第35回「小説でもどうぞ」佳作 ハエ取り名人 籾木はやひこ
第35回結果発表
課 題
名人
※応募数234編
ハエ取り名人
籾木はやひこ
籾木はやひこ
おれ様は、生まれた。生まれてすぐにほかのハエと飛ぶ競争をしても負けなかった。何故か。しいてあげればおれ様は馬フンから生まれた。牛フンなどではない。ほかのハエとは生まれが違うのだ。出自は大事だ。
おれ様は飛ぶことが自在で、タッチアンドゴーや急な方向展開などはお手のものだ。自在に飛び自在に生きることそれが身上だ。
ハエは、気楽に生きているように感じるかもしれない。それは違う。たとえば、天敵がいる。トンボである。おれ達ハエより、飛ぶことが自在である。彼らの得意は、空中ホバリングだ。そこで狙いを定めるのだ。そしておれ達より早く飛び、狙われるとおれ達は大抵取られてしまう。ただ、おれ様は違う。小さいところに逃げ込むのだ。彼らは、羽を広げるとある程度幅がいる。そこより小さい幅のところには飛んでくることができない。そこを見抜き、彼らに見つかったときは、頭を使い幅の狭いところに逃げ込みしのいできた。
それに比べ人間というのは、おれ達にとって安全安心な生き物だ。今日も人間のそばにいてその食べ物を舐め取ってやった。俺を追い払いたかったのだろうが、なすすべがなかったようだ。
人間とはなんとのろまで愚かなものか。おれ達を取ろうと手を伸ばしたり、両手に挟もうとしたりするが、あまりののろさにおれ達は、よけながらあくびをしているのだ。おれ達は、人間をからかうことを人生の目標にしている。そして、度胸だ。あるところに停まると人間が取ろうとしてもギリギリまで逃げない。度胸と胆で、ギリギリのところでかわし、人間をからかってきた。人間が悔しがらせることがおれ達の喜びでありストレス発散になっている。
今の話を聞いて、悔しくて歯ぎしりしているな。まあ、怒りなさんな。おれ達にも役割がある。たとえば、渋柿がなっていたとしよう。鳥が食べるころは、渋くて食べられなかったとして、時期が過ぎ熟し、熟しすぎて、地面に落ちてしまったら、汚くべったりと誰も食べられない熟した柿が地面に散らばってしまう。それをこまかく拾ってきれいにしているのがおれ達ハエなのだ。
(おお、向こうに家があるぞ。行って、何か食べ物にありつき、あとは、そこの人間をからかってくるかな)
おれ様は、ぶーんと飛んで行った。改札を見ると「宮本村のムサシ」と書いてある。中に入っていくと一人の男が、箸をもって身構えていた。からかいながらそばを通ってみる。箸をくっつけたり離したりしている。おれ様は何をしているのかわからなかった。こいつは気が狂っているのか、はたまた何かのおまじないか。そして何度も周りを通ってみるとやはり、同じことを繰り返していた。
わかった!
彼は、箸でおれ達ハエを取ろうとしているのだ。あまりの愚かさに呆れた。
(そんなもんでとれるわけがないだろう。一生やってなさい)
二、三日たったある日、いつものように彼のそばをからかいながら飛んでいるとなぜか飛びながら体が動かなくなってしまった。よけることも方向展開もできない。ほぼ静止した状態になった。彼はわけもなく、空中で箸でおれ様をつまんだ。
(しまった)
とうとう箸でハエをとらえてしまったのである。それは、何万分の一、何百万分の一、いや不可能なことを可能にした瞬間だった。
なんという執念にも似た意念だ。さわりもしないで、思いだけでおれ様の体を動けなくしてとらえてしまった。こいつは、とんでもないものになるぞ。さっき、巌流島での決闘状があった。おれ様には、巌流島での決闘の様子が未来予想のように脳裏に駆け巡っていた。
おそらく、遅れていくのだろう、そして、相手である佐々木小次郎の心を遅れたことでかき乱し、長剣の小次郎の刀より長い船の艪を使い、小次郎をその意念で動けなくして、頭の上から受けている長剣ごと艪で頭を叩き割り蹴散らすのであろう。「一の太刀(初めの一太刀で勝負を決める太刀)」とは、なんという男だ。
男は、箸で捕まえたハエを外に捨てた。
「これで修業は完成した」
そう告げると決闘の場である巌流島へと向かった。
(了)