公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第27回「小説でもどうぞ」佳作 別の世界 中山りの

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
結果発表
第27回結果発表
課 題

※応募数314編
別の世界 
中山りの

 おまえがこれを読んでいる頃には、私は死んでいるかもしれない。もしくは、しぶとくベッドに横たわっているのかもしれない。いずれにせよ、今のうちに書き残しておく。
 人生最後のときとなると、率直な感情を吐露したくなるのだろう。いや、そうではなく、不安な感情を表すことで、楽になりたいだけなのかもしれない。いずれにせよ、おまえに伝えておきたいことがあるのだ。
 結局、私は別の世界の人間と一緒にいたのだと思っている。妄想だと言われるかもしれないが、今、私の頭は明晰だ。
 五十代前半の頃、仕事である村に調査に行った。田畑とあぜ道、瓦屋根の日本家屋、まばらな人間と軽トラック、よくある日本の過疎地の風景。そこで出会ったのが彼女だった。
 その村の風景には不自然なほど、きらびやかな女だった。はじめ見たときは二十代後半くらいだと思ったが、聞き取り調査で話をするうちに十歳ほども上であることがわかった。私は調査にかまけて彼女の家で話し込んだ。そうして親しくなり、私が住む街の、酒が美味うまい店に招待することになった。それがおまえの母だ。
 なぜ、移住者を除いたらほとんど高齢者しかいない田舎町に、彼女が住んでいたのか。彼女は移住者ではなく家族もいないようだったが、近隣住民から詳細を聞こうとは思わなかった。会えなくなりそうで怖かったから。
 そうやって彼女と酒を飲んで親しくなり、何度目かの逢瀬の後に、妊娠を告げられた。私は戸惑いつつも、嬉しかった。生命の誕生に、美しい彼女との子ができたことに、言い知れぬ歓喜を感じた。しかし、私はおまえたちと暮らすことはなかった。彼女は妊娠を告げた後、どこかへ消えてしまったから。
 半年後にあの村を再訪した際、私はようやく彼女のことを住民に聞いた。すると、「そんな女性、聞いたことない」という声ばかりだった。何かを隠しているようなそぶりもなく、そもそも彼らは調査の期間を通して素朴で、嘘をつくような人間とは思えなかった。
 日々が利己的に過ぎ去って行き、私の中に虚無感が溜まっていった。なにか始めないと落ち着かなかった私は、朝のウォーキングを日課とするようになった。そうして歩いていたある日の朝、女と子どもが前から歩いてきた。すぐに彼女とおまえだとわかった。彼女の容姿がまったく変わっていなかったから。
「大きくなりましたよ」と、おまえの頭を撫でて去ろうとした彼女の腕を取り、「待ってくれ」と上擦った声で懇願した。「少しだけ時間が欲しい」と。彼女は唇の両側を少しだけ上げ、「もちろん」と答えた。
 その後のことはおまえも覚えているかもしれない。そのままおまえたちの住むアパートに行き、コーヒーを飲み、会えなかった時間の出来事を語り、次の約束をして別れた。
 そうしてようやく、お前たちと過ごす時間がもらえた。おまえたちが暮らす部屋か、あの公園でしか会えなかったが。それでも私の人生の晩年は、そのおかげで満たされた。
 どうか、わかって欲しい。別の世界の人間だったとしても、おまえの母と出会えたことが、おまえが成長していくことが、私の人生の宝であったことを。それだけは最後に伝えたくて、これを書いた。
 父が認知症になり施設に入ったと聞いたので、しばらく経って見舞いに行った。その頃には父は寝たきりで呆けていたが、ぼく宛ての手紙のようなものを残していたと、施設のスタッフから渡された。次第に意識を保てる時間が少なくなっていくなか、父は唐突に「便箋のようなものを用意して欲しい」と施設のスタッフにお願いしたらしい。
 認知症を患っていた父は、物忘れだけでなく妄想状態にもなることがあったと聞いたので、まあそんなとこだろうとは思う。宛名はぼくであったとしても、これはぼくと母の話ではない。母の年齢は父と同じだから。
 書かれている女と子どもはきっと、父と母が離婚する原因になった人のことだろう。そのせいで父は晩年を独りで過ごした。ぼく以外に子どもがいたことは初耳だったが。
 相手を誤認しているようだが、父は最後に伝えたいことを伝えられたと思っているのだろう。それはそれで幸せなのかもしれない。本人にとっては。
 父はこの手紙の宛名を間違えただけなのだろうか。もしくは、宛名を書くまでは意識を保っていたが、中身を書きはじめてから自分の人生がわからなくなったのだろうか。
(了)