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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「二人暮らし」七積ナツミ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第43回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「二人暮らし」七積ナツミ

「これ、やる」

突き出されたのは千円札だった。

「え、こんなん、割に合わないよ!ただ、かき氷作っただけだし。さっぱりして、おいしかったね!いいい、いいよ!お金なんていらないよ!」

そう言ってる間にも、私の手の中に千円札をねじ込んで、おじいは自分の部屋に入って行った。「ずいぶん高価なかき氷になっちゃったなぁ…」私は、独り言を言う。

おじいは嬉しい気持ちをお金で表現しようとする。すぐにお札を私のポケットや、バックの中や、手のひらの中にねじ込んでくる。おじいが喜ぶこと、私が役に立っていることは嬉しい。でも別にお金が欲しいわけじゃない。何かする度にお金をもらっていたら、お金が欲しくてやっているような変な感じになる。返ってやりづらい。年寄りからなけなしの年金をむしり取る悪い商売みたいだ。かき氷を作ったことで手に入れたくしゃくしゃの千円札を広げながら、これじゃあ、悪い商売を考える人がいてもおかしくないよなぁと考える。嬉しくなってお金をあげて、格好が良いような気持ちになっても、お金をあげたことは部屋に入った頃にはすっかり忘れてしまうのだ。実際、おじいのお財布事情は、孫の私に構い続ける支払いで、いつでも自転車操業だ。殆ど坊主頭なのに髪の毛を切りに行きたいと言って、私の父(おじいにとっては息子)に千円をせびったりもする。私にねじ込む千円札を取っておいて髪を切りに行けばいいのに。父からせびった千円は、髪を切りに行く前に、私のポケットにねじ込まれることになる。

おじいの感心事は、もっぱらお金のことである。毎朝私に給料がいくらかと尋ねるのが日課だ。

「お前の給料は、日当か、月給か」

「月にいくらだ。これか?これか?(指を2本から3本に変える)」

「納豆は今、ひとついくらだ?五十円か?(朝ごはんの納豆を食べながら)」

「これが全部札だったらいいのになぁ(ゴミ捨てのゴミ袋の口を閉めながら)」

「そういえば、お前の給料は日当か?月給か?(繰り返す)」

「年をとったらなぁ、金が全てだ。金があれば何でもできる」

最もらしいことを言っているようでいて、いつもお金のないおじいに言われても全然説得力ないんだよなぁ、と私は思っている。

ある朝、新聞を読みながらお新香を咥えていたおじいの手が止まった。神妙な面持ちで新聞の一点を見ている。箸を置いて、ズボンのポケットのあたりに手を置いた。

「どうしたの?」

「占いだ」

「え?」

「今日の占いに出てる」

「なんて?」

「『ポケットの中に大金が。誰にも言わない方がいい』…」

「えー、変なの。そんなの占いっていう?ほとんど予言じゃん。どれどれ。十二月生まれは…あ、本当だ。書いてあるー。変なのー!」

おじいの表情は、真剣だ。

「何、ポケットの中に大金があった?」

「言わない」

完全に影響を受けている。朝ごはんが終わると薬を飲んでから神棚に置いてある宝くじに手を合わせて当選祈願をするのがおじいの習慣で、その日もそのまま仏間に歩いて行ったけど、薬は飲み忘れているし、両手はポケットから出さずに神棚の前に突っ立っていて、今朝は当選祈願ではないなと、一目で分かる。その日、私は仕事が休みで一日中家にいた。おじいが何度か私の部屋を尋ねてきて、

「なぁ、あの占い、当たるかなぁ」

と、独り言のように呟いて出て行った。その日の晩、おじいは居間の柱時計の前に立って一日が終わるのを見届けた。十二回目の鐘の音が鳴り止んで、あたりが静かになった頃、おじいはポケットから手を出して、ゆっくりと自分の部屋に戻って行った。

「お前の給料は、日当か、月給か」

翌朝も同じフレーズで一日が始まった。おじいは新聞を広げながらお茶を啜っている。

「お前は何月生まれだ」

「六月だよ」

「えー、六月生まれは『異性に頼られる。冷静な態度で接した方が良い』あー穏やかじゃないねー」

「穏やかじゃないねー」

「いくらもらうんかなー、こんな適当なこと言っていくらもらうんかなーいい商売だねー」

おじいは言ったことも、やったこともすぐに忘れるから、昨日のことなんて殆ど覚えていない。それでも私はおじいがねじ込んできた多くの千円札を、おじいのポケットにいつ詰め込んでやろうかと考えている。