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セリフ完全マスター2:セリフの工夫

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セリフの役割

フライタークの『劇作法』によれば、セリフの機能は以下の三つだと、柏田道夫著『シナリオの書き方』の中に書かれています。

  1. 事実を知らせる。
  2. 人物の心理、感情を表す。
  3. ストーリーを展開させる。

1の事実というのは、作品の設定や人物の外見といった情報です。それらを地の文で説明する代わりにセリフに書いて、
それとなく伝えます。

「暑苦しい顔。髭ぐらい剃ったら」悠紀が麦茶をグラスに注いで机の上に置いた。

(黒川博行『疫病神』)

《二宮は髭面だった。暑苦しい顔をしていた。》と説明されるよりセリフで書いたほうが物語に入っていけ、自然に人物のことが分かってきます。
2の人物の心理、感情というのは、そのままですね。
以下は、『疫病神』の中で二宮がヤクザに拘束され、命からがら逃げてきたあとのシーンです。このとき、桑原は二宮を身捨てて逃げており、その少しあとに再会したとき、桑原は着替えて散髪までしていました。

「おまえのことが気になったんや」
「気にはなったけど、服を着替えて髭も剃った。本日はどちらの理容室でフェイスマッサージされたんです」
「ええ加減にさらせよ、こら。もひとつコブが増えるぞ」

(黒川博行『疫病神』)

二宮としては文句の一つも言いたい気分でしょうが、桑原はヤクザですし、歳も上ですから、気持ちを抑えめにしつつ慇懃無礼に振る舞っています。
3の「ストーリーを展開させる」は、話を次なる展開に導くセリフです。
以下は、ブルドーザーの運転手と二宮が話しているシーンです。

「うちの取引先に小畠総業いうのがあって、これが富田林で産廃業をしてる。こないだコンクリートガラを運んでいったときに、社長の小畠から、建設関係の相談事をできるとこはないやろかと訊かれたんやけど、いっぺん話を聞いてみいへんか」
「いいですね、お願いします」仕事になるかもしれない。
(黒川博行『疫病神』)

その後、二宮は小畠総業を訪ね、仕事を依頼されますが、そこからストーリーは大きく展開します。
つまり、1・2・3は、説明せずにセリフをうまく使えということですね。

ストーリーを外れるセリフ

もしも「おはよう」というセリフがあったのなら、前出1・2・3のいずれかの役割があるはずです。
しかし、すべてのセリフに創作上の意図があるのも不自然ですし、現実の会話なら脱線や後戻りはつきものです。

「オーディション、どないやった」
「一次審査はパス。二次は一週間後」
悠紀はにっこりして、あとは二十人から五人ほどを選ぶという。「運よく五人の中に残っても、配役は通行人Aとか群衆Bやったりして」
「ステアウェイ・トゥー・ヘヴン。階段と梯子は一段ずつ昇るもんや」
「それ、ひょっとして、ツェッペリン?」
「よう知ってるな」
「ロックのスタンダードやない」

(黒川博行『疫病神』)

後半の部分は、ストーリーを進めるという意味では削れる箇所ではありますが、必要な脱線です。
ただし、脱線は短くし、すぐにメインストーリーに戻ることが肝要です。

セリフは人工的な自然さ

セリフは自然であるのが肝心ですが、現実のセリフをそのまま書くような自然さではなく、人工的な自然さです。
つまり、録音した音声をそのまま文字にするような自然ではなく、冗長で支離滅裂になりがちな実際の会話を文章として整備し、作為的に自然さを装う。〝作る〟ことで本当らしさを出すのです。
さて、セリフの自然さというのは、人物の行動やキャラクターとも絡みます。
セリフだけの問題ではありません。

思いつくまま登場人物にセリフを喋らせて、先に先に進もう、とそればかり考えている。それも人物がほとんど本音しか口にしない。心の中のこと、言いたいことをそのままセリフにする。セリフの一言を練る、磨くという意識はほとんど忘れ去られています。

(柏田道夫『シナリオの書き方』)

セリフに一分の無駄もないというのでは逆に不自然でしょうし、気が弱かったりシャイだったりしてはっきり言えない人物もいるはずです。こう言うのが普通だ、言わないのが自然だということもありますね。
以下は、『疫病神』の中で二宮が母親に借金をしたときのシーンです。

これで足りるんか――おふくろはタンスの中から五十万を出してきたが、事情はいっさい訊かなかった。

(黒川博行『疫病神』)

母親としてはいろいろ聞きたいところだと思いますが、事情は聞いていません。
その行間に母親の気持ちがあります。
また、二宮の父親は元ヤクザで、母親は元ヤクザの妻ですが、そういうきっぱりしたキャラクターも表れています。

セリフは一問一答

人物によるセリフのやりとりは基本的には一問一答であるべきで、
「どう、最近は?」
という質問があったなら、それに呼応するものが何もないのであれば読み手は落ち着きません。必ずしも間髪入れず応える必要はありませんが、なんらかの応答は必要です。たとえば……。

「どう、最近は?」
「ぼちぼちでんな」
これは普通の受け応え。
「どう、最近は?」
俺は黙ってかぶりを振った。

 

これは言葉では応えてはいませんが、リアクションはとっています。これもひとつの受け応えです。

「すみません」
「なんでしょうか」
「道を聞きたいんですが」
「いいですよ」
「近くに駅はありますか」
「駅ですか。地下鉄があります」
「どこにありますか」
「突き当たりを右です」

 

こんな調子で書かれるとつまらないですし、まどろっこしいですね。

飛ばしとズラし

そうならないためには、セリフを飛ばしたり、ズラしたりします。

「やめとけ、パチンコなんか。依存症になるぞ」
「どの口がそんなこというの」

(黒川博行『疫病神』)

「依存症になんかなりません」のようにストレートに返すのではなく、少し飛躍させています。

「橋本がスポンサーということかな」
「あの子、やり手なのよ」

(黒川博行『疫病神』)

ここも少し飛躍させています。二つのセリフの間を敢えて埋めてみると……。

「橋本がスポンサーということかな」
「そうよ」
「スポンサーって、そんなに簡単にでき
るものか」
「それは人によるでしょ」
「それじゃあ、あの子は……?」
「やり手なのよ」

 

というような中間をスパッと抜いているため、話がサクッと進んだような爽快感があるわけです。

「どこへ行くんです」
「舟越の大阪本社や」
「交渉しに……?」
「わしがかけあうんなら、あんたを呼んだりせえへんがな」

(黒川博行『疫病神』)

ここも「わしは交渉せん。あんたがやるんや」というセリフが省略されていますね。一種の反語ですね。

「けど、湿布くらいせんと」
「そこに薬がある」
「私が手当てを?」

(黒川博行『疫病神』)

これは飛ばしというより、ズラしですね。ズレた応えを言わせています。
この手のズラしは洋画によくあります。
たとえば、火災現場に突入しなければならないようなトラブルになり、「早く行って」と女性に急かされた男性が、「俺が消防士に見えるとでも?」と返すようなセリフですね。
ただ、この手の飛ばしやズラしは読んでいてどんな受け応えか容易に推測できることが絶対条件です。懲りすぎると意味不明のセリフになってしまいます。

 

※本記事は「公募ガイド2012年7月号」の記事を再掲載したものです。