第34回「小説でもどうぞ」最優秀賞 母校へ 尼子猩庵
第34回結果発表
課題
最後
※応募数233編
母校へ
尼子猩庵
尼子猩庵
廃校になっていた小学校が取り壊されるらしいと聞いて、私は出かけていった。
二十年ぶりくらいの景色の中を、いろいろと蘇ってくるものに迎えられつつ、閑散とした私鉄に揺られていった。
商店街も寂れていた。
やがて、小山を背にした、蔦まみれな、木造の校舎が見えてきた。
四年ほど通った小学校だった。
錆び朽ちた校門をくぐると、グラウンドの向こう端に、誰か立っている。
歩いていくと、中途でふり返った。五十歳くらいであろうか。小柄で、華奢で、上品なご婦人だった。
卒業生か、先生か、一切わからぬまま、会釈をすると、会釈を返されて、
「こんにちは」
とおっしゃった。
「こんにちは」
「暑いですね」
「ええ」
「卒業生ですか」
と、向こうから尋ねられた。私はうなずいて、
「76回生です」
と答えると、ご婦人はほほ笑まれて、
「わたしは、63回生です」
「そうですか。先輩ですね」
「先輩です」
――すると、だいたい五十三歳くらいでいらっしゃる勘定であった。
「あなたも、見にいらしたんですか」
と尋ねられて、
「ええ」と答えた。「しかし、特にグラウンドなんぞは、やっぱり記憶よりも狭いですね」
「狭いですか」
「狭いです。ずっと帰っておりませんでしたものですから」
「そうですか。わたしも、久しぶりに来ました」
「あなたも、お一人ですか」
「ええ。――一緒に来るような友だちが、おりませんでしたので」
「僕もそうです」
と答えると、ご婦人の目に、親しみの色が現れた。
私も親しみを感じて、
「ろくに付き合いもありませんが、誰それが死んだとか、今度のこともそうですけど、情報ばかりは、何だかんだで入ってきます」
「そうですね」
「ちょっと、見て回りませんか」
「そうしましょうか」
私たちは、並んで歩き始めた。
校舎を回って中庭へ出ると、すっかり植物にうずもれていた。
その先には第二校舎がある。一階の、西端あたりの便所の窓を、私は見ていた。老人の幽霊が出るという噂があった便所であった。
「トイレの花咲か爺さん――」
とつぶやいてみたけれど、ご婦人はただ首を傾げられたので、
「ご存じありませんか」
「ええ。何のことでしょう」
「つまらない怪談です。あの時分、『トイレの花子さん』というのが流行りましてね。――怖い話、大丈夫ですか」
「嫌いではないですよ。それでそれで?」
と、えらく若やいでせっつかれた。
「それでですね、まあ便所に出るものだから、有名な『花子さん』をもじったまでのことなんです。『トイレの花咲か爺さん』」
「すると、花を咲かせるわけではないんですか」
「ええ、そうじゃないんです。ただのお爺さんが出るというだけで」
ご婦人は、さすがにちょっと怖そうなふうになって、
「――あなたも、目撃されたの?」
「残念ながら僕は、一度も見ませんでした」
そう言うと、少し安堵したようだったが、やにわに悪戯っぽい色を瞳に帯びて、
「ちょっと、見に行ってみましょうか」
とおっしゃった。その無邪気さに、私も激しく若やいでくるものがあって、二人で第二校舎へずんずん歩いていった。
「鍵がかかってるでしょう」
とご婦人がつぶやいた。私もそうだろうなと思いつつ、扉に手をかけてみたけれど、案の定、鍵がかかっていた。
「まあ、ちょっとやってみましょう」
と私は言って、近くの教室の窓の、中央部の枠をつかんだ。ご婦人は心配そうな顔をした。私が窓を壊すのではないかと思ったらしかった。
「こうしますとね――」
と言いながら、私は窓を上下に揺すった。しばらくかしゃかしゃいわせていると、向こう側についている錠が、少しずつずれて、遂に開いた。
「まあ」とご婦人は、はしゃいだ声で、「悪童だったんですね」とおっしゃった。
私は、恥ずかしいような誇らしいような気持ちで、笑ってごまかした。実際は、クラスメイトがやっているのを見たことがあって、覚えていたまでのことだった。
私は窓から中へ入って、廊下へ出、内側から鍵を開けた。ご婦人は既に扉の前で待っていた。
窓から射し込む外光に薄明るい、埃だらけの床を軋ませつつ、くだんの便所へ向かった。
隙間風のためか、空気はあんがい清かった。戸をノックする回数など、作法を覚えていなかったけれども、うろ覚えの文句を唱えた。
「ご隠居さん。遊びましょ」
「……」
「……」
ご婦人は真剣な顔で、しばらく耳を澄ませたのち、
「出ませんね」
「ええ」
「もういないのかしら」
「……老衰で、成仏してしまったのかもしれませんね」
これにご婦人は、思いのほか笑った。
「帰りましょうか」
「ええ」
グラウンドの真ん中に二人並んで、校舎を見つめた。
「…………楽しかったですか」
と私が聞いた。
するとご婦人は、キッパリと、
「呪わしかったばかりです」
「僕もそうです。二年ほど、引きこもりをしておりました」
「そう。大変だったのね。――ほんとうはわたし今日、燃やしてやろうかと思って来たの。どうせ取り壊されるんなら、間に合ううちにって」
「僕も、似たようなことでした」
私たちは見つめ合い、ほほ笑み合った。
どちらも立派な大人だ。お互い、よくぞ乗り切ったものだ。
声をそろえて、一番だけ校歌を歌うと、石を拾い集めた。そうして私から、代わり番こに投げつけた。
「――あほんだらァ!」
「馬鹿野郎ォ!」
「クソッタレェ!」
「卑怯者ォ!」
「ざまァみろォ!」
「役立たずゥ!」
「ありがとよォ!」
「さようならァ!……」