第6回W選考委員版「小説でもどうぞ」発表 選考会の模様が読める! 次作の指針になる!
選考会では両先生が交互に感想を言い合い、採点しています。作品の内容にも触れていますので、ネタ割れを避けたい方は下記のリンクで事前に作品をお読みください。
1981年『さようなら、ギャングたち』でデビュー。すばる文学賞、日本ファンタジーノベル大賞、文藝賞などの選考委員を歴任。
滋賀県生まれ。2007年にBL作品でデビュー。2020年『流浪の月』で、2023年には『汝、星のごとく』で本屋大賞を受賞。
書き方によって
物語はリアリティーを増す
来るものが欲しい
高橋7歳のオレが学校から帰ると、母親がいなくなっていた。オレは棟梁に育てられ、大人になるが、そんな折、母親が現れる。オレは母親を許すが、本当の家族は棟梁だったという話です。
超いい話ですが、予定調和といえば予定調和。棟梁のところに戻っていくのはわかりきっているのだから、別の終わり方もあったかもしれない。文句をつけるところもないが、強く推せないという意味で、評価は△プラスです。
凪良とてもいい話でした。さわやかで気持ちがいい。反面、最初から最後まで盛り上がらずに、いや盛り上がる要素はたくさんあったのですが、書き方に盛り上がりがないというか。どこかでがつんと来るものが欲しかった。私は△をつけました。
凪良交通事故で家族を亡くし、絶望の日々を送る少女のお話。黒猫を見つけ、餌を求めてコンビニに入ったところで人の優しさに触れ、黒猫とともに生き直そうと決心する。いいお話で、これにも△をつけました。
希死念慮を真っ黒な言葉で塗りつぶさなかったのがよかった。家族の絆が天から垂らされた糸になって引っ張られるような気持ちで死にたいという思いを表現しているのが柔らかくていい。「雨に袋叩きにされていた」など表現も光っていて、センスもあります。ささやかなことが人の大切なものを救ってくれることもある。繊細な心の機微が描かれていました。
残念だったのは細部の粗さ。コンビニの店員がお客様にいきなりタオルをかぶせるだろうかとか、「あんた」と呼ぶだろうかとか。ちょっとした細部の書き方によって物語はぐっとリアリティーを増します。このあたりを丁寧に書くとよりよかったです。
高橋「あんた」とかバスタオルのところは、逆にテレビっぽくていいかなと思いました。これは難しいところで、リアリズムではないんですよね。ショートショートなので、リアルなところより、あくどいところが効いているのかも。
それより、タイトルにもなっているレアは珍しいという意味? 小説はこういう謎を残してはまずいんですよね。評価は△です。
高橋三兄弟の話。母親はとんでもない人で、結婚しては子どもをつくり、三兄弟は全員父親が違う。この夜は新しいお父さんになる人を連れてきて、母親いわく、赤ちゃんができて、今日籍を入れてきた。で、最後、俺は「よろしく、お父さん」と言う。驚くべき話ではあるが、とりとめがない。「よろしく、お父さん」とは思わないだろうし、この話は着地していないと思うから、△マイナスです。
凪良文章が軽やかで、すうっと流れていくので、最後にどんでん返しがあるのだろうかと思ったら、何もなく終わってしまいました。作者が何を伝えたかったのかもよくわからず、長い作品から3、4枚抜き出したような印象です。ですので、△マイナスまではいきませんが、△?です。
高橋とりとめのない話も可能ですが、その場合はすごみがあるとかね。オチがないと形式的には終わりにすることができませんので、読者のほうにもっとがつんと来るものが欲しい。とりとめもないけど、怖い話とか、とりとめもないけど、ずきんとするとかね。この作品の場合はとりとめがないままで終わってしまっているので、そこが残念だなと思います。
タイトルがいい
落語のような2作
読めば悪くない
凪良米寿を過ぎた留の末っ子は若い頃、行方不明になっている。留は年なりに老いてはいますが、しゃっきり生きているところがいいですね。最後のめだかが死んだとき、もう飼うのはやめようと言いますが、近所の男の子が新しいめだかを買ってくる。
この作品は素晴らしい。○プラスです。達観と諦観が入り交じった老女・留の描き方がいい。肩肘を張っていなくて、生き方が柔らかい。それでいて、この年齢なりの重みもきちっと文章から伝わってきます。
死んでしまっためだかを見て、「もうやめとこか。最後の、末っ子のめだかやったなあ」というセリフが本当に味わい深い。行方不明の末っ子はもう死んでいるんだろうという諦観がにじんでいて胸を
高橋すごくいい話です。何がいいって、タイトルがいいよね。こんな落語があったんじゃないかと思ったぐらい。末っ子と最後のめだかがかかっていて、落語的なオチがあり、家族というテーマで回収されるという見事な作品。古典落語のような情緒もある。ぼくは△プラスをつけました。
高橋タイトルに「サブスクリプション」と入れたのがなかなかオシャレですね。夏休みに実家に帰ろうとしたら、親がサブスク中。「レンタル家族」ではなく、「家族サブスクリプション」としたところにやられました。もはや時代は進化してサブスクなんだ、家族もサービスで与えられるんだと。
細かいところも好きで、両親は「祖父母、祖父、祖母」でサブスクされていて、「両親」「父」「母」を指定している人はいないとか、設定が妙に細かくて、それで最後は自分で両親を借りようとする。これも現代の落語ですよ。「レンタル家族」だったら、よくある話で終わりましたが、「家族サブスクリプション」は今この時点では面白い。人情話でもあるけど、サブスクだから湿っぽくない。ドライだよね。ぼくはこれが○です。
凪良私は△プラスにしました。つながりが希薄な今の家族関係をサブスクという言葉でうまく風刺している。70歳になるお母さんの口から「今サブスク中なの」とでてくるのもかわいいですね。親子の情愛を求めるのは母親ではなく息子のほう。最後の一行で落ちていて、とても皮肉が効いているなあと思いました。
凪良生まれたばかりの赤ちゃんが生き残る確率は20%ぐらいと宣告されてしまった夫婦。一人でも生き残るようにと父親がクローンを四体つくってしまい、それに巻き込まれた母親の大変な話です。
お父さんがいい味を出しています。子煩悩なマッドサイエンティストで、クローンをつくるのにも全然悪気がない。最後に、お母さんも五人、お父さんも五人にし、五組の家族ができあがるというパンチの効いた結末で、私は△プラスをつけました。
高橋ぼくも△プラスです。面白いよね。一言で言うとむちゃくちゃ。これね、ファンタジーとして読んだほうがいいと思うんですよ。つまり、最後に母親も四人つくり、自分も四人つくるわけでしょ。これはほぼ冗談ですね。真面目に読まないほうがいい。アイデンティティーはとか、それぞれのクローンの関係はどうなっているのと考えると物語が破綻してしまうから、考えちゃうとだめ。むちゃくちゃやっているなあと思えば爽快感があり、この乱暴な感じも悪くない。最後にオリジナルの母親がオリジナルの父親を殴って終わりというのも、物語の乱暴さをオチで回収している。ぼくは好きでした。
詰め込むこと自体に
無理がある
価値観は前時代的
高橋家電を擬人化したアイデアにやられましたという感じですね。家電はペットか家畜のようなもので、それぞれに家族があり、家電訓練士が躾ける。そのように人格化したらどういうお話になるかという思考実験小説ですね。最終的に訓練が難しく、「オール電化にしましょう」ということで終わるのですが、擬人化、擬家畜化の度合いがチャーミングで、けっこう楽しく読めました。ただ、面白いだけ。スラップスティックで好きですが、評価は△です。
凪良私も△でしたが、別の読み方をしまして、家長がかぶる家長帽がどうなんだろうと。まず、家電なのに旦那さんがかぶるんだと思い、そこに家長とあるところにカチンと来る。設定は近未来なのに、「家長=男性」というところだけ前時代的価値観。家事は妻だけがやるものではなく、まして近未来であればなおさらですから、これについて一文でも言及が欲しかったです。
高橋作者はギャグとしてやっているんだと思うんですが、家長帽をかぶった時点で、妻に突っ込まれないといけないよね。
凪良重い話でしたね。酒飲みで
この話をこのページ数に詰め込むこと自体にまず無理がありますし、タイトルに「母性」とあるのだから、もっとそこに文章を割くべきだったと思います。
また、最初と最後に「憎たらしい」という言葉がでてきます。言葉を重ねたということは何かしら意味があるはずですが、冒頭の「憎たらしい」はお父さんに向けたものであり、最後の「憎たらしい」は母になった自分が娘に対して思ったもの。「母性」をタイトルに入れているのだから、母親が自分に向けた言葉と、母親になった自分が娘に向けた言葉で重ねるべきです。これは△マイナスです。
高橋人を殺す話を書くのはかまわないですが、こういう話をとりとめなく書くのはだめだよね。読むほうが戸惑う。重い話をふらふらっと書いて、オチもない。×に近い△マイナスです。
高橋どっちもいいと思います。古典落語の情緒風にするか、現代落語風にするかだけで、優劣はほぼありませんが、ゲスト選考委員の評価を優先し、「末のめだか」を最優秀賞にしたいと思います。