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第9回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 考える会 辛抱忍

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第9回結果発表
課 題

友だち

※応募数343編
選外佳作
 考える会 辛抱忍

 僕にはなぜかいまだに友だちがいない。そのことに僕は五十年間悩み続けてきた。その理由が知りたかった。周りの人にその悩みを相談しても、たいてい、下らないことで悩むなよと諭される。その人は、自然に友だちができる人なのか、友だちに拘らない人なのか、はたまた、諦めている人なのか、わからない。そのわからなさが、さらに、僕を苦しめた。
 僕は、誠実な人間だと自負している。なのに僕には友だちがいない。生真面目な人間は嫌われる時代なのかもしれない。あるいは、人間的魅力がないのだろうか。自身なげな言動が、さらに友だちを遠ざける負のスパイラルに陥っているのかもしれない。
 四の五の言わずに、行動することが重要だ。サークルにでも入って、人と接してみるのが一番だと思った。時に、突拍子もないことを思いつくことが僕の特徴だ。『考える会』というのがあるのをネットで見つけた。
 それは、あるテーマについて、毎回、意見を述べ合うというものだった。今回のテーマは、奇しくも、『友だち』だった。
 僕はわくわくして参加した。会合は、十数人の老若男女が参加するというこぢんまりとしたものだった。
 主催者は、三十歳前後で、声がよく通り、リーダーシップのありそうな男性だった。
「告知していましたとおり、本日は『友だち』について考えます。ウィキペディアによると、『勤務、学校あるいは志、お金などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人のこと。』とあります。それでは、ご意見をご自由にどうぞ」
 眼鏡をかけた中年男性が口火を切った。痩せて、気難しそうな顔をしていた。
「友だちの定義は人によって異なるので、この会では、会話が噛み合わないことになると思います」
 なるほど。友だち観というのは多様なグラディエーションがあるのだから、意見を出し合っても、実りがないと言いたいらしい。
「友だちは必要だろうかとか悩んだり、友だちがいないのを嘆いたりして友だちというものに拘るのは、無意味だと思います。そして、私はそういう人に弱さを感じます」
 そう言ったのは、ショートカットで、鼻筋が通っているボーイッシュな女性だった。彼女に言わせると、それは下らない悩みであり、甘えだと感じるらしい。人間は所詮一人なのだから、一人で生きるくらいの気概を持つべきだと言いたいのだろう。僕に顔を向けていなかったけれど、僕がそういう人間だということを見抜いているつもりだろう。彼女の言葉はグサッと僕の胸に突き刺さった。
「僕には十数人の友だちがいます。彼らとは、しょっちゅう飲んでいます。友だちのいない毎日は僕には考えられません」
 友だちが自然にできて、そういったコメントをさり気なく言える人が羨ましい。彼は、小太り気味で、大学生という感じだった。彼の言うとおり、友だちのいない人生は寂しいのだ。だから、僕は長年悩み続けていて、ここに来たのだ。
「ここに来て、友だちを見つけようとするのはナンセンスだと思います」
 また、ボーイッシュな彼女が言った。彼女には友だちがいるのだろうか。
「私には友だちがいます」彼女には読唇術があるのだろうか。「といっても、固定しているわけではありません。私自身も日々変化していて、そのつど、その年代の私にフィットした友だちができるということです」
「でも、友だち観というのは、人それぞれなのだから、友だちがいないようにみえても、それはそれで一つの生き方だと思います」
 友だちの多い青年が言った。やさしい人なのだ。何だか慰められているように感じた。
 次々に開陳される意見を聞いているだけで僕は楽しかった。あっという間に、予定時間が終了した。主催者の青年が締め括った。
「時間になりましたので、今回はこれでお開きにしたいと思います。この会が皆さんの救いの場になったならば幸いです。それではまた、お会いしましょう」
 参加者は無言で部屋を次々に出ていった。建物を出ると、彼らは人混みに溶け込むように消えてしまった。
 その会に参加して、短い時間ではあったけれど、彼らとの関係も、一種の友だち関係と言えるのではないかと思った。
『考える会』はそれからも、テーマを変えて定期的に開催されていたが、僕は、それ以来、参加していない。同類がいることを確認できて、幸せな気分になっているからである。長年の悩みが吹き飛んでしまったからである。僕が望んでいる友だちは、ものごとを真摯に考える人たちなのだろう。
(了)