メフィスト賞


文学賞を受賞するにはどうすればいいのか、傾向と対策はどう立てればよいのか。
多数のプロ作家を世に送り出してきた若桜木虔先生が、デビューするための裏技を文学賞別に伝授します。
どこまで詳しさが求められるのか
今回はメフィスト賞を取り上げ、第四十八回(二〇一三年)受賞作の『愛の徴(しるし)―天国の方角』(近本洋一)について論ずる。メフィスト賞受賞作にしては珍しく分厚いハードカバーで、分量も二段組で六百ページを超える。
現在、メフィスト賞の応募規定は縦書き、四十文字×四十行で八十五枚以上、百八十枚までとなっているので、規定変更の前の応募作なのか、それとも規定枚数オーバーしていても、優秀作はきちんと読んで授賞するのかは、不明。
メフィスト賞には締切が設定されておらず、応募は随時というのも、この新人賞の特徴である。
さて、アマゾンの評価は★五つと★二つの真反対に割れるが、この状況が、『愛の徴』の内容の難しさを端的に表している。内容が理解できる人には面白く、理解できない人には、全くチンプンカンプンだろう。『愛』はSFと歴史ファンタジーの二つの要素を持っている。SF部分も、近年の流行の哲学SFでも従来型のオーソドックスなSFでもない。
素粒子論や、量子コンピュータ、不確定性原理、SFでは、定番とも言える「シュレーディンガーの猫」など物理学について、きっちり理解していないと、SF部分の蘊蓄には全くついていけないだろう。
光には粒子の要素と波動の要素とがあって、測定方法によって、片方の性質のみが現れる、という物理学の講義的な蘊蓄部分など、物理学の素養がない人が読んでも、正しく理解できるとは思えない。
一方、ファンタジーの部分では、魔法、龍、魔女といった、ライトノベル・ファンタジーではベタな王道と言っても良い素材が、のっけから出てくる。
ライトノベルの下読み選者ならば「おいおい、また、龍と魔法と魔女かよ」とウンザリして真面目に読まないかも知れない素材だが、読んでいくと、相当に綿密に時代考証していることが読み取れてくる。
キリスト教に関しても、相当に詳しい。ちょっとキリスト教の解説書を囓ったレベルではない。
実はライトノベル・ファンタジーでは、キリスト教、北欧神話、ギリシャ神話などに詳しいアマチュアの書き手は山ほど存在する。ライトノベル・ファンタジーで新人賞を狙う書き手に専門分野だとか自信のある分野について尋ねると、高確率で、キリスト教とか神話について詳しい、自信がある、という回答が返ってくるのだが、誰も彼もが詳しいので、結局は、他の応募者との比較の問題で、ちっとも詳しいことにならない。
甲子園球児に「得意は何?」と尋ねると「自分の得意なのは野球です」という答が返ってくるのに似ている。甲子園球児でプロ野球界から指名を受けるのは、ほんの一握りの突出した選手だけだが、新人賞におけるファンタジーに関しても同様なことが言え、キリスト教に関しては桁外れに詳しくなければならない。
そういう観点に立つと『愛』は、どのくらいまで詳しい知識を持っている必要があるのかの指針になる。
『愛』は新書版にもなったし、中古での入手も可能なので、その辺りに着眼点を絞って読めばファンタジー分野で新人賞を狙うアマチュアにとっては、役に立つ〝傾向と対策?本になるように思われる。
キリスト教に関しては聖灰だとか〝聖なる遺物?が定番だが『愛』で物語の基軸になるのは〝聖なる鏡?で、これを巡っての冒険活劇となり、『三銃士』の主人公のダルタニアンや高名なる画家のベラスケスまでもが登場する。ファンタジー部分のヒロインの魔女は、ベラスケスの妻となるが、時空を超える魔力を持っている(以下、ネタバレ注意)。
物語の舞台の中世ヨーロッパの歴史や、鏡の製法(当時はイタリアの特産品で、製法の国外持ち出しが、厳しく禁じられていた)などの時代考証も、恐ろしく詳しい。
特にヨーロッパ史はファンタジーにおいて好んで書かれる分野なので、どこまで詳しさが求められるのか『愛』は参考になる。
現代(近未来)の量子コンピュータを巡る物語と中世ヨーロッパのファンタジーとが交互に出てくるのが読みにくいが、その理由もエンディングまで行くと、明らかになる。現代側ヒロインの太良橋鈴は中世フランスの文献を量子コンピュータで解析する作業に取り組んでいるのだが、とにかく文献が古くて、随所に欠落などがあるので、その間隙を埋めていく解読に、えらく苦労をさせられる。
で、ファンタジー部分は、実は、鈴が解読しようと量子コンピュータを稼働させている間に、いつの間にかコンピュータが思考能力のようなものを備え、欠落部分や矛盾点を解消するためにデッチ上げた物語なのだ、という事実が最後の最後で明かされる。この辺りの、SFと中世ファンタジーの組み合わせ方も巧い。
受賞できるかどうかは、書く前から決まっていた! あらすじ・プロットの段階で添削するのが、受賞の近道!
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自分に合った文学賞はどれ? どこに応募すればいい? あなたの欠点を添削しつつ、応募すべき文学賞を教えます。
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若桜木先生が送り出した作家たち
日経小説大賞 |
西山ガラシャ(第7回) |
---|---|
小説現代長編新人賞 |
泉ゆたか(第11回) 小島環(第9回) 仁志耕一郎(第7回) 田牧大和(第2回) 中路啓太(第1回奨励賞) |
朝日時代小説大賞 |
木村忠啓(第8回) 仁志耕一郎(第4回) 平茂寛(第3回) |
歴史群像大賞 |
山田剛(第17回佳作) 祝迫力(第20回佳作) |
富士見新時代小説大賞 |
近藤五郎(第1回優秀賞) |
電撃小説大賞 |
有間カオル(第16回メディアワークス文庫賞) |
『幽』怪談文学賞長編賞 |
風花千里(第9回佳作) 近藤五郎(第9回佳作) 藤原葉子(第4回佳作) |
日本ミステリー文学大賞新人賞 | 石川渓月(第14回) |
角川春樹小説賞 |
鳴神響一(第6回) |
C★NOVELS大賞 |
松葉屋なつみ(第10回) |
ゴールデン・エレファント賞 |
時武ぼたん(第4回) わかたけまさこ(第3回特別賞) |
新沖縄文学賞 |
梓弓(第42回) |
歴史浪漫文学賞 |
扇子忠(第13回研究部門賞) |
日本文学館 自分史大賞 | 扇子忠(第4回) |
その他の主な作家 | 加藤廣『信長の棺』、小早川涼、森山茂里、庵乃音人、山中将司 |
新人賞の最終候補に残った生徒 | 菊谷智恵子(日本ミステリー文学大賞新人賞)、高田在子(朝日時代小説大賞、日本ラブストーリー大賞、日経小説大賞、坊っちゃん文学賞、ゴールデン・エレファント賞)、日向那由他(角川春樹小説賞、富士見新時代小説大賞)、三笠咲(朝日時代小説大賞)、木村啓之介(きらら文学賞)、鈴城なつみち(TBSドラマ原作大賞)、大原健碁(TBSドラマ原作大賞)、赤神諒(松本清張賞)、高橋桐矢(小松左京賞)、藤野まり子(日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞) |
若桜木虔(わかさき・けん) プロフィール
昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センター、読売文化センター(町田市)で小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。
文学賞を受賞するにはどうすればいいのか、傾向と対策はどう立てればよいのか。
多数のプロ作家を世に送り出してきた若桜木虔先生が、デビューするための裏技を文学賞別に伝授します。
どこまで詳しさが求められるのか
今回はメフィスト賞を取り上げ、第四十八回(二〇一三年)受賞作の『愛の徴(しるし)―天国の方角』(近本洋一)について論ずる。メフィスト賞受賞作にしては珍しく分厚いハードカバーで、分量も二段組で六百ページを超える。
現在、メフィスト賞の応募規定は縦書き、四十文字×四十行で八十五枚以上、百八十枚までとなっているので、規定変更の前の応募作なのか、それとも規定枚数オーバーしていても、優秀作はきちんと読んで授賞するのかは、不明。
メフィスト賞には締切が設定されておらず、応募は随時というのも、この新人賞の特徴である。
さて、アマゾンの評価は★五つと★二つの真反対に割れるが、この状況が、『愛の徴』の内容の難しさを端的に表している。内容が理解できる人には面白く、理解できない人には、全くチンプンカンプンだろう。『愛』はSFと歴史ファンタジーの二つの要素を持っている。SF部分も、近年の流行の哲学SFでも従来型のオーソドックスなSFでもない。
素粒子論や、量子コンピュータ、不確定性原理、SFでは、定番とも言える「シュレーディンガーの猫」など物理学について、きっちり理解していないと、SF部分の蘊蓄には全くついていけないだろう。
光には粒子の要素と波動の要素とがあって、測定方法によって、片方の性質のみが現れる、という物理学の講義的な蘊蓄部分など、物理学の素養がない人が読んでも、正しく理解できるとは思えない。
一方、ファンタジーの部分では、魔法、龍、魔女といった、ライトノベル・ファンタジーではベタな王道と言っても良い素材が、のっけから出てくる。
ライトノベルの下読み選者ならば「おいおい、また、龍と魔法と魔女かよ」とウンザリして真面目に読まないかも知れない素材だが、読んでいくと、相当に綿密に時代考証していることが読み取れてくる。
キリスト教に関しても、相当に詳しい。ちょっとキリスト教の解説書を囓ったレベルではない。
実はライトノベル・ファンタジーでは、キリスト教、北欧神話、ギリシャ神話などに詳しいアマチュアの書き手は山ほど存在する。ライトノベル・ファンタジーで新人賞を狙う書き手に専門分野だとか自信のある分野について尋ねると、高確率で、キリスト教とか神話について詳しい、自信がある、という回答が返ってくるのだが、誰も彼もが詳しいので、結局は、他の応募者との比較の問題で、ちっとも詳しいことにならない。
甲子園球児に「得意は何?」と尋ねると「自分の得意なのは野球です」という答が返ってくるのに似ている。甲子園球児でプロ野球界から指名を受けるのは、ほんの一握りの突出した選手だけだが、新人賞におけるファンタジーに関しても同様なことが言え、キリスト教に関しては桁外れに詳しくなければならない。
そういう観点に立つと『愛』は、どのくらいまで詳しい知識を持っている必要があるのかの指針になる。
『愛』は新書版にもなったし、中古での入手も可能なので、その辺りに着眼点を絞って読めばファンタジー分野で新人賞を狙うアマチュアにとっては、役に立つ〝傾向と対策?本になるように思われる。
キリスト教に関しては聖灰だとか〝聖なる遺物?が定番だが『愛』で物語の基軸になるのは〝聖なる鏡?で、これを巡っての冒険活劇となり、『三銃士』の主人公のダルタニアンや高名なる画家のベラスケスまでもが登場する。ファンタジー部分のヒロインの魔女は、ベラスケスの妻となるが、時空を超える魔力を持っている(以下、ネタバレ注意)。
物語の舞台の中世ヨーロッパの歴史や、鏡の製法(当時はイタリアの特産品で、製法の国外持ち出しが、厳しく禁じられていた)などの時代考証も、恐ろしく詳しい。
特にヨーロッパ史はファンタジーにおいて好んで書かれる分野なので、どこまで詳しさが求められるのか『愛』は参考になる。
現代(近未来)の量子コンピュータを巡る物語と中世ヨーロッパのファンタジーとが交互に出てくるのが読みにくいが、その理由もエンディングまで行くと、明らかになる。現代側ヒロインの太良橋鈴は中世フランスの文献を量子コンピュータで解析する作業に取り組んでいるのだが、とにかく文献が古くて、随所に欠落などがあるので、その間隙を埋めていく解読に、えらく苦労をさせられる。
で、ファンタジー部分は、実は、鈴が解読しようと量子コンピュータを稼働させている間に、いつの間にかコンピュータが思考能力のようなものを備え、欠落部分や矛盾点を解消するためにデッチ上げた物語なのだ、という事実が最後の最後で明かされる。この辺りの、SFと中世ファンタジーの組み合わせ方も巧い。
受賞できるかどうかは、書く前から決まっていた! あらすじ・プロットの段階で添削するのが、受賞の近道!
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自分に合った文学賞はどれ? どこに応募すればいい? あなたの欠点を添削しつつ、応募すべき文学賞を教えます。
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若桜木先生が送り出した作家たち
日経小説大賞 |
西山ガラシャ(第7回) |
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小説現代長編新人賞 |
泉ゆたか(第11回) 小島環(第9回) 仁志耕一郎(第7回) 田牧大和(第2回) 中路啓太(第1回奨励賞) |
朝日時代小説大賞 |
木村忠啓(第8回) 仁志耕一郎(第4回) 平茂寛(第3回) |
歴史群像大賞 |
山田剛(第17回佳作) 祝迫力(第20回佳作) |
富士見新時代小説大賞 |
近藤五郎(第1回優秀賞) |
電撃小説大賞 |
有間カオル(第16回メディアワークス文庫賞) |
『幽』怪談文学賞長編賞 |
風花千里(第9回佳作) 近藤五郎(第9回佳作) 藤原葉子(第4回佳作) |
日本ミステリー文学大賞新人賞 | 石川渓月(第14回) |
角川春樹小説賞 |
鳴神響一(第6回) |
C★NOVELS大賞 |
松葉屋なつみ(第10回) |
ゴールデン・エレファント賞 |
時武ぼたん(第4回) わかたけまさこ(第3回特別賞) |
新沖縄文学賞 |
梓弓(第42回) |
歴史浪漫文学賞 |
扇子忠(第13回研究部門賞) |
日本文学館 自分史大賞 | 扇子忠(第4回) |
その他の主な作家 | 加藤廣『信長の棺』、小早川涼、森山茂里、庵乃音人、山中将司 |
新人賞の最終候補に残った生徒 | 菊谷智恵子(日本ミステリー文学大賞新人賞)、高田在子(朝日時代小説大賞、日本ラブストーリー大賞、日経小説大賞、坊っちゃん文学賞、ゴールデン・エレファント賞)、日向那由他(角川春樹小説賞、富士見新時代小説大賞)、三笠咲(朝日時代小説大賞)、木村啓之介(きらら文学賞)、鈴城なつみち(TBSドラマ原作大賞)、大原健碁(TBSドラマ原作大賞)、赤神諒(松本清張賞)、高橋桐矢(小松左京賞)、藤野まり子(日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞) |
若桜木虔(わかさき・けん) プロフィール
昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センター、読売文化センター(町田市)で小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。