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第35回「小説でもどうぞ」選外佳作 リンゴの皮むき 瀬島純樹

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小説・シナリオ
小説でもどうぞ
第35回結果発表
課 題

名人

※応募数234編
選外佳作 

リンゴの皮むき 
瀬島純樹

 オレの話が聞きたいって? ああいいよ。
 忘れもしないあの日、町の洋菓子店のご主人が、雑誌に紹介されていたんだ。アップルパイ作りの名人として。うちの町の人が有名な雑誌に載った。本当にかっこいいと思った。オレはそれまでアップルパイなんか食べたこともなかった。ちょっと恥ずかしいから友だちを誘って買いに行った。かぶりついた瞬間、何とも言えない香ばしさと、外側はサクッとして、中はしっとりとした甘みにもうぞっこん。それ以来とりこになった。
 それから間もなく、学校の卒業を前に、いよいよ進路を決める時、迷わず洋菓子店に向かった。名人の店で働いて、あのアップルパイを作りたいと決めていた。当時はその手の学校は地元になかったから、弟子入りしたいとお願いした。最初は断られたが、それでも何度も頭を下げた。
 どうにか許してもらい、見習いとして働き始めた。名人から手先が器用だと言われて、リンゴの皮むきの仕事を任されたときは、嬉しかった。でも実際にやってみて、すぐに大変なことに気が付いたんだ。オレの皮むきのせいで、アップルパイの味が変わったなんて言われたら、今までの名人の評判を落とすんじゃないかってね。怖くなってきた。しかし逃げ出すわけにはいかない。とにかく無我夢中で頑張った。
 まあ、ここに入ったばかりの君には、とうてい想像もできないだろうが、リンゴの皮むき一つ取ってみても、簡単そうに見えて、そりゃあ奥の深い仕事なんだ。リンゴにもいろいろある。アップルパイに適したものもあるが、いつも同じリンゴがあるとは限らない。種類が違えば、大きさも、果肉の質も千差万別。皮のむき方も力の入れ方も変える必要がある。
 とにかく最初は、名人に言われたとおりにリンゴを扱った。まずナイフでリンゴを八等分に切り分ける。必要があれば、さらに丁寧に切り分ける。ひとつひとつ皮をむいて、塩水に浸す。生ものだから、出来るだけ手早く。しかも、きれいに均等に仕上げる。そこが肝心なんだ。仕上げていく途中もきれいなリンゴでなければならない、というのが名人の美学だ。心を込めて、見た目も、味もこだわって、お客さんに提供したいじゃないか。
 君は、これから何を任されるか分からないが、どの仕事も心構えは同じだ。そうだ、オレの若い時の失敗も話そう。
 心を込めてやっていこうと決めていても、毎日のことだから、気掛かりなことがあったりすると、ついそのことを思い浮かべてしまう。するとたちまち、手元がお留守になるわけだ。で、案の定ナイフで指を切ってしまった。
 名人はすごいよ、オレのそんな瞬間を見過ごさなかった。しかも
 すぐに言われたよ。今日はアップルパイを出すのは止めようって。なにもそこまでしなくてもとは思ったが、名人の声は厳しかった。今日はもう帰っていいよって言われたんだ。
 一瞬、ドキッとしたが、オレはすぐに感心したよ。なるほどリンゴの皮むきを一度任せたんだ、それができないとなれば、代わりに誰かがするんじゃなくて、あっさり止める。名人って言われる人は、絶品のスイーツを作るだけでなく、人を使うのもこだわりがあるって。
 けがも癒えて店に出ると、名人に呼ばれたんだ。てっきり首になるのかと思ったよ。
 でもそうじゃなかった。オレを店の隣にある倉庫に連れて行って、言われた。今日から果物の皮むきや下ごしらえは、ここで器械を使ってやってもらうって。それも全部オレに任せるって。アップルパイのリンゴはもちろん、バナナに、オレンジやメロン。ケーキやスイーツに使うものもすべてなんだ。
 手仕事ではなくて、器械を使うんだと一瞬ためらったが、目の前の台の上に、きれいに整えられた器械と道具類を見ていると、名人は言われた。これらはすべて自分の体験から使いやすいように特別に注文したり、工夫して作らしたものだって。
 さすがだと思った。アップルパイの名人に甘んじてはいられない。店の将来をちゃんと見据えているって。
 うちの洋菓子店の人気はますます高まっていったから、アップルパイはもちろん、ケーキの注文も増えてきた。特別な器械の導入は名人の読み通り、いいタイミングだった。それからは目が回るくらい忙しくなっていった。でもオレは満足だった。名人のアップルパイをたくさんの人に食べてもらいたい。だから店もだんだん大きくなった。今では株式会社だ。そしてついこの間はアップルパイを含む食品製造部門は世界規模の会社に売却して、わが社は投資会社になったが、これで世界の人達に名人のアップルパイを食べて幸せになってもらえるってことだ。
「ありがとうございます。新人研修の時には聞けなかった話ばかりで、とても勉強になりました。それにアップルパイは最高でした」
「そりゃよかった」
「実は、会長に本社のこのオフィスカフェで、あなたの極上のアップルパイが食べられて、面白い話しが聞けると教えてもらいました」
「そうかい。それにしても、名人に、いや会長に教えてもらえるなんて、君は将来を嘱望されてるね」
「フフッ、会長は言っておられました。今の会社があるのは、あなたの名人芸のおだてのおかげだって」
(了)