第9回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 月刊 友だち 藤岡靖朝
第9回結果発表
課 題
友だち
※応募数343編
選外佳作
月刊友だち 藤岡靖朝
月刊友だち 藤岡靖朝
ある出版社の会議で編集長が言った。
「これから小中高生向けに新しい月刊雑誌を出そうと思う」
途端に編集部員たちからブーイングともとれる異論がわき起こった。
「誰もがスマホを手放せなくなっていてSNS全盛の時代に今どき小中高生向けの紙の雑誌なんて売れませんよ」
編集長はこの反応を当然そうくるだろうと待ち構えていたかのようで、ニヤリと返すと自信ありげに言い放った。
「いや、だからこそニーズがあるのだ」
怪訝な顔をしている編集部員たちにたたみかけるように説明をはじめた。
「今の子供たちが真に求めているものはいったい何か? 新しい情報? そんなものではない。彼らが欲しがっているのはズバリ本当の友だちなんだ」
「たしかにスマホのメールやラインでいつも仲間とつながっているように見える。だが、それはそう見えるというだけであって実のところ、そのつながっている先にいるのは友だちなんかじゃない。例えるならば、一種の同族コミューンみたいなもので、そのグループのつながりに参加していないと置いてきぼりにされ仲間はずれにされてしまう。そうなると毎日生きづらいから自分の意に合おうとも合わなくとも無理をしてまである意味、仲間のふりをしてメールやラインに面倒でもいちいち返信をしたりやり取りをしてつき合っているのが実情なんだ」
「だから子供たちは心の奥では本当の意味での友だちを求めているのだよ。とはいっても、SNSの出会い系サイトで友だちを探そうとするのは危険が多すぎることもわかっている。何しろ相手が自分と同じ女子高生だと思っていたら実際はエロい中年のオヤジだったなんて話はザラにあるからね。名前や年齢や性別なんてネットの世界では一%も信用できないのは常識だ」
「そこで今回企画したのが『月刊友だち』だ。内容としては、昔は一般的だったともいえるのだが、文通相手を紹介し取りまとめるのが主眼だ。さっき言ったように、ネットだとどんな悪い奴が入ってくるかもしれないから最初の入口ではネットを締め出すつもりだ。友だちを求めている読者には住所や本名を明らかにしてもらい、われわれ編集部がきちんと登録、管理したうえで趣味や希望や特性を誌面に載せて、その中から本当の友だち探しをしている読者に選んでもらって編集部に相手先を問い合わせてもらい文通が始まるというセーフティコントロール策を採用しようと考えている。とにかく新しい試みだから、やってみようじゃないか」
こうして、編集部の誰もが疑心暗鬼のまま『月刊友だち』はスタートしたが、初めのうちは友だちを求めている子供たちを募集するところから始まり、誌面では文通の仕方、手紙の書き方、出し方など当たり前のような記事を並べたが、今どきの小中高生にはかえって新鮮で目新しい知識と映ったようだった。
次第に読者の反応が増えていき、文通という古いアナログな手法で遠方の同年代の者同士が知り合って仲良くなって友だちになっていくという成功パターンがたくさん成立するようになった。
反響も大きくて、変な大人が介入することもないので安心できるとか、すぐに返事をしなければならない強迫観念に縛られていたメールやラインと違ってゆっくりしたペースで真の友だちとしてつき合っていけそうだ、という手紙が編集部に多く届いた。
中でも印象的な感想の手紙があった。それは遠く離れた地域に住む文通相手から、紅葉の写真と共に一枚の黄色く色づいた木の葉が送られてきたという内容だった。これまでなら紅葉の写真はメールでいくらでも届いただろうが、そんなメールの映像は一度見て、きれいだなと感動してもそれっきりでもう二度と見ることがないものだった。でも本物の色づいた葉が手元に送られてくると、その造形美の美しさ、手触りのたしかさに昨日も今日も何度でも取り出して手に取って見てしまう。
さらにはわざわざ送ってくれた相手のやさしさや心遣いを思うと、たった一枚の葉っぱだが大切にとっておこうという気持ちになれる。これこそが画面だけのやり取りに明け暮れていたスマホ中心の生活に欠けていたものではないだろうか、というものであった。
堅調に売上部数を伸ばしていたある日のこと、編集長は会議の席上で編集部員たちに感慨深げに言った。 「『月刊友だち』は思った以上に好評だった。それで今度はもうひとつ並行して別の雑誌をスタートさせることになった。タイトルは『月刊オトナの友だち』だ。子供たちだけでなく、今の大人たちも実のところ、本当の友だちをほしがっている人が多いということだろうな」
(了)