第6回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 春と拳 吉川歩
第6回結果発表
課 題
家族
※応募数289編
選外佳作
春と拳
吉川歩
春と拳
吉川歩
「日高はおれより強くなれるぞ」
小学生になったばかりの頃、叔父の晴臣に言われた一言がオレの人生を決めた。晴臣はプロボクサーだった。俊敏な動きで、相手の懐に潜りこみ、とことん追いかけてパンチの手数で勝負を決める。笑うと周囲を和ませたが、雰囲気には凄味があった。
オレは父親を病気で早くに亡くした。そんなオレを、晴臣は昔からなにかと気にかけてくれた。自分の妹(つまりオレの母親)が心配だったのもあるだろう。
ある年の暮れ、うちに遊びにきた晴臣が「日高、腕相撲だ」と声をかけてきた。オレは晴臣と腕を組み、にらみ合い、晴臣の手をこたつに押し倒した。ファイトマネーだと言って晴臣はオレにアイスをおごってくれた。これはそのときの言葉だ。
子供ながらに晴臣が本気でなかったのは知っていた。それでも、全力を込めた。晴臣が猪首をすくめて「おっ」という顔をした。やるな、という表情だった。オレが晴臣の言葉を信じたのは、あの「おっ」があったからだ。
「強くなったら、オレを倒しにこいよ」晴臣は笑った。「返り討ちにしてやる」
その翌年、晴臣はボクサーを引退した。三十五歳で、スピードがモノを言う軽量級ではフィジカルの衰えが隠せなくなっていたのだ。入れ替わるように、今度はオレがボクシングを始めた。晴臣はよくミット打ちに付き合ってくれた。褒められることは滅多になかったが、それで良かった。晴臣に褒められるのは、晴臣を倒したとき一回でいい。
高校で成瀬と出会った。成瀬はクラスメートのボクシングマニアだった。だが、本人はヒョロヒョロに痩せていて、ボクシングどころか、自転車も乗れなかった。その知識量は本物で、オレが晴臣の甥だと知ると、興奮した様子で晴臣の魅力をまくし立てた。
「タフなボクサーだよ。打たれても、打たれても、食らいついていくんだ」
「そんなに詳しいなら、おまえもボクシングやれよ。教えてやる」
「イヤだよ。痛いのイヤだもん」
「ヘラヘラしやがって。アウトボクサー向きだな」
ボクシングには大きく分けて二種類のプレイスタイルがある。晴臣のように接近戦でガンガン攻めるインファイトと、相手との距離を保ちながらヒットアンドアウェーを繰り返すアウトボクシングだ。晴臣に憧れてボクシングを始めたオレは当然インファイターで、アウトボクシングは嫌いだった。
「アウトボクシングもカッコいいよ」成瀬は珍しく言い返してきた。「大切なのはスタイルじゃなくて強さだ。負けないっていう気持ちの強さだよ。日高のおじさんのような」
「痛いのはイヤなのに根性論か」オレはせせら笑った。
高校生になったオレは、県で一位になり、インターハイに出場した。ジムでずっと歳上の四回戦のプロとスパーリングしていることも自信につながっていた。もう少しだ。もう少しで、晴臣に手が届く。
冬の終わり、晴臣の心臓に病気が見つかった。長い病名がそのまま深刻さを表しているような病気で、長期入院が必要になった。オレは二重にショックを受けた。晴臣が病気になったこと。そして、晴臣に一対一の勝負を挑む機会が失われてしまったこと。
「ずっと戦いたかったのに、これじゃ晴臣の不戦敗だ」病院の個室で、久々に会う晴臣は白いベッドに寝かされていた。こんな上腕二頭筋じゃ、もうパンチは打てないだろう。
「不戦敗は良くないな」晴臣は太い首をすくめて笑った。なぜ笑えるのだ。晴臣はオレに向かって手を差し出して「腕相撲だ」と言った。いつかのように。
オレがしたいのはボクシングであって腕相撲ではなかったが、黙っていた。
腕を組んで向かい合う。試合が始まった。
晴臣は強かったが、今ではオレたちの力は互角だった。いや、オレが押していた。
勝てる。そう思った瞬間、晴臣に勝たせようという気が湧いた。あの日、晴臣はオレに花を持たせた。健康な若者に勝てば、病身の晴臣には自信になるだろう。傲慢な考えだと分かっていた。ただ、迷いが生まれた。5%、いや1%、力が抜けて、隙ができた。
晴臣の腕に力がみなぎった。あっという間にオレの手は机に打ちつけられていた。昔の晴臣が蘇ったのかと思うほど、その一瞬の力の差は圧倒的で、オレは呆然とした。
「返り討ちにするって言っただろ」晴臣は言った。オレを諭すように、己に言い聞かせるように。「大事なのは土壇場の強さだ。追い詰められたときの強さなんだよ、日高」
窓の外で、雲が晴れ、明るい日差しが差し込んできた。
(了)