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第20回「小説でもどうぞ」佳作 ミシンと短波放送 宇田川千鶴子

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第20回結果発表
課 題

お仕事

※応募数276編
ミシンと短波放送 
宇田川千鶴子

 わたしは小学校三年生で、背は小さいけれど駆けっこが得意な千代といいます。
 家は文京区湯島にあり、お爺ちゃんとお父さんとお母さんとわたしの四人家族で、ずっと以前は小売りの酒屋でしたが、前のお爺ちゃんが凝り性で店を少しだめにして、今のお爺ちゃんは兜町通いが止まらずに、もっとひどくしたそうです。
「水ものはもう駄目だから、職人になれ」
 素直なお父さんは戦争から帰ったばかりなのに浅草の傘屋に奉公に行かされてしまい、何年かわかりませんが、片手にドイツ製の小型ミシンを持ち、もう片手に親方のお嬢さんを連れて、昭和三十年頃に三河屋の看板のまま洋傘屋を始めたと、親戚のおじさんたちが言っていました。お父さんは傘作りの腕は良くても値段をおまけしてしまう癖があって、店の天井からキレイな傘がぶら下がって見栄えはとてもいいのですが、家の中は地味でした。それにお母さんがお多福顔でおっとりしているうえ、外からは困った様子なんてわかりませんから、お祭りの寄付もよその店よりも多いらしくて大変そうです。
 それに、七十歳を過ぎても経済新聞を隅っこまで読むお爺ちゃんは今でも山師みたいな性格のままだから、また店が傾いたら今度は孫のわたしにまで手に職をつけてこいと言いそうで油断がならないし、三年生になったら何だかユウウツなことが増えたなと感じて、同級生で級長の手芸屋の花ちゃんに相談しました。
「どうしようもないときは神だのみだよって、おばあちゃんがよく言っていたよ」
 わたしと同じように思ってほしいと花ちゃんに期待しても、あさっての方角みたいな返事が返って来るし、ほかに知恵もないから、上野の山にいくらでもいる神様にお参りをしようと、家にあったお煎餅を持って出かけました。次々に鈴を鳴らし、お願いしますと手を合わせ、これくらいでいいかなと不忍池まで降りてくると、池の表面に波が立って蓮の葉の間をアメンボが泳いでいました。
「花ちゃんのお店は、どんなふうなの」
「すぐそこに赤札堂があるし、生地も毛糸も前よりかは売れないって」
 商店街の子どもは、家族が団子みたいに暮らしているせいか、おばさんみたいな話し方になることが多くて、どこの子もみな老けています。今日のわたしなんかは特に老け込んでいて、弁天様にお参りした辺りから、先月、羊羹食べて昼寝してそのまま亡くなった花ちゃんのおばあちゃんが、両手を後ろ手に組んでわたしの肩に顎を乗せ、柳の新芽を嗅いでいる気がしていました。帰ってからそのことを玄関先で仕事をしているお父さんに話すと、ぎょっとした顔をして手廻しのミシンを止めてうーんと言い、黙ってしまいました。
 次の朝、この傘を届けてくれとお父さんが押し付けてきたので、誰の傘なのと聞くと、
「花ちゃんのおばあちゃんが夏に使いたいからって、おとといの夕方きた」
 わたしはゾッとして傘をつかんで飛び出すと、家のどこの戸口にでも貼ってある魔よけ札がなるべく目の端に入るように走りました。水玉模様の日除けテントが掛けてある手芸屋が見えると、しゃくり上げながら大声で花ちゃんを呼んでいました。
「朝から泣いたら、晩まで泣くことになるよ」
 花ちゃんは偉い子なのに、つられたように寂しそうな顔をしました。
「千代ちゃん、わたしね、おばあちゃんがいなくなるって、ちっとも思わなかったの」
 花ちゃんは紫色のレースの傘を広げてゆっくり歩き始めると、廊下からの光が傘のガラスの柄のところで反射して、壁や襖や欄間のすき間も通り抜けてゆき、部屋中に届いていました。何度も光を飛ばす花ちゃんは、嬉しそうに振り返って言いました。
「朝ご飯を一緒にしようよ」
 花ちゃんの横で湯気の出ているご飯を食べていると、勝手口から、おはようございます、とお父さんの声がして、こちらのお婆ちゃんがいなくなったら、うちの爺さんが寂しがって……と、お爺ちゃんそっくりの声で話しているのが聞こえてきました。
 わたしは突然、縁側で短波放送を聴きながら新聞を見ているお爺ちゃんの姿が浮かんで、三河屋の看板や板の間までが拡がってきました。急に頭の中が不忍池みたいに静かに大きくなってくると、お父さんは家でするお仕事のために、本当は自分から奉公に行くと言ったのではと思えてきました。じっとしていたら花ちゃんが顔を近づけてきて、お替わりどうぞと手の平を出すものだから、見つけた大発見が逃げませんようにと、花ちゃんの真ん中の三本の指を思わず握ってしまいました。
(了)