第7回ゲスト選考委員は、直木賞作家の篠田節子さん。
アイデアの見つけ方、創作者としての心構えのほか、
篠田さん自身が言われた助言についても語ってもらった。
小説講座の課題で書いた短編を
長編にして新人文学賞に応募した
―― 小説を書き始めたきっかけはなんでしょうか。
31歳のとき、文章を書く基礎を身につければ広報課などに異動できるかと思い、カルチャースクールの小説講座を受講しました。最初の授業で、講師の多岐川恭先生から「小説家と記者、ライターは本質的には違う」と言われ、大変ショックを受けましたが、「皆さん、さあ書きましょう」ということで課題が出ましたので実作を始めました。
―― 文章教室と同じだと勘違いして受講してしまったわけですね。小説を書くのは初めてだったと思いますが、とまどいはありませんでしたか。
ありませんでした。幼い頃はゲームどころか、カラーテレビもない世代ですから、子ども同士で地べたに座ってお話を作って遊んでいました。小説はその延長です。
―― 子どもの頃はどんな系統の物語がお好きだったんですか。
ラノベとかないので児童文学ですね。ジュール·ベルヌ、コナン·ドイル、『ハックルベリ·フィンーの冒険』のマーク·トウェインなどを、漫画を読む感覚で親しんでいました。これが小説を書く素地になったと思います。
―― 海外文学が多いですね。
ほとんどそうですね。日本の児童文学もありましたが、ストーリーの起伏に乏しく、人の心の機微や人生のニュアンスは子どもには面白さがわからないんですよ。それより川下りをしたり、地底を探検したり、恐竜がいるところに冒険に行く物語のほうが楽しかったですね。
―― 小説講座を受講しながら、どんな賞に応募されましたか。
落選したものを申し上げますと、小説現代新人賞。小説現代長編新人賞の前身ですね。あとは朝日文学賞、これは純文学の賞だったようで、間違えて応募してしまいました。落ちて当然ですね。いいところまでいったのはハヤカワSFコンテスト。小説推理新人賞にも応募しました。江戸川乱歩賞は2次選考までいって落ちました。
―― 小説すばる新人賞を選んだ理由は?
時期と枚数ですね。小説講座の課題で書いた小説を書き直して長編にしたのですが、それをどこかの賞に応募したくて。
―― それが第3回小説すばる新人賞受賞作『絹の変容』ですね。
小説講座は講評をする都合上、短編のみ受け付けているので 、当初は短編でした。講師の先生や受講生に好評だったのですが、同人誌で書いている友達に、「篠田さん、これ、無理やり短編にしているよ」と指摘され、それで長編に書き直しました。
―― 「無理やり短編にしている」とは?
長編のストーリーを無理に短編にしたからあらすじになっちゃった。シーンを立てないで、説明で話を進めている部分が多かったということです。
―― 『夏の災厄』では保健予防課にいた経験が、『長女たち』では介護をした経験が生きているように思いますが、実体験は大きいですか。
実体験は大きいですが、それはあくまでもとっかかりなんですよね。実体験を書いても小説にはなりません。
―― 知っていることは題材にしやすいというのがあるかもしれません。
当時はインターネットがありませんでしたから、取材はもっぱら紙の資料でしたが、市役所勤務の経験から、図書館などのどこにどんな資料があるかわかっていたので、取材しやすいということはありました。元の同僚に「こんな資料はない?」と聞いたりもできました。
―― インターネットは大きな武器ですが、今も昔も下調べは大変ですね。
すべてはゼロから勉強し直し、資料を読み込むという感じですから、苦労しますね。
設定が根底からひっくり返り、
取材し直し、プロットからやり直し
―― 取材にはどれくらいの時間がかかりますか。
資料を読み込み、プロットを立て、書き出すまでは数ヵ月ぐらいではないですかね。
―― プロットはどの程度の分量ですか。
ざっくりしたもので、思いついたセリフも書き込んでいきますが、A4判の用紙に2、3枚ぐらいです。
―― そのあとはもう書くだけ?
新刊の『ドゥルガーの島』では最初にプロットを立てましたが、日本の考古学者がインドネシアに行った場合に、どういう形で調査するんだろうということが雲をつかむような状態だったので、専門家のところに取材に行きました。結果、日本人が海外の遺跡を勝手に調査するなどとんでもない、と。たとえ発見しても国や県の機関に「それらしいものがありました」と届けて終わり。触るのは学者でも専門家でも犯罪になります。詳しくは「ドゥルガーの島」に書いたとおり。
―― 主人公の加茂川は好奇心旺盛で、この性格がストーリーを牽引しますが、人物造形という意味ではどの程度、作り込んだのですか。たとえば、人物の履歴、経歴とか。
市販の履歴書のようなものは作りませんが、いつ生まれて、何年に大学を卒業し、何年に入社したのかとかは書いておきます。そうしないと、あとで矛盾が起きます。この年代なのに、こんなことを知っているのはおかしいとか。「おれが学生時代にこんな事件があって」と言ったときに、いやまだその事件は起きてないとか。なので人物年表は作りますね。
―― 性格の部分の人物造形はどうでしょうか。
冒険小説に出てくるヒーローには現実感がなくて白けるものですから、アンチヒーローでいくか、と。一方、新興国に行ってそれなりにきっちりお仕事をしてきたビジネスマンはまわりにたくさんいますので、そのあたりの雰囲気はわかります。経歴などは違いますが、実在の人物をイメージしたところもあります。
―― 人物像やプロットは書きながら変わっていきますか。
書くうちに、これはリアルじゃないだろうということが出てきますね。これを強行すると、ドラマとしては面白くなる。でも、常識ある社会人が読んだら、「ばかばかしい。エンターテインメントだとしてもいい加減にしろ」という展開になると、書きながら気づくことがあります。
現地のこの法律からするとこれは成立しないとか、この民族の習慣からするとこの展開はあり得ないとか、調べると出てくるんです。強引にやっても気づかれない場合もあるでしょうし、面白ければなんでもありの部分もありますが、私はやりません。
硬い文章が載っている科学書が、
意外とアイデアの宝庫である
―― 1日の中で、どの時間帯に執筆されますか。
年をとると早朝覚醒で(笑)。朝日が昇る前か、昇った直後ぐらいから、コーヒーを飲み、果物ぐらいをとってパソコンに向かいます。それから朝食を挟んでずっと書いて、11時ぐらいになると使いものにならなくなるので終わります。時間にして4、5時間ですが、それは書いている時間であって、資料を読んだり、取材をしたりするのは午後、あるいは夜になることもあります。
―― 注文がなくても書くと聞いたことがありますが、今もそうですか。
今も思いつくと書いていますね。ずっとそれでやってきました。面白いと思ったら書き始め、そのうちきっと誰かが注文してくるだろうから、ちょうどいい枚数だったら渡せばいいや、状態です。長編は取材もあるのでストックはないですが、100枚ぐらいの中編ならいきなり書いてしまいますね。
―― アイデアベースでのストックもあると思いますが、それはプロットに仕上げておくのですか。
この段階ではプロットは作らず、走り書きみたいな感じですね。主人公のセリフだけとか。また、刺激を受けた文章やアイデアのきっかけを作ってくれるような一節があったら、そのまま書き写しておきます。
―― アイデアメモといった感じですかね。
このとき、気をつけなくてはいけないのは、うっかりそのまま作品の中で使ってしまうと、盗用、著作権侵害ということになります。そうならないようにパソコンに残すときに文字の色を変えておくんですよ。自分で作った文章は黒で、どこかから転記したものは青にしておきます。
―― アイデアの引き出し方の手立てはありますか。
報告書とか論文とか新聞の経済記事とか意外と硬い文章がアイデアの宝庫なんですよね。「日経サイエンス」とか文系の者にとってはアイデアの宝庫です。小説や文学とはかけ離れた分野から得たアイデアのほうが人と違うものが書けます。小説はオリジナリティーがすべてなので、映画やドラマや先行作品に啓発されて書くのは、あまりやりません。
―― 科学雑誌などの中に未知のことや疑問があったら、それに創作的に答えてだしていくみたいなことですかね。
科学はエビデンスがないとだめなんですが、小説の場合は事実と事実をイメージと連想でつなげて虚構の世界を造り上げることができます。歴史小説などもそうだと思いますね。
―― これまで多くの文学賞の選考委員をされてきましたが、いい小説とそうでない小説はどのようにして見分けますか。
新人賞の場合は、書いている人の熱意や真剣に取り組んでいる姿勢が伝わってくることですね。「これを書きたいんだ」「一生懸命書いている」ということが感じ取れると小説としての技法がいまいちでも、そこに点数を入れてしまいますね。
―― 逆に評価されない作品は?
「この頃、流行ってる小説はこんな感じだよね、私もやってみた」風の小説を選考委員は一目で見抜きます。傾向と対策をして、起承転結でまとめて、「はい、あがり」みたいな作品ですね。
―― 作品の優劣だけでなく、作家として生き続けていく資質や姿勢が問われるのかもしれません。
真摯に作品を仕上げていく意欲が作品全体から滲みでていると、下手でも推しますね。小説家はそういう地味な作業を延々と続けなければいけないわけですから、それに耐えられないといけません。やっぱり好きでないと、そして、熱意がないと続かないですね。