけてみた。中には小さな白い箱が一つだけ入っていた。ハンカチをひらくと、そこにあったのは、一本のストールピンだった。

私はこれに見覚えがあった。金でできた女物のストールピンで、無数のサファイアをちりばめた上品な蝶の飾りがついている。これは間違いなく、母の姉であるみな子伯母のものだ。

みな子伯母は美しい人で、生涯独身で通し、十年ほど前に亡くなった。私の記憶では、伯母は祝い事など何か特別な催しの時にだけ。このストールピンを身につけていたように思う。ある時幼い私は、伯母にこのピンが欲しいねとねだったことがあった。すると伯母は寂しそうにほほ笑んで言った。

「ごめんね。これは、私のお守りなの。誰にもあげられないのよ」

豊かにうねる絹のストール、そこに溜まった蝶の深い青、そしてその時の伯母の悲しい美しさが、いつまでも私の心に残った。

しかし、なぜそれが今、父の机の引き出しにあるのか。あの堅物の父が女物の宝飾品に興味を持つとも思えない。それ以上に、伯母が誰にもあげなれない、と言っていたものを、父がどうして持っていたのか。

私はふと、いつも質素で控えめだった母と、反対にいつも明るく華やかだったみな子伯母のことを思い浮かべた。そして、情熱というよりは互いへの静かな敬意によって保たれていた両親の関係について思った。

父とみな子伯母は恋仲だったろうか。この考えは私の胸をチクリと刺した。

ピンを裏返して見ると、蝶の後ろに小さな字で何か彫ってあるのに気がついた。

『To M From G』

G.父の頭文字ではないことにほっとしている自分がいた。しかし、それならこの贈り主のGとは一体誰だろう。

「あら、それ、もしかしてみな子姉さんのじゃない?」

書斎の向こうで片づけをしていたさよ子叔母が、私が手にしているものに気付いてやって来た。

「一体どこにあったの?みな子姉さんの葬儀のあと、みんなでいくら探しても見つからなかったのに。姉さんはこれをすごく大事にしていたのよ」

「ねえ、叔母さん、このGというのは誰のこと?」

さよ子叔母は蝶の裏側に目を凝らすと、感慨深げにため息をついた。

「五郎さんよ、みな子姉さんの婚約者なの。でも吾郎さんは、結婚する前に交通事故で亡くなってしまったの。姉さんはひどいショックを受けてね。その後もずっと姉さんは吾郎さんを想い続けて、他の男性を愛せないみたいだった。だから死ぬまで独りだったのよ」

さよ子伯母はしばらくピンをじっとみつめていたが、ふいに顔を上げて言った。

「そういえば、五郎さんはあなたのお父さんの親友だったのよ。大学の同級生で寮でも同室だったとか。その縁で、五郎さんとみな子姉さんがあなたの両親を引き合わせたのよ」

父が持っていたこのピンは、親友が恋人に送ったものだった_父は、私の知る限り、真面目で穏やかな人だった。しかしこのピンがここにあるのは、父が、誰にも内緒で伯母の葬儀の時にこのピンを盗んで、隠し持っていたからだ。一体どうして。そこまでの尋常ならざる衝動はどこからきたのか。みな子伯母への片思い?親友への思慕?・・・・・一つの考えが私の頭をよこぎった。

父は二人を愛していたのではないか。愛する二人が自分抜きで愛し合うことへの嫉妬と憧れが、複雑に混ざり合い、このピンへの異様な執着心となったのではないか。

私は戦慄した。まさか。けれど、もしかして。私の知らない父が青い蝶となってここにいる。

「あっ」

いつの間にかピンの金具が外れ、針が私の掌を刺していた。鈍い痛みが私の中に広がり続ける。青い蝶は、ただ静かに輝いていた。