受賞のコトバ 2016年8月
ジャンルを問わない長編エンターテインメント小説を募集。選考委員は第24回から石田衣良、角田光代、中島京子、葉室麟、三浦しをん。大賞受賞者には賞金500万円と時計が贈られる。
(主催:日本文学振興会)
受賞者:蜂須賀敬明(はちすか・たかあき)
1987年、神奈川県生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。趣味はサイクリング、読書、食事、野球観戦、ゲーム。好きな作家はW.フォークナー、村上春樹。受賞作『待ってよ』は、文藝春秋より刊行予定。
真に己を知る
彼を知り己を知れば百戦殆あやうからず、という故事があります。相手のことを知り、自分のことも分かっていればどれだけ戦っても安心だよ、という意味です。現代はとかく情報社会ですので、文学賞に小説を送りたいと思い立ったら、本誌のように親切な雑誌もありますし、インターネットで検索もできるので『相手』のことを知るには事欠きません。ですが、『相手』を知りすぎるあまり、『自分』の執筆をおろそかにしてしまうことが最も危ういと言えるでしょう。もちろん受賞を目指すことにはなりますが、大切なのは小説を送りたい(あるいは書きたい)と思った動機です。どうして自分はこの物語を書きたいと思ったのだろう、この登場人物はなぜ自分から生まれてきたのだろう、そういった自分にしか解決できない疑問とぶつかっていくことが、『己を知れば』の部分になると思います。
執筆は孤独な作業なので、不安に駆られることも当然あります。心が弱った時というのはうまい話に乗せられやすく、執筆の極意と銘打った本や都合のいい噂話に手を伸ばしてしまいそうになりますが、その弱った時こそ真に己を知る絶好の機会と言えるでしょう。もがいた末に結果が出なくとも、体は経験としてしっかりそのもがきを記憶しています。そして、もがきが積み重なるにつれて、描かれる物語やキャラクターにリアリティが生まれ、説得力を持つ小説が生まれてくるのだと思います。執筆が辛いと感じる時は、自分にしか書けないものに迫っている証拠でもあります。執筆は長丁場ですから、辛さや孤独を時にポジティヴに解釈することも重要です。
小説はフィクションですが、小説に嘘はつけません。どれだけ虚勢を張ろうとも書かれた小説には等身大の自分が写し出されています。人が夢中になる小説というのは、著者を大きく見せようとする嘘ではなく、読者のことを思って書かれた全力の嘘を示します。未熟さや拙さをひとまず受け入れて、それでも伝えたい物語を何とか描いていこうという気持ちで書かれた作品には必ず読者を惹きつける力が宿ります。小説を書きたいというはじめの衝動を大切に、お互い執筆を頑張っていきましょう。
受賞作:『待ってよ』
世界的なマジシャンであるベリーは、あるとき海沿いの街での公演を引き受ける。ところが、そこは時が逆さまに流れる街だった。老人として生を授かり、赤ん坊に戻って、娘の胎内に還るという運命を背負った人々。彼らと暮らしていくうちに、いつしかベリーは、孤独なだけの人生から、人と心を通い合わせることの喜びを感じられるようになる̶̶。
生活・暮らしの基本を構成する「衣食住」のいずれか1つ、もしくは複数がテーマやモチーフとして含まれた小説を募集。選考委員は飯島奈美、石田千、幅允孝。大賞受賞作は単行本として出版され、規定の印税が支給される。
(主催:産業編集センター出版部)
受賞者:和田真希(わだ・まき)
1984年、静岡県生まれ。多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。農業を営む。好きな作家は鴨長明、川崎長太郎、坂口安吾。受賞作『遁(とん)』は改題して、産業編集センターより刊行予定。
純粋さが私のなかに眠っていた
私はもともと絵描きでした。しかし、絵がヘタクソでした。小さなときからぴりぴりと感じていた、私と、私以外のあいだにあるこの、埋めがたい余白。そこを絵の具で塗っていくことに限界を感じたときに、救ってくれたのは言葉でした。でも言葉をどうやって繋いでいったらいいのか分からない。パソコンさえない大学生だったので、下北沢の雑居ビル地下にある漫画喫茶の個室で毎日のたうちまわりながら言葉を選び、言葉を並べ続けました。あまりに困難なその道の途中で、やっぱりやめてしまおう、別に壮大なことをしなくても生きていけるじゃないかと、作品に仕上げることもできないまま懊悩し、お茶を濁し、ロクでもない二十代が過ぎました。過程を自ら妥協したのですから、当然結果などあるはずもなく、虚しさをつかんではまた虚しくなり、その日常に耐えられなくなって、やっぱり真剣に書こう! となったのは三十代に入ってから。「三十にして立つ」って本当だったんだ! 格言の正しさと、自分の愚かさに呆れ返りました。
「知らなさ」「弱さ」をなぞることを許し、表現として優しく外の世界にそれを出すのを認めてくれるのが言葉なのだと分かった直後から、ぐいぐいと背中を押されました。「いいから書け、書け」と。流星のようにパソコンの上で指を走らせました。うっかり年をとったせいでもう既婚子どももいるなかで、執筆のための時間を捻出させることがもっとも大変で、捻出したからには絶対に全力でやってやるという鬼気迫る私を見て家族はよほど慄(おのの)いたことと思います。
これは邂逅です。「暮らしの小説大賞」とは、そのようなうねりのなかで出会った文学賞でした。書いて応募することに、まったく抗えなかった。書かないという選択肢がなかった。まるで昔からすべてを覚悟していたかのように、私は今、大賞をいただいてここにいます。計らうことなく、書いていく。望むらくはこの姿勢をこれからも保っていきたい。この賞の向こう側にいる、まだ知らない誰かに会いに行きたい。まだ知らない世界を見たい。この純粋さが私のなかに眠っていたことを、一番に歓喜したのは、私なのでした。
受賞作:『遁(とん)』
母親、姉……家族との関係がうまくいかず、精神的にも肉体的にも追いつめられた絵梨。あるとき地元新聞の記事がきっかけで、山奥での農的生活を始める̶̶。五感を使って暮らしていくことの前向きさと、農業のリアリズムを捉えた作品。