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小説・エッセイ推敲のポイント2:シーン展開を確認し、仕掛けを磨く

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シーン構成の工夫

伊坂幸太郎の『死神の精度』の第3話にあたる「吹雪に死神」の冒頭は、田村幹夫という人物が殺される場面から始まっています。これが「1」。続く「2」では、時間を1日巻き戻し、死神がこの場所に来た経緯を説明しています。
出来事が起きた順に時系列で書けば、一日目に死神が洋館にやってきて、その翌朝、宿泊客の田村幹夫が死んでいた、という順番になります。
それでもいいですが、「2」の部分は、なぜ死神が洋館に来たかという経緯の説明が多く、冒頭に置くには動きがなく重たいということはあります。
それゆえ読者を惹きつけるシーンをまず冒頭にもってきて、読者が「事件が起きたんだな、でも、どうしてそんなことに?」と思ったところで、間髪入れずに「2」に入っています。

次のシーンへの引き

シーンや章などの区切りでは、読者は一息つけますが、同時にそこは読書のやめ時でもあります。そんなことにならないように、シーンや章の終わりには次への引きを用意しておきます。
前出『死神の精度』(「吹雪に死神」の「2」の最後)にはこうあります。

田村幹夫は一日後には死ぬだろうし、夫人も、私の報告次第では一週間後に亡くなるはずだ。残された時間は貴重だから、食事の配膳などをやっている場合ではない、と私はそう伝えたい気持ちにもなったが、口にしなかった。

(伊坂幸太郎『死神の精度』)

これは次章への予告編のようですね。連続ドラマでいうと、次週のワンシーンがちらっと出て、田村夫人も死ぬのか? どんなふうに? と思わせる手法です。

物語を動かす

説明がしっかりしていると、読者は納得して話に入れますが、しかし、説明ばかりされてもおもしろくないですね。
ですので、作者は物語を動かしつつ、自然なかたちで説明を小出しにしていったりします。

「おまえ、栗木の居場所を知ってるんだってな」若者の茶色と黒の二色になった髪が、濡れてぺしゃんこになっていた。
かなり長い間、私を待っていたのだろう。
私が曖昧な返事しかしないものだから若者は、「俺に会ったのが運の尽きだからよ」と唾を吐いた。雨が跳ねるのに紛れて、彼の唾も水溜まりに落ちた。

(伊坂幸太郎『死神の精度』)

『死神の精度』の第2話にあたる「死神と藤田」の冒頭付近にある文章です。
若者とあるのは阿久津というやくざで、藤田というやくざの弟分。私は主人公の死神です。ここでは若者が私を待ち伏せし、栗木(敵対するやくざ)の居場所を聞き出そうとしていることはわかりますが、なんのために? ということまではわかりません。
ここで若者が栗木を探している理由を説明することは簡単です。しかし、それを長々とやっていると、物語の進行が停滞してしまいかねません。そこで作者は、作中の出来事を書き進めつつ、少しずつ状況を明らかにしていっています。
こうすることで、物語も進行する、疑問を残しているので先を読みたくなる、ということで一石二鳥です。
ただし、何もかも隠してしまうと、読者はいらいらし、「早く教えろよ」という気持ちになってしまいますので、頃合を見て少しずつタネ明かしをしています。

コメディ・リリーフ

柏田道夫先生の『シナリオの書き方』にこうあります。

いくら見せ場が必要といっても、ひたすらテンションの高いシーンばかりを続けても、観客は疲れてしまいます。緊張を強いるシーンの後は、息が抜けるシーンを配分する。これを〔コメディ・リリーフ〕といいます。

(柏田道夫『シナリオの書き方』)

再び『死神の精度』から引用します。ちなみに、この死神は(この世の者でないだけに)言葉にうといところがあります。それを前提に読んでください。

「俺が、仕事をするといつも降るんだ」
私は打ち明ける。
「雨男なんですね」と彼女は微笑んだが、私には何が愉快なのか分からなかった。
けれどそこで、長年の疑問が頭に浮かんだ。「雪男というのもそれか」
「え?」
「何かするたびに、天気が雪になる男のことか?」
彼女はまた噴き出して、「可笑しいですね、それ」と手を叩いた。 

(伊坂幸太郎『死神の精度』)

このおかしさは説明するまでもないですが、こうした楽しい箇所があると、読む気力も俄然、増しますね。

伏線を張る

『死神の精度』の「死神と藤田」で、阿久津と死神は敵対するやくざに捕まります。以下は、そのことを敵が電話で藤田に知らせたあとのシーンです。

そこで、電話をかけていた坊主頭の男が乱暴に、「藤田の奴、今すぐすっ飛んでくるようですよ」と喚いた。「一人みたいです」

(伊坂幸太郎『死神の精度』)

敵対するやくざの事務所に一人で行くなんて、やくざでも普通はしません。その普通はしないことを小説の中でやらせるとき、やっておかなければならないことが二つあります。
まずは、説明を入れ、辻褄を合わせる。
前記のシーンの直後にも、

「馬鹿な奴だなあ」栗木が苦笑するのが見えた。煙草を、灰皿に押し付け、「古臭えんだよなあ、ああいうの。流行らないって」と大声で言った。

(伊坂幸太郎『死神の精度』)

とあり、藤田が古いタイプの任侠であることが示されています。
しかし、そうした場面になってから、この人はこういう性格だと書くと、いかにも急ごしらえのようです。
『死神の精度』の「死神と藤田」では、前半の段階で、藤田と藤田の上司に以下のような会話をさせ、藤田の性格、考え方を示しています。

「話し合いでまとめるわけじゃないですよね」藤田はそれにこだわっている。「手を出してきたのは、栗木のほうですよ。しかも、まったくの言いがかりで。このまま、無事に済ませちまったら、うちが筋を曲げたことになりますよ」
「おまえは、筋にうるせえな」相手は、気色悪い毒虫の背中に触るような様子だ。
「筋を曲げて、何がやくざなんですか」

(伊坂幸太郎『死神の精度』)

説明を加えただけでは、「作者のご都合主義」と言われそうなときは、出来事を通じて示す。普通はしないことを小説の中でやらせるとき、やっておかなければならないもう一つのことはこれです。

第2段階のポイント

推敲の第2段階では「シーンとシーンが連動しているか」や、「効果的な語り順になっているか」を確認します。
構成は、時系列がもっともわかりやすいですが、結末の一つ前のシーンを最初に見せておき、それから時系列で出来事を追うといった方法もあります。
読者を飽きさせずに結末まで導ける構成かどうかをチェックしましょう。

推敲は第三者的な目線で

細部のチェックというのは、あとでいくらでもできますが、応募の直前に一からやり直しとなったら目もあてられませんから、推敲は、最初の段階では全体の流れ、過不足といったことをチェックしていきます。その過程で誤字脱字を発見することもありますが(その場合は直していいですが)、主眼はあくまで全体を見ることと目的を絞りましょう。二兎は追わないこと。
推敲をする際、もっとも重要なのは、第三者的な目で見ることです。
原稿を書いているときは、作者は主人公(視点人物)に密着し、主人公になりきって書いています。しかし、推敲する段になったら、自分の中にある「書いている自分」と「読んでいる自分」のうち、「読んでいる自分」のほうを強く引き出して読みます。作品から一歩引いた感じで、どこかの誰かが書いた作品を、今初めて読むように読みます。
自分で書いた作品ですから、どんなことが書かれているかは知っているわけですが、冷静に他人の目で見ようとすれば、「ここは書きすぎ」「ここは説明不足」といったことが見えてくるはずです。
冷静に見られない人は1週間くらい原稿を寝かせましょう。スティーヴン・キングは6週間寝かすそうです。

 

※本記事は「公募ガイド2013年10月号」の記事を再掲載したものです。