第6回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 可哀そうな人 田村恵美子
第6回結果発表
課 題
家族
※応募数289編
選外佳作
可哀そうな人
田村恵美子
可哀そうな人
田村恵美子
「可哀そうな人よね」
片手で二階の窓のカーテンを開け、隣の家の庭を眺めながら初子は言った。そこには年老いた女性と若い男性がいた。
「誰が可哀そうなの?」
初子が耳に当てている携帯電話の向こうから、娘の昌代が尋ねた。
「弥生さんよ。お隣の鈴木弥生さん。十年前に旦那さんを亡くして、息子さんも結婚して出て行っちゃってから一人暮らしでしょ。一人じゃ何かと心配だからって、週に何回か、デイサービスのお世話になっているのよ」
弥生は若い男性に介助されながら歩いていた。これからデイサービスに行くのだろう。門のそばにいた二人は、窓辺に佇む初子の存在に気が付いたらしく顔を上げた。初子は慌てて小さく会釈する。二人もゆっくりと頭を下げた。
弥生はしばらく初子を見つめていたが、職員の男性に促されて送迎車に乗った。
「弥生さんたら、羨ましそうに私を見ていたわよ。なんだか不憫だわね」
遠ざかる送迎車を見ながら初子は
「うちは大きな二世帯住宅で拓ちゃん夫婦も同居して賑やかだけど、弥生さんは小さな家にポツンと一人でしょ。お気の毒だわ」
弾むような声で初子はしゃべり続けた。
「お隣の陸君はあなたと同級だから三十五歳よね。あの子、拓ちゃんと違って大学も就職先も三流だものね。うちみたいに、家を建て替える余裕はないんでしょうねぇ」
「陸君の会社は結構いいところだよ。それに陸君は同居を考えていたけど、おばちゃんの方が、お互い気が楽だし、当分は一人暮らしで大丈夫だって言ったらしいよ」
昌代がそう言うと、初子は口をへの字にした。結婚して県外に住む昌代とはしばらく会っていなかったが、初子の言うことに何かと逆らうところは変わっていなかった。
「陸君も家族でちょくちょく帰省しているし、それにおばちゃんも、友達ができてデイサービスが楽しみらしいよ。この前の同窓会の時に、陸君が嬉しそうに話していたよ」
昌代の言葉に初子は引っかかった。
「同窓会ですって。いつ? どこで?」
重い空気だけが初子の耳に伝わってきた。ややあって昌代は、「先月の終わりに、ホテル橋崎で」と弱々しい声で答えた。
「ホテル橋崎は、うちの目と鼻の先じゃないの。何年もうちに顔も出さないで、よく同窓会に来られたわね。親がお世話になっている弟夫婦に、手土産の一つでも持って挨拶に来るのが常識でしょ。まったく」
「ごめんなさい」とだけ言うと、昌代は黙ってしまった。それが初子を更に苛立たせた。
「何か月ぶりに電話をしてきたと思ったら、私をこんな気分にさせて、本当にあなたって昔から変わらないわね」
「ごめんなさい。でも隣のおばちゃんがお母さんのことを心配していて、昌代ちゃんから実家に電話して様子を聞いてもらえないかって、陸君から頼まれたの」
「あの人が私の何を心配するって言うのよ」
初子は語気を荒くした。
「最近、通勤に使っている拓也の車が全然動いていないし、お嫁さんの有紗さんの姿も見えないし、時々、家から大きな声も聞こえてくるから、おばちゃん、うちに何かあったんじゃないかって心配しているの」
初子は心臓がきゅっとなった。
「拓ちゃんも有紗さんも風邪が長引いちゃって、ちょっと寝込んでいるだけよ」
初子は早口で答えた。
「それにしても、ひとの家をあれこれ詮索するなんて。弥生さんって、嫌な人ね」
「おばちゃんは、いい人だよ。お母さんのことを心配しているんだよ」
「お前は離婚して出て行ったお父さんにそっくりだよ。私の言うことすることに、何でも反発する。つくづく可愛げのない娘だよ」
昌代の溜息が、初子の耳に微かに届く。
「そういうところ、変わらないね。お母さんって、本当に可哀そうな人だね」
昌代の憐れむような声に、初子は頭に血が上り、ヒステリックに大声で怒鳴った。
「私のどこが可哀そうなんだ。人を馬鹿にして。お前なんか、産むんじゃなかった」
だが、電話はすでに切れていた。初子は無音の携帯電話を強く握りしめた。
突然、初子の部屋のドアに何かが当たり、ガシャンと砕け散る音がした。
「うるせぇぞ、ババア。会社をクビになったのも、有紗が出ていったのも、全部お前のせいだ。俺はもう終わりだ」
拓也の
「大丈夫よ、拓ちゃん。新しい会社も結婚相手も、ママが探してあげるからね。ママだけは、ずっと拓ちゃんのそばにいるからね」
満ち足りた喜びに包まれながら初子は、酔って廊下に座り込む拓也を抱きしめた。
(了)