第20回「小説でもどうぞ」佳作 誇り 田村恵美子
第20回結果発表
課 題
お仕事
※応募数276編
誇り
田村恵美子
田村恵美子
春の日差しが降り注ぐエントランスホールの真ん中で、山下隆は我に返った。すでに午後だ。四十歳から二十年間ここで働いてきて、初めて遅刻をしてしまった。胸をじりじりさせ慌てて歩き出すと、突き当たりにある職員用のドアの前に、一人の男の子が立っているのに気付いた。紺のブレザーにズボンをはいた小学校の三、四年生くらいの男の子だ。
「申し訳ありませんが、そこは職員しか入れませんよ」と、隆が背後から声をかけた。
振り向いた男の子は、目を真っ赤にして顔中を歪めて泣いていた。棺を見送るのが切なくて一人でいるのだろうと、隆は察した。
「私はここの職員の山下です。先に待合室に行きますか? そこまで案内しましょうか」
目を丸くして男の子は隆をしばらく見つめてから、微かに震える口を開いた。
「ここでは人が、焼かれているの?」
男の子の言葉が、隆の心に突き刺さった。
「亡くなった方を焼却することを火葬といいます。確かにここは火葬をする施設です」
ざわつく感情をなだめて隆は説明した。
「どうして、焼かなくちゃいけないの?」
隆は男の子の眼に微かな怒りを感じた。この子は誰を亡くしたのだろうか。行き場のない思いに、押しつぶされそうなのだろう。
「亡くなった方を埋葬する、つまりお墓に入れるために火葬を行います」
男の子の目から大粒の涙が溢れる。大切な人の体が消えてしまうことは、確かにつらい。火葬場で働く隆にはそれが痛いほどわかる。
「衛生的なことや土地の問題で今は火葬が多いのですが、私は火葬技師として長い間ここで働いてきて、思うことがあります」
すがるような瞳で男の子が隆を見た。
「火葬することによって、亡くなった方は次の世界へ行く覚悟ができるのではないかと」
「次の世界?」
「死ぬことはただの通過点で、私たちは亡くなるとそこを通り抜け、次の世界に旅立っていくのだと、私は思うんです」
ほんの僅かだが、男の子の表情が和らいだ。
「亡くなった方は火葬されることで、役目が終わった体に別れを告げ、次の世界へ旅立つ気持ちになれるのではないかと思います」
男の子を慰めるつもりではあったが、それは隆が常々思っていることだった。いつでも見送るような気持ちで火葬を行っていた。
男の子はまっすぐに隆を凝視しながら、
「僕に、火葬しているところを見せてください」と、凛とした声で言った。
子どもに見せるべきではないとわかっていたが、隆はこの子に火葬の仕事を知ってほしかった。コクリと頷くと、隆は目の前のドアを開け、男の子と一緒に中に入った。
狭い通路を少し歩くと、ゴーっという大きな音が聞こえてきた。何台もの機械たちが立ち並ぶ工場のような光景が目の前に広がる。火葬炉の裏側だ。隆と男の子は少し離れた場所から、作業の様子を見つめた。
一台の炉の前で、後輩の鈴木が炎でオレンジ色に染まる小さな窓の中を覗きながら、中に差し込んだ長い鉄の棒を動かしていた。
「人が焼けるところを見ているの……」
男の子の顔が青ざめて引きつった。
「中を確認して火力を調節したり、ご遺体を動かしたりして、きちんと骨が残るように焼くことが私たち火葬技師の仕事なのです」
「怖くないの?」
「正直に言うと、最初は少し怖かったです」
隆の言葉に、男の子の表情が曇った。
「だけど目を背けたら、亡くなった方に失礼だと思いました。故人様の最後の姿をしっかりと見送るのも、私たちの仕事です」
男の子の顔にほのかな安堵の色が見えた。
「それに、遺された方たちのためにも、きれいに遺骨を残さないといけないんです」
「遺された人のため?」
「火葬が終わると次に、収骨といって遺族の方たちで骨壺という入れ物に骨を納めます。収骨をすることで、遺族の方も少しずつ大切な方の死を受け入れていくのだと思います」
話しているうちに、鈴木の前の窓が暗くなった。どうやら火葬が終わったようだ。
「ぼく、一年間頑張ったけど、病気に負けちゃったんだ」
男の子はさみしそうに言った。
「さっきまでとても怖かったんだ。でも、もう大丈夫。しっかり見送ってもらえたから」
笑顔を浮かべた男の子の姿がスッと消えた。戸惑う隆が、男の子を探して周りを見回していると、同僚の職員たちが、先ほどの炉の隣の火葬炉の方へと集まってきた。
「突然のことに、まだ信じられません。山下さん、今まで本当にお世話になりました」
一人がそう言いながら点火スイッチを押した。炉に向かい皆が手を合わせている。すすり泣く声が聞こえる。隆はふと思い出した。
ああ、そうだった。私は今日、仕事をするためにここへ来たのではなかった。
(了)