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文章表現トレーニングジム 佳作「珈琲の味」 岩下欣弘

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作文・エッセイ
結果発表
文章表現ジム
第8回 文章表現トレーニングジム 佳作「珈琲の味」 岩下欣弘

珈琲の淹れ方を教えてくれたのは学生時代のアルバイト先のマスターだ。八歳しか年齢が違わないのに貫禄があり、体型の割には狭いカウンターの中を無駄なく素早く動く人だった。

暑い夏、湯気を上げるやかんを前にして、ペーパーフィルターの折り方を最初に教わった。「まず、フィルターの底を折る。次に裏返して側面を折る」額に玉の汗をかきながらマスターは実演した。「フィルターの底を折るのがイチ、引っくり返すのがニ、そして側面を折るのがサン。リズムに合わせてフィルターをしっかり折る、これが大事なこと」

その他にも、自分の淹れる珈琲と同じ味を再現できるように、粉の量や蒸らし方、やかんの回し方など、ひとつひとつの作業のコツを私に丁寧に教えてくれた。結果、量産された練習台の珈琲は毎日ふたりで飲んだ。「粉の蒸らし方が足りなかった」とか「ちょっとお湯が多めだった」などと講評を付け加えられながら。

その後合格点を得られた私は、オーダーが入る度に「イチ、ニ、サン」のリズムでフィルターを折って珈琲を淹れた。しかし合格点を得ていても、微妙だが味が異なることを感じていた。

あれから三十年以上の月日が流れた。マスターは四十四歳で急逝し、店は取り壊されて跡形もない。いつの間にかマスターの年齢を越えてしまったが、私は毎朝「イチ、ニ、サン」のリズムを刻み珈琲を淹れている。珈琲を淹れている年数はマスターをとっくに越えたが、味は及ばない。