第6回W選考委員版「小説でもどうぞ」最優秀賞 末のめだか 山河東西
第6回結果発表
課 題
家族
※応募数289編
末のめだか
山河東西
山河東西
留は米寿を過ぎたが、まだ豆腐屋の店番をしている。斜めむかいにある一年前にできたカフェには氷の
残った二人はそれぞれ独立し、京都を離れて愛知県、兵庫県に住んでいる。愛知県に住んでいる次男は独身のままで、兵庫県にいる娘はこどもが二人いるが、小さい頃は会いに来たものの、中学に入学したくらいから会いに来なくなった。留は寂しいとも思わず、パートの店員に手伝ってもらいながら何とか豆腐屋を続けていた。前は「ひろうす」なども売っていたが、今は商品を減らして絹ごし豆腐だけ売っている。
ヘルパーが掃除を手伝いに来てくれたりするが、留は一人で暮らしている。家族は、外の鉢にいるめだか一匹だけである。もう何回めだかを飼ったか覚えていない。ヘルパーに一匹ずつホームセンターで買ってきてもらっているが、もう十回くらいは頼んでいる。
水を変えたりもしているが、温度変化に弱いのか、急に暖かくなった日などに鉢の底で横たわっていることが多い。それを見ると、留は五男のことを思い出す。
一番下の息子は大学を卒業すると、就職も決まっていないのに東京へ行ってしまった。彼は豆腐屋をやっている留と父親に対して何かと意見をいい、「なぜもっと創造的なことをやらないのか」などと批判した。
五男は公共職業安定所で紹介された小さな業界新聞社に就職して水道のことなどを取材していたが、三年が経った年の四月のはじめ、行方がわからなくなった。アパートの大家から電話があり、もう三週間ほど部屋に帰っていないという。会社に電話すると、二月の終わりに退職していた。警察に届け出たが、そのまま行方知れずで、捜索も打ち切られた。北陸の海岸近くで似た人物を見かけたという情報もあったが、遺体などは出てこなかった。
留は店番をしながら古い手帳を開き、五人のこどもについて名前ごとに記したページを読んだ。五男の名前の横には、捜索打ち切りが決まった日が記されているほか、五男の好きだった食べ物、鳥取砂丘への家族旅行のことなどが記されていた。三歳の五男が泣いて嫌がるので、父親がおんぶしたまま砂丘を回ったことなどが書いてあった。
微笑みながら手帳を眺めていると、すいません、と中ぐらいに元気がよい、といった具合の声がした。顔を上げると、最近一人で柚子入りの豆腐を買いに来る仁という小学六年のこどもが立っていた。夏休みの間だけ母親に頼まれて買いにきている。
留がまた柚子入り豆腐一丁かと聞くと、そうですとまじめに返事をした。四角い専用の包丁で素早く一丁の大きさに切った豆腐をそっと水の中から引き上げると、仁が持ってきた銀色のステンレスのボールに入れて渡した。
おいしいかと聞くと、はい、と礼儀正しく答えた。店を出てめだかのいる鉢をのぞきこんでいたが、銀色のボールを両手に抱えたまま店の中にもどってきた。
「死んでいるみたいです」
仁は悲しいわけではないような顔でいった。「え」と留が驚くと、「めんちゃん」と仁がふざけているわけではない調子でいった。
留が見に行くと、黄色いはずのめだかが白くなって、砂利が敷かれた鉢の底に横たわっている。
「もうやめとこか。最後の、末っ子のめだかやったなあ」
留は鉢の中を見ていたが、右手を鉢の中に入れてめだかを水中で絹ごし豆腐のように手のひらに載せた。水から引き上げると、茶色の小さな紙袋にめだかを入れて、おからの余りをそっと被せ、袋の上を巻いてごみ入れの黒い箱にそっと入れた。仁が手を合わすので、留も一緒に手を合わせ、大きく息を吐いた。
数日後、つくつく法師の声を聞きながら、留はカフェの隣にある家のひまわりを眺めていた。黄色い花びらは暑さでお辞儀をしているように見えた。干からびそうな花びらのむこうから、透明の袋を両手に掲げた仁が歩いてきた。袋には小さい黄色いものが二匹泳いでいるようであった。
「買ってきましたよ」
仁はピンクのビニール紐で上が絞ってある袋を両手で差し出した。思わず留は袋を受け取った。
「おうちの人は知ってんの」
仁は返事をしなかった。鉢は水を流して洗ってあった。僕が世話をします、と仁は飼う気満々だった。留は豆腐作り用の蛇口につないである青いホースの先を鉢に入れ、取っ手をひねった。
(了)
※編集部注 「ひろうす」とは豆腐に野菜などを混ぜ込んで油で揚げた料理。地域によっては「がんもどき」「ひりょうず(飛竜頭)」とも言う。