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人は何歳まで作家デビューできるか5:受賞者インタビュー

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本格ミステリー「ベテラン新人」発掘プロジェクト第1回受賞 加藤眞男

――昨年、受賞作「ショートスカート・ガール」を上梓されましたが、現在の心境は?

現実は厳しい、というところでしょうか。面白い本が書店に並べば勝手に売れていくものだと甘い幻想を抱いていましたが、昨今は本がなかなか売れない時代ということもあり、その中で新人が生き残っていくのはなかなか難しい。皆さんがバックアップしてくれているのですが、正直言ってすぐにベストセラーに!というわけにはいきません。今考えているのは第一作目の宣伝をし、何とか次回作につなげたいということですね。

――現在の執筆状況は?

当初は、次回作については、同じ賞で佳作になった作品の完成度を高めて書くつもりでした。しかし、最初の本が出てみると思ったよりも売れていかない。理由はいろいろあると思いますが、第一には作品の力が足りなかったのではないかと思っています。私が受賞した2つの作品は島田荘司先生も言っておられるように、同じくらいのレベルの作品。そうだとするならば、同じレベルのものを出して世に問えるだろうかと考えました。そこで、新作ではもっと面白い、パワーのある作品で行こうと去年の8月頃に決め、10 月ぐらいには初稿を書き終えたのですが、それから3回書き直しました。次回作で真価を問うべく奮闘しているというのが現状です。

――もし、10代、20代の頃に小説を書き始めていたとしたらどうでしたでしょうか。

小説については、この年齢になったから書けたのだと思っています。60
代になり、これまでの経験や思い、いろいろなアイディアやテクニックなどがあふれて書けるようになったのですよ。だから私の場合は、若いときに小説で受賞することはありえないです。もし、受賞できたとしても一発屋で終わったことでしょう。
今みたいにしぶとくないと思いますし(笑)。若いときに受賞してしまうというのはむしろアンラッキー。人生は長いですから、後半に向けてだんだんよくなるほうがよいですよね。

――年齢を経て有利だと思うことは?

たとえば、ビートルズの音楽が入ってきた初めの頃、みんなが歌っていたのは舟木和夫や西郷輝彦で、ビートルズを聞いていたのはクラスの中でもごく一部の人間でした。ところが、今では、当時の若者はみんながビートルズに夢中になっていたと言われ、後づけで伝説ができてしまう。若い人はそれを資料で知るため、そういうものだと思ってしまうのですが、その時代の空気をわれわれは知っている。それが創作をするうえでの、年齢を経た者の強みだと思いますね。

――今後の展開としては。

ぜいたくを言えば、書きたいテーマを全部作品にすることができたらよいなと思っています。人間のクリエイティブな才能というのは10年で枯れると思うのですよね。夏目漱石もそうですし、一番良いときは10年。私もそうなれればと。傲慢な希望かもしれませんが。

――シニア世代の作家志望者に向けて一言お願い致します。

今のシニア世代には時間と経験と体力がありますので、創作に適した条件は揃っていますよね。最近は、講談社でもシニア向けの賞を創設し、多くのメディアで取り上げられています。下地はできていますから、意欲のある方は、そういう流れに乗ったほうがよいと思います。

群像新人文学賞第55回優秀作受賞 藤崎和男

――74歳で群像新人文学賞の優秀作に選ばれましたが、最初から応募する賞は決められていたのでしょうか?

内容的に純文学の新人賞がいいと思っていました。原稿枚数が200枚くらいだったんで、群像新人文学賞の規定枚数に合っていてちょうどよかったんです。

――自信はありましたか。

初めて書いた小説だったので、自信は半分くらいでした。やっぱり期待がなければ書けないですよ。

――『グッバイ、こおろぎ君』を書かれたきっかけについて教えてください。

60歳の頃、本当にこおろぎがトイレの窓から入ってきちゃったんですよ。その頃は書いてはいなかったんですけれども、構想はありました。
10年間ずっと書こう書こうとは思っていましたが、仕事もあったし、ローンも少しあったので、まとまった時間が作れなくて書けなかったんです。
70歳になって仕事も辞めて、3年は食べていける貯金があったので、それでようやく書けました。

――小説のジャンルで言うと、私小説と言っていいでしょうか。

私小説のつもりで書いたわけではないんです。書きたかったのは命について。
私の叔父は戦争で死んでいますから、それについては常に考えていました。もちろん、幼い頃の回想シーンですとか、実際にあったことも書いていますが。体験がなければ書けなかったと思います。

――書き終えるまで、どのくらいかかりましたか。

約2年半、1日2時間書きました。そのかわり休まず毎日。
60歳の頃から帯状疱疹という病気の痛みがあって、2時間書くのも大変だったんです。今は3時間くらい書けるようになりました。

――本作はどこかユーモラスなところがありますよね。

お笑いが好きで、特に伊集院光さんのラジオ番組が好きなのですが、伊集院さんの話を聞いていると、面白くて帯状疱疹の痛みを忘れるんです。書いているときもあまり話が深刻になってくると痛みを感じてしまうんだけれども、面白いことを書いていると、少し痛みが和らぐんですよ。だからすべて意図したわけではないけれども、自分を励ますためにも面白く書いていたんだと思います。

――小説の書き方はどのように勉強されたのですか?

僕が一番好きな小説はウィリアム・フォークナーの「八月の光」なんですが、原書でも読んで、訳と本とをつきあわせて読みました。今まで本は相当読みましたが、しっかり読んだのはこの一冊しかないと思います。そのおかげで小説を書くのに役立ちましたね。

――最後に作家を目指す読者にメッセージをお願いします。

60代だって70 代だって、小説を書きたいっていう志がある人は書いたほうがいいですよ。失敗したり、うまく書けたり書けなかったり、それがとっても面白い。年取った人生に活気を与えてくれるんです。年齢は関係ない、書く気構えがあるかどうかです。僕は命がある限り、書こうと思っていますよ。

 

※本記事は「公募ガイド2013年5月号」の記事を再掲載したものです。