メフィスト賞 その2
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文学賞を受賞するにはどうすればいいのか、傾向と対策はどう立てればよいのか。
多数のプロ作家を世に送り出してきた若桜木虔先生が、デビューするための裏技を文学賞別に伝授します。
成立していないトリックを
書いてはならない
今回は前回に引き続きメフィスト賞を取り上げ、第四十九回(二〇一三年)受賞作の『渦巻く回廊の鎮魂曲(レクイエム) 霊媒探偵アーネスト』(風森章羽)と第三十七回(二〇〇八年)受賞作の『パラダイス・クローズド』(汀こるもの)の二作について論ずる。
理由は、どちらも新本格の「館」ものだ、という点が共通しているからで、この二作を併せ読むと、選考に当たっている講談社編集部の意図が、垣間見えてくるからである。
「館」 ものとは、端的に言って、世間の常識では考えられない建築デザインの巨大な屋敷で連続殺人事件が起き、そのどれもが密室殺人事件で、しかも降雪だとか豪雨 だとか台風だとかで館から外に出られない。電話線も切れるなり、意図的に切断されるなどして一一〇番通報ができず、携帯電話も圏外で通じない。つまり、事 件が解決するまで警察の関与がない、といった点が共通している。
本格ミステリーの中でも独立したジャンルになった感があるほどで、固定 ファンも多く、それなりの売れ行きが見込める。だが、だからといって『渦巻く回廊』のような作品を世に出してはいけない。読者を馬鹿にしている。なぜなら ば、肝心のトリックが成立していないからで、ミステリー系の新人賞に応募したら、その点を指摘されて一次選考で落とされることは、明白だからだ。
(以下、ネタバレ注意)事 件が起きる藤村邸には、ちょうど蝸牛の殻のように二回の螺旋(円形ではなく角形だが)を巻いたギャラリーが二階にあって、中へ中へと入っていく構造なの で、最奥の部屋は行き止まりになっている。つまり、入口に施錠すると、内部は窓も何もない密室となり、ここで殺人事件が発生する。
ところ が、このギャラリーはエッシャーの騙し絵のように微妙に下り勾配になっていて、最奥の部屋は実は一階になっている。そこに隠し扉があって外に出られるので 実は密室ではない、という、いわゆる抜け道トリックなのだが、下り勾配が気づかれないためには、よほど緩い勾配でないといけない。
大多数 の人が気づかない勾配率は百メートル行く間に一メートルほど下るもの。階高を三メートルとして最奥の部屋に行くまでに三百メートル以上は歩くことが必須だ が、作中の図で測るとギャラリーの入口から最奥の部屋まで十二センチ。つまり一センチが二十五メートル以上ないと下り勾配に気づかれることになる。
ギャラリーの幅が七ミリだから、十二・五メートルで、宿泊客のための部屋が各室三十七・五メートル×二十五メートルで、一部屋の広さが九百三十七・五平米となる。一流ホテルの超豪華なスイートルームでも、せいぜい三百平米ぐらいしかない。
通 廊の幅が十二・五メートルもあるギャラリーなど、有り得ないし、各客室が九百平米以上あるのも有り得ない。ごく普通の体育館の床面積が六百平米ぐらいで、 国立代々木第二体育館の面積が千六百平米だから、各客室が九百平米以上という設定が、どれほど馬鹿げているか理解できるだろう。部屋が広すぎて、冷暖房が 効かないし、天井が落ちないように耐震設計するには、柱をよほど頑丈な鉄骨構造にする必要がある。
新本格ミステリーにおいては、探偵役のキャラも重要だが、何といっても密室トリックである。新奇のアイディアが捻り出せなくても、一応は読者に、目新しいトリックが使われているかのような錯覚を起こさせなければならない。
『渦巻く回廊』のような「成立していないトリック」で読者の気を惹こうというのは詐欺である。
その点で『パラダイス・クローズド』のほうが格段に優れている。
ここで使われている密室トリックは、既に多数の既存作があるトリックに若干の捻りを加えた程度で、それに、一卵性双生児の入れ替わりトリックを組み合わせたもの。
あっと驚かせるようなトリックは皆無だが、登場人物が語る、魚や海産動物の生態や生体毒(河豚毒など)に関する詳細な蘊蓄が素晴らしい。
ミステリー志望者がサイドラインを引いて自作を書く際の参考資料として使いたくなるくらいの、ハイレベルな蘊蓄が語られている。
本格トリックにさほど斬新さがなくても、これほど専門的な蘊蓄が高度で理解しやすく、しかも、その蘊蓄が登場人物のキャラに直結しているとなれば、新人賞受賞も文句ない。
惜しむらくは物語の時系列が狂っていることで、冒頭に出てくる密室殺人事件は、物語の半ば近くになって起きる事件を、持ってきたもの。
これは横溝正史ミステリ大賞受賞作の『首挽村の殺人』(大村友貴美)と全く同じ手法だが、一つの殺人事件を二度に亘って使うやりかたは、一部の選考委員が嫌っているので、できれば、やらないほうが良い。
エンターテインメントではエピソードを出来事の順番通りに並べるのが鉄則で、これを厳守しようとすると、インパクトがあって、なおかつ斬新だ、という冒頭を考え難いが、そこを何とか知恵を絞らなければ、新人賞を射止めて文壇にデビューする大望は、なかなか果たせない。
受賞できるかどうかは、書く前から決まっていた! あらすじ・プロットの段階で添削するのが、受賞の近道!
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自分に合った文学賞はどれ? どこに応募すればいい? あなたの欠点を添削しつつ、応募すべき文学賞を教えます。
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若桜木先生が送り出した作家たち
日経小説大賞 |
西山ガラシャ(第7回) |
---|---|
小説現代長編新人賞 |
泉ゆたか(第11回) 小島環(第9回) 仁志耕一郎(第7回) 田牧大和(第2回) 中路啓太(第1回奨励賞) |
朝日時代小説大賞 |
木村忠啓(第8回) 仁志耕一郎(第4回) 平茂寛(第3回) |
歴史群像大賞 |
山田剛(第17回佳作) 祝迫力(第20回佳作) |
富士見新時代小説大賞 |
近藤五郎(第1回優秀賞) |
電撃小説大賞 |
有間カオル(第16回メディアワークス文庫賞) |
『幽』怪談文学賞長編賞 |
風花千里(第9回佳作) 近藤五郎(第9回佳作) 藤原葉子(第4回佳作) |
日本ミステリー文学大賞新人賞 | 石川渓月(第14回) |
角川春樹小説賞 |
鳴神響一(第6回) |
C★NOVELS大賞 |
松葉屋なつみ(第10回) |
ゴールデン・エレファント賞 |
時武ぼたん(第4回) わかたけまさこ(第3回特別賞) |
新沖縄文学賞 |
梓弓(第42回) |
歴史浪漫文学賞 |
扇子忠(第13回研究部門賞) |
日本文学館 自分史大賞 | 扇子忠(第4回) |
その他の主な作家 | 加藤廣『信長の棺』、小早川涼、森山茂里、庵乃音人、山中将司 |
新人賞の最終候補に残った生徒 | 菊谷智恵子(日本ミステリー文学大賞新人賞)、高田在子(朝日時代小説大賞、日本ラブストーリー大賞、日経小説大賞、坊っちゃん文学賞、ゴールデン・エレファント賞)、日向那由他(角川春樹小説賞、富士見新時代小説大賞)、三笠咲(朝日時代小説大賞)、木村啓之介(きらら文学賞)、鈴城なつみち(TBSドラマ原作大賞)、大原健碁(TBSドラマ原作大賞)、赤神諒(松本清張賞)、高橋桐矢(小松左京賞)、藤野まり子(日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞) |
若桜木虔(わかさき・けん) プロフィール
昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センター、読売文化センター(町田市)で小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。
文学賞を受賞するにはどうすればいいのか、傾向と対策はどう立てればよいのか。
多数のプロ作家を世に送り出してきた若桜木虔先生が、デビューするための裏技を文学賞別に伝授します。
成立していないトリックを
書いてはならない
今回は前回に引き続きメフィスト賞を取り上げ、第四十九回(二〇一三年)受賞作の『渦巻く回廊の鎮魂曲(レクイエム) 霊媒探偵アーネスト』(風森章羽)と第三十七回(二〇〇八年)受賞作の『パラダイス・クローズド』(汀こるもの)の二作について論ずる。
理由は、どちらも新本格の「館」ものだ、という点が共通しているからで、この二作を併せ読むと、選考に当たっている講談社編集部の意図が、垣間見えてくるからである。
「館」 ものとは、端的に言って、世間の常識では考えられない建築デザインの巨大な屋敷で連続殺人事件が起き、そのどれもが密室殺人事件で、しかも降雪だとか豪雨 だとか台風だとかで館から外に出られない。電話線も切れるなり、意図的に切断されるなどして一一〇番通報ができず、携帯電話も圏外で通じない。つまり、事 件が解決するまで警察の関与がない、といった点が共通している。
本格ミステリーの中でも独立したジャンルになった感があるほどで、固定 ファンも多く、それなりの売れ行きが見込める。だが、だからといって『渦巻く回廊』のような作品を世に出してはいけない。読者を馬鹿にしている。なぜなら ば、肝心のトリックが成立していないからで、ミステリー系の新人賞に応募したら、その点を指摘されて一次選考で落とされることは、明白だからだ。
(以下、ネタバレ注意)事 件が起きる藤村邸には、ちょうど蝸牛の殻のように二回の螺旋(円形ではなく角形だが)を巻いたギャラリーが二階にあって、中へ中へと入っていく構造なの で、最奥の部屋は行き止まりになっている。つまり、入口に施錠すると、内部は窓も何もない密室となり、ここで殺人事件が発生する。
ところ が、このギャラリーはエッシャーの騙し絵のように微妙に下り勾配になっていて、最奥の部屋は実は一階になっている。そこに隠し扉があって外に出られるので 実は密室ではない、という、いわゆる抜け道トリックなのだが、下り勾配が気づかれないためには、よほど緩い勾配でないといけない。
大多数 の人が気づかない勾配率は百メートル行く間に一メートルほど下るもの。階高を三メートルとして最奥の部屋に行くまでに三百メートル以上は歩くことが必須だ が、作中の図で測るとギャラリーの入口から最奥の部屋まで十二センチ。つまり一センチが二十五メートル以上ないと下り勾配に気づかれることになる。
ギャラリーの幅が七ミリだから、十二・五メートルで、宿泊客のための部屋が各室三十七・五メートル×二十五メートルで、一部屋の広さが九百三十七・五平米となる。一流ホテルの超豪華なスイートルームでも、せいぜい三百平米ぐらいしかない。
通 廊の幅が十二・五メートルもあるギャラリーなど、有り得ないし、各客室が九百平米以上あるのも有り得ない。ごく普通の体育館の床面積が六百平米ぐらいで、 国立代々木第二体育館の面積が千六百平米だから、各客室が九百平米以上という設定が、どれほど馬鹿げているか理解できるだろう。部屋が広すぎて、冷暖房が 効かないし、天井が落ちないように耐震設計するには、柱をよほど頑丈な鉄骨構造にする必要がある。
新本格ミステリーにおいては、探偵役のキャラも重要だが、何といっても密室トリックである。新奇のアイディアが捻り出せなくても、一応は読者に、目新しいトリックが使われているかのような錯覚を起こさせなければならない。
『渦巻く回廊』のような「成立していないトリック」で読者の気を惹こうというのは詐欺である。
その点で『パラダイス・クローズド』のほうが格段に優れている。
ここで使われている密室トリックは、既に多数の既存作があるトリックに若干の捻りを加えた程度で、それに、一卵性双生児の入れ替わりトリックを組み合わせたもの。
あっと驚かせるようなトリックは皆無だが、登場人物が語る、魚や海産動物の生態や生体毒(河豚毒など)に関する詳細な蘊蓄が素晴らしい。
ミステリー志望者がサイドラインを引いて自作を書く際の参考資料として使いたくなるくらいの、ハイレベルな蘊蓄が語られている。
本格トリックにさほど斬新さがなくても、これほど専門的な蘊蓄が高度で理解しやすく、しかも、その蘊蓄が登場人物のキャラに直結しているとなれば、新人賞受賞も文句ない。
惜しむらくは物語の時系列が狂っていることで、冒頭に出てくる密室殺人事件は、物語の半ば近くになって起きる事件を、持ってきたもの。
これは横溝正史ミステリ大賞受賞作の『首挽村の殺人』(大村友貴美)と全く同じ手法だが、一つの殺人事件を二度に亘って使うやりかたは、一部の選考委員が嫌っているので、できれば、やらないほうが良い。
エンターテインメントではエピソードを出来事の順番通りに並べるのが鉄則で、これを厳守しようとすると、インパクトがあって、なおかつ斬新だ、という冒頭を考え難いが、そこを何とか知恵を絞らなければ、新人賞を射止めて文壇にデビューする大望は、なかなか果たせない。
受賞できるかどうかは、書く前から決まっていた! あらすじ・プロットの段階で添削するのが、受賞の近道!
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自分に合った文学賞はどれ? どこに応募すればいい? あなたの欠点を添削しつつ、応募すべき文学賞を教えます。
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若桜木先生が送り出した作家たち
日経小説大賞 |
西山ガラシャ(第7回) |
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小説現代長編新人賞 |
泉ゆたか(第11回) 小島環(第9回) 仁志耕一郎(第7回) 田牧大和(第2回) 中路啓太(第1回奨励賞) |
朝日時代小説大賞 |
木村忠啓(第8回) 仁志耕一郎(第4回) 平茂寛(第3回) |
歴史群像大賞 |
山田剛(第17回佳作) 祝迫力(第20回佳作) |
富士見新時代小説大賞 |
近藤五郎(第1回優秀賞) |
電撃小説大賞 |
有間カオル(第16回メディアワークス文庫賞) |
『幽』怪談文学賞長編賞 |
風花千里(第9回佳作) 近藤五郎(第9回佳作) 藤原葉子(第4回佳作) |
日本ミステリー文学大賞新人賞 | 石川渓月(第14回) |
角川春樹小説賞 |
鳴神響一(第6回) |
C★NOVELS大賞 |
松葉屋なつみ(第10回) |
ゴールデン・エレファント賞 |
時武ぼたん(第4回) わかたけまさこ(第3回特別賞) |
新沖縄文学賞 |
梓弓(第42回) |
歴史浪漫文学賞 |
扇子忠(第13回研究部門賞) |
日本文学館 自分史大賞 | 扇子忠(第4回) |
その他の主な作家 | 加藤廣『信長の棺』、小早川涼、森山茂里、庵乃音人、山中将司 |
新人賞の最終候補に残った生徒 | 菊谷智恵子(日本ミステリー文学大賞新人賞)、高田在子(朝日時代小説大賞、日本ラブストーリー大賞、日経小説大賞、坊っちゃん文学賞、ゴールデン・エレファント賞)、日向那由他(角川春樹小説賞、富士見新時代小説大賞)、三笠咲(朝日時代小説大賞)、木村啓之介(きらら文学賞)、鈴城なつみち(TBSドラマ原作大賞)、大原健碁(TBSドラマ原作大賞)、赤神諒(松本清張賞)、高橋桐矢(小松左京賞)、藤野まり子(日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞) |
若桜木虔(わかさき・けん) プロフィール
昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センター、読売文化センター(町田市)で小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。