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第34回「小説でもどうぞ」選外佳作 最後の仕事 藤川六十一

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第34回結果発表
課 題

最後

※応募数233編
選外佳作 

最後の仕事 
藤川六十一

 父母が他界し、故郷の家は空き家になった。
 妻とともに、年に二回ほど、家の見回り・草むしり・墓参りなどに通った。
 人の住まない家は、さびしい。年老いた家が、泣いているように見えた。
 しつこくまつわり付く蜘蛛の巣を両手で払いのけ、玄関に立つ。汚れたドアに、鍵を差し込む。郵便受けの書類が、あふれ出ている。
 家の中に入る。かびのような臭い。
 壁に手を伸ばして、電気を点ける。
「お帰り」
 父母の声。私の心の中の、幻の声。嬉しく有り難い声。昔は、そのやさしい声を聞いて、長旅の疲れが一遍にとれたものだ。父母がいなくなって、聞けなくなったこの言葉。
「ただいま」
 わざと大きな声を出す。この家にいるに違いない、父母の魂に対して。
 家には、かつて住んでいた人達の残したものがしみ込んでいる。情念の残り火がくすぶっている。古い時間が、息づいている。
 それを感じながら、仏壇の前で、酒を飲む。酔いが回るにつれ、懐かしい死者達の声や昔の音が聞こえ、やがて眠りに落ちる。生まれ育った家に抱かれている気分だ。

 いよいよ、空き家を売ることになった。
 高齢になり、身体が不自由になり、故郷へ行き、草むしりなどをすることが、困難になったので、買い手を探していた。なかなか売れなかったが、大きな地震があり、家が傾いた隣人に買ってもらうことになった。
 地震でしばらく故郷へ行けず、その話を仲介してくれた人が我が家の写真を撮って送ってくれた。さほど傷ついているようには見えない。それを確めながら、目が潤んだ。主に見捨てられた、さびしそうな、孤独な姿。それでも、健気に建っていてくれた。「よく頑張ったな」思わずそう声をかけた。
 隣人の意向は、家はいらない、土地だけでいい、家の解体等は向こうがやるとのこと。
 交通が復旧して、大分落ち着いたようなので、妻と二人で片付けに行った。持ち帰りたい品が想定外に多く、一回では済まなかった。
 二回目の片づけは、わりに少なく、忘れ物がないか確かめ、多くの写真を撮った。その夜、家と別れを惜しむため、泊まることにした。
 コンビニで買った弁当を食べ、酒を飲んだ。
 昔、この家は、親戚達や私の家族のにぎやかな声で満たされたことがある。酒を飲み、食べながら、いろいろな話をし、笑い合った。あの頃の父母は、若く、元気であった。人並みの幸せが、確かにそこにあった。
 ひどい出来事もあった。昭和五十二年、隣家からのもらい火で、半焼した事件だ。
 現場に着いて、大きな衝撃を受けた。建物の前の方は残っていたが、後ろの方は、父母から電話で聞いていたより、かなりひどい。ありのままを知らせたら、事故を起こすかもしれない、そんな親心であった。
 父の後に付いて、二階へ上がった。
 階段の途中で立ち止まり、上を見上げる。ただ真っ暗であった。果てのない闇であった。
 その暗黒の意味をすぐに理解出来なかったが、それは空なのだ。
「屋根がない」
 悲痛な叫び声を上げた。
 翌日から、親戚の人達の力を借りて、後片付けに精を出した。一番つらかったのは、「火事は、ここだったのか」などと言いながら、立ち止まって無遠慮に眺める通行人の視線であった。無残な焼け跡は、少しでも早く消し去りたかった。
 長く寒い冬が過ぎ、家の再建にとりかかった。その家も、間もなく命を終えようとしている。

 今、家の中はがらんどうになり、さびしさが募り、酔いが深まった。

 今住む家へ戻ってから、怖い夢を見た。
 故郷の家の居間にいた。父母が、こたつにいる。今住む家へ運んだ筈のテレビや二人の肖像画が壁に掛かっている。
 若い姿の父母は、私を見ても、何も言わない。家の売却を知り、怒っているのか。
 場面が一変した。私は、仰向けになって寝ていた。天井に、大きなユンボの姿が映った。
 ユンボが、私に襲い掛かろうとしている。早く逃げなければ。だが、一歩も動けない。ショベルの爪先が、荒々しく振り立てられる。
「助けて」
 その悲鳴は、私ではない。家の声だった。家が、人の険しい顔になっている。
 殺されるのは、私でなく家。ユンボが家に食い込む。メリメリ、バリバリ……。
 柱が折れ、壁が崩れる。家が倒れる。いや、倒れるのは私。血が噴き出す私。
「ギャー」
 ものすごい叫び声。私でなく、家の声。
 あまりの恐怖で、目が覚めた。
 ひどい夢だった。あの家は、私。あの家の死は、私の死。
 そういえば、近い内に解体されると聞いている。家の死刑が執行される。
 夢は、家の無残な最期の象徴であった。そして、それに続く、私の死の象徴であった。

 夢で疲れ、起き上がったが、しばらく呆然としていた。先の夢の、家の断末魔の悲鳴が聞こえるような気がした。
「助けて。見捨てないで」
 家は、今頃、どうなっているだろうか。
 家の臨終に立会い見届けるのが、主の義務かもしれないが、哀れな最期は見たくない。
 解体後、あの町を二度と訪れることはないだろう。我が家の消えた跡は、見たくない。
 私の人生最後の仕事が、やがて終わる。
(了)