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その文章が劇的に変わる最後のひと手間④:言いまわしや表現を徹底的に磨く

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作文・エッセイ
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STEP2:言いまわしや表現を徹底的に磨く

STEP2では、森に分け入り、個々の木を見ていきます。つまり、ある部分(段落)や一文に注目し、その部分の言いまわしや表現を徹底的に磨き、完成度を高めるというわけです。

ミスが出やすい場所がある!

原稿の序盤、中盤、終盤といった場所によって、発生するミスに特徴があります。ここではそうした表現上の問題と場所について解説します。

ミスが発生しやすい場所を覚えておこう!

序盤に多いのは、STEP1でも扱った無駄です。無駄を書いてしまうのは行数に余裕があるからで、行数に余裕があれば、無駄な一文は終盤にもよく出ます。
中盤に多いのは、話題の脱線と、仲間はずれの一文が交ざること。脱線は話が横道に逸れ、本筋を見失うこと。仲間はずれは、段落の主題と違う一文が紛れること。こうしたミスは、第三者の気持ちで読み返すと見つかります。

序盤の説明不足は、読み手を迷わす

序盤では説明不足もよく起きます。説明とは、「いつ、どこで、誰が」といった説明や、話の前提、経緯、状況の説明です。
〈霧の中にいた。
「気づいたようです」
「あなた、発作を起こしまして」
「まだ起きちゃだめ」
看護師が言った。〉
なんだかわかりませんよね。終盤ならまだしも、序盤でこれをやられると戸惑います。
〈霧の中にいた。目を開けると、白衣を着た看護師がいた。
「気づいたようです」
看護師が呼びかけると、救急隊員らしき男が歩み寄ってきた。
「あなた、発作を起こしまして」
発作? あたりを見まわそうと体を起こすと、
「まだ起きちゃだめ」
看護師が言った。〉

出来事を書いた場面は目を使っていきいきと

出来事をリアルに再現したいときは、説明せずに描写します。
〈君のしぐさは色っぽかった。〉
「色っぽかった」は説明です。これだと「色っぽかった」ことはわかっても感じはわかりません。
感じをわからせるには、頭で説明せず、体験した出来事を写し取ることで、読み手にも同じ体験をしてもらうことです。
そのためのポイントは目です。
たとえば、どう色っぽかったのか、目を働かせて、
〈君はすねたように上目づかいに見ると、唇を突き出した。〉
と、まるでその場に立っている人の感覚で書きます。
また、視覚のほかにも、聴覚、嗅覚、触覚など五感を働かせて書くと、説明では言い表せない感じが伝わります。

これができたら上級者!誰も言わなかった文章作法

文章表現を磨く方法は無数にありますが、ここでは上級を目指す人のために、文章のリズムと文間の問題を取り上げます。

問題は文末じゃない!文章のリズムを整える

現代文は文末のバリエーションが「――た」「――だ」ぐらいしかありません。それゆえ文末に変化をつけろとよく言います。
たとえば、こんな文章。
〈先週のことだった。天気予報は晴れだった。しかし、朝から空模様があやしかった。案の定、昼から豪雨になった。ずぶ濡れになった。散々な一日だった。〉
確かにリズムが単調です。では、文末を変えてみましょう。
〈先週のこと。天気予報は晴れだったらしい。しかし、朝から空模様があやしかった気がしなくもない。案の定、昼から豪雨。ずぶ濡れに。散々な一日である。〉

あえて無節操にやってみましたが、文末を変えたことで意味まで変わってしまったところもありますし、そもそもリズムはよくなっていません。
問題は文末ではないようです。
〈先週のこと、天気予報では晴れだと言っていたが、朝、窓から顔を出して空を見ると、雲行きがあやしかった。うかつだった。案の定、昼から豪雨となり、傘を持たずに出かけた私は、ずぶ濡れになってしまった。まったく散々な一日だった。〉
やったのは、適度に文章を長くしたこと、長い文の中に短い文を交ぜたこと、「まったく」のような調子を整える言葉を入れたことです。文末はそろったままですが、リズムはよくなっています。

読むと心地よくなる!文間の溝はたまに深く

文間とは、文と文の意味がどの程度離れているかということ。
〈吾輩は三毛猫だ。三毛とは白、黒、茶の三色の毛という意味だ。吾輩の仲間にオスは極端に少ない。オスが生まれたら貴重で、実は吾輩はオスである。名前はミケだ。名付けたのは飼い主だ。〉
文と文が内容的に近いことを「文間の溝が浅い」と言いますが、上記はその例。内容的に近いのでわかりやすいですが、文と文の間に文を詰め込もうとしたらいくらでもできますから、例文のように書いてしまうと話がなかなか前に進まない停滞感があります。
そこでたまに飛ばす。
〈吾輩は三毛猫だ。三毛とは三色の毛という意味だ。三色といえば麻雀の三色同順、ドラが付けば満貫にもなり親ならさらに1・5倍だが、残念ながら吾輩はまだ子猫だ。〉
2行目が飛んだところ。うまくやると読み手の脳が刺激され、読んで心地いい文章になります。

接続詞を使わず、接続の意味を残そう

「接続詞を使うな」という文章作法もあります。これは小学生の作文に「だから」などがよく出てくるからです。
とはいえ、接続詞なしでは文章は書けませんし、接続詞的な表現も絶対的に必要です。
とくに、接続の意味を明確にしたいときは、「しかし」なら「しかし」とはっきり書きましょう。
そうすれば文脈を予告することになり、読み手の理解が格段に上がるからです。
ただし、見かけ上は接続詞を使わずに、接続の意味は残すのも技術のうちです。
〈傘など差せまい。風速20メートルの予報なのだ。〉
文間に「なぜなら」があります。
〈彼は勤勉ではない。怠ける機会がなかっただけである。〉
こちらも接続表現は使っていませんが、文間に「強いて言えば」という意味が隠されています。
コツは、いったん接続詞を入れて書いて、あとで削れないかと考えてみることです。

比喩と慣用句と擬音語はどんどん使ってOK!

「比喩と慣用句と擬音語を使うな」と書いてある指南書もあります。確かに、幼児の赤い頬を「りんごのような」と言われても脱力してしまいますし、「戴く物は夏も小袖」のようななじみのない慣用句を使っても、読み手が知らなければ通じません。
擬音語も、太鼓が「どんどん」、カラスが「カー」ではしまりません。
しかし、悪いのは表現ではなく、使い方です。「こんな表現があるのか、格好いいな」というような理由だけで、状況を考えずに使うと、なんか変だ!となります。
使わないことも含め、適切な判断をするなら、「やってはいけない」表現はありません。

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