第9回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 長崎にて 壱岐さとし
第9回結果発表
課 題
友だち
※応募数343編
選外佳作
長崎にて 壱岐さとし
長崎にて 壱岐さとし
スマホでセットしたはずの目覚ましが鳴らなかった。充電が切れていたようだ。出張は午後からだったので、幸い大事には至らなかったが、歳月のかなたに忘れ去られていた記憶が一気によみがえった。
坂の街、長崎にある大学で、有津君と私は歯科医師になるための勉強をしていた。出席番号がア行の連番の有津君と私は、出身は大阪と東京とちがうが、一年浪人して一人暮らしを始めたという似た境遇もあってか、入学初日から自然と馬が合った。
長崎は、すり鉢状の地形で坂が多く、傾斜地では、下から上まで人家と墓地が所狭し、とひしめき合う。そんな中に点在する学生用のアパートは、上に行くほど家賃が安くなる。男子学生の多くは、原付バイク(原チャリ)で坂をのぼり、安アパートに住んで、ういたお金を飲み代にまわしていた。ただ、家賃次第ではトイレが水洗化されていないこともある。
私のアパートでは、毎月第一金曜の朝九時にバキュームカーがやってくる。大きな音とともに作業が始まると、少し遅れて特有のにおいが遠慮なく部屋に入りこんでくるのだった。
一方、有津君のアパートは水洗トイレ付の新築で、眼下のキリシタン墓地には、十字架をあつらえた墓石が整然と並んでいた。私たちは、定期試験が近づくと、有津君の小ぎれいな下宿で勉強するのを習いとしていた。
有津君も私も、普段からこつこつと勉強するタイプではない。二人とも試験は情報戦と心得て、「お宝」情報をいかに手に入れるかが勝負のポイントと考える向きがあった。私は、部活動の先輩から手当たり次第に過去の試験問題をかき集め、人当たりのよい有津君は、試験直前に優等生のノートを借りるのがうまい。入手したお宝を二人でじっくりと鑑定しながら、予想問題を作る。私たちは、あうんの呼吸で数々の試験を突破してきた。
五年生の九月下旬から十月はじめにわたる進級試験では、覚える量の多さに苦戦し、連日の徹夜が続いていたが、残すところ明日の一科目のみとなった。歯の痛みを感じるメカニズムや、あごを動かす運動について問う試験で、予想問題に優先順位をつけ、いつもより早い時間になんとか形になった。明朝の試験は八時五〇分からはじまるので、念のため朝八時に電話で安否を確認し合おうということになり、私は早々に有津君のアパートを辞した。有津君は朝起きるのが苦手で、電話をかけるのはもっぱら私の役目になっている。家に着くと目覚ましをセットし、起きたらノートの見直しをするつもりで床に就いた。
夢かうつつかわからない状態で、ガーッという大きな音で目が覚めると、あたりはすでに明るくなっていた。すると、なんだかにおう。そうか、いつのまにか十月になっていたのか。次の瞬間、私はがばっと起きあがった。目覚まし時計の針は六時過ぎで止まり、壁の時計は九時を示している。あと二十分以内に試験室に入らなければ、有無を言わさず試験の受験資格がなくなる。私は慌てて電話のプッシュボタンを押し、ようやく電話口に出た有津君に、九時過ぎてるぞ、と言い放つと、着の身着のままで玄関を出て原チャリに飛び乗った。
試験が終わり、疲労困憊した私たちは、大学病院近くの定食屋になだれ込んだ。入れ込みにあがって腰をおろし、瓶ビールと唐揚げ定食を二つ注文した。放心状態で互いのコップにビールを注ぎ、小さく乾杯すると、私は有津君に、今日の試験はバキュームカーのおかげで救われたことを話した。
「そやったのか。壱岐の電話が九時過ぎてたから、ホンマ焦ったわ」
有津君はそういうと、私にビールをすすめた。
「笑えないけど笑っちゃうよな。今日が第一金曜でよかった…」
泡立つグラスを傾けながら、私はしみじみとつぶやいた。
結局くだんの試験は、予想問題がいくつか的中してくれたおかげで、二人とも辛くもパスした。その後も私たちの成績は、相変わらずの低空飛行ではあったが、なんとか無事に卒業した。
働き出すと試験とは無縁になり、気づくと一年を忙しく繰り返している。
思いがけず目覚ましが鳴らなかったことで、坂の街にまつわるワンシーンが、音とにおいをともなって鮮明に浮かび上がった。連鎖して次々に現れたどの情景にも、二人の若者の懸命な姿があった。
(了)