第29回「小説でもどうぞ」佳作 親ゆずり 十六夜博士
第29回結果発表
課 題
癖
※応募数272編
親ゆずり
十六夜博士
十六夜博士
本堂に入るため、引き戸を開ける。
むっ⁉ 創建何百年かの寺のせいか、容易には引き戸が動いてくれない。しばらく引き戸と格闘し、ガタガタと抵抗の音を上げる引き戸を最後は渾身の力でこじ開けた。
ピシャーン!
自分でも何事かと思うぐらいの音を立てて引き戸は反対の枠にぶつかった。
しまった。ご本尊を驚かせてしまった。
(申し訳ありません)
心の中でそう呟きながら、本堂に深々と頭を下げた。
(悪いことをしたら、しっかり謝れ)
親父の言葉と、頭を下げる親父の姿が蘇る。
グッと唇を噛んだ。何度も言われているうちに身体に沁みついた癖みたいになっている。今は誰が何といっても謝るところだから正しいのだが、それが逆に腹立たしい。
親父の教えは、一般的には、とても良い教えだ。だが、親父は何事も直ぐに謝る人だった。
ちっ。つまらないことを思い出した。
顔を上げて本堂に入ろうとすると、すでに本尊の前に並べられた椅子に座る親族が皆こちらを凝視していた。でかい音を立ててしまったせいもあるだろうが、久しぶりに見る俺に驚いているのかもしれない。十人ほどか。家族葬なんてそんなもんなんだな、と思う。
近場に座る者同士で親族がヒソヒソと何か話し始めた。どうせ俺の悪口だろう。
本堂に一歩踏み込むと、タカシが立ち上がり、「にいちゃん、こっち」と手招きした。
タカシのいる場所は最前列の真ん中付近。小さく数回首を振り、誰も座っていない最後の列を指差し、そこに収まった。タカシは眉根を寄せたが、小さく頷くと、また着席する。きっと俺を待っていたのだろう。すぐに和尚が現れ、親父の葬式が始まった。
本尊の前に飾られた遺影の親父は相変わらず笑っていない。喜怒哀楽の少ない人だった。
武士――。
親父のイメージ。剣道の達人で、全国を制したこともある。口下手のせいか、昇進とは無縁で、実家近くの派出所勤務の警察官として勤め上げた。小学校三年の時、母が亡くなってからは、シングルファーザーとして俺たち兄弟を不器用ながら育ててくれた。女遊びもせず、ひたすら真面目に。なのに、俺は家族、特に親父と疎遠になった。
明るい太陽のような母が亡くなったのも一因だが、言い訳を許さず、直ぐに謝る親父が嫌だった。
『先に殴ったのはあいつだ』
『それでも暴力はダメだ』
そう言って、喧嘩をした同級生の家に謝りに行く親父を心底軽蔑した。いつまでも謝罪をしない俺の頭を押さえつけて、頭を下げさせられた時、屈辱感から俺の目からは涙がポタポタと落ちた。剣道ばっかり強い、腑抜け野郎――。
友達の悪口を言えば、『人を悪く言う暇があったら、自分の行いを見直せ』と、取り合ってもらえない。
自分の言い分を聞いてくれて、何でも話せる母とあまりに違いすぎて、俺はいつしか無口になった。そんな家が嫌で嫌で、高校卒業と同時に家を出た。三十年以上、この街から逃げ続けていることになる。
「にいちゃん、お焼香」
ぼんやり親父を眺める俺にタカシが低い声で前から促した。慌てて本尊の前に進み出る。抹香を摘み、香炉に落とす。一回、二回。
母の葬式の時の親父を思い出した。親父は長く焼香をしていた。
九回、十回。
次第に抹香と香炉が霞んでいく。
十五回、十六回。
両肩をガシッと誰かが掴んだ。
「にいちゃん、三回で良いんだよ」
タカシは俺を焼香台から引き剥がすと、ポツンと空いていた最前列の真ん中の椅子に俺を座らせた。
鼻を啜りながら
「姉が亡くなった時のエイイチさんそっくり。エイイチさん、涙を溜めながらずっとお焼香してた」
「にいちゃんはやることなすこと癖まで、親父とそっくりなんですよ」
叔母にタカシが小さな声で応えた。
(親父の癖なんて譲り受けてない)
タカシの奴を殴ってやりたい気持ちになると同時に、また親父を思い出した。
親父が泣いたのを見たのは一度きり。母の葬式の時だけだった。本当に悲しかったんだな、親父――。当時想像できなかった親父の感情が実感された。俺はアホだ。
(親父、ごめんな)
また謝っちまった。でも、それでいい。
(了)