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第36回「小説でもどうぞ」選外佳作 アートってなにっ! 万巻千里

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小説・シナリオ
小説でもどうぞ
第36回結果発表
課 題

アート

※応募数263編
選外佳作 

アートってなにっ? 
万巻千里

 僕たちは、中学校ではちょっと名の知れたお騒がせトリオだ。夏休み中、遊んでばかりで、全然宿題に手をつけなかった。その結果、八月末日になって追いつめられ、トリオのひとり、丸男の家で大奮闘していた。
「ふう、やっと夏休みの日記を、全部書き終わったぞ」
 丸男がその太い腕で、ふっくらした顔から滴り落ちる汗をぬぐった。
「やれやれ、これですべて終わったか。もう夜の九時だぞ」
 僕はすっかり疲れ切って、ため息をついた。
 丸男の顔が突然凍りついた。
「しまった! 美術の課題がまだ残ってる。担当教師の嵐山はおっかないし、提出しないとやっかいだぞ」
「テーマはなんだっけ?」
 丸男がプリントを、本の山から引っ張り出して読んだ。
「『創造性を駆使して、今までにないアートをつくりなさい』……だってさ」
「中学生には荷の重いテーマだな。ところで夏彦、さっきからなに読んでんの?」
 夏彦は顔を上げ、眼鏡のレンズを光らせた。夏彦は大の読書家で、いつも大量の本をカバンに入れて持ち歩いている。ただし学校の勉強はてんで出来なかった。
「『現代アート入門』。おもしろいぞ。アートってなんでもありの世界なんだ。例えば、ヨーゼフ・ボイスっていう巨匠は、フェルトや新聞、乾草の積まれたニューヨークのギャラリーで、コヨーテと一週間暮らして、コミュニケーションを取ろうとしたんだ。こういうのをパフォーマンス・アートという。すごいのになると、ヴィト・アコンチっていうアーティストが、ギャラリーの床下にもぐり込んで、八時間自慰行為をして、観客に声だけを聴かせるというパフォーマンスをやってる」
「現代アートって、わけわかんないものなんだな」
 僕は思わず噴き出した。夏彦が続ける。
「現代アートのパイオニアは、なんといってもマルセル・デュシャンだ。一九一七年、ニューヨークの展覧会に、『泉』というタイトルを付けた、ただの小便器を出品した。それは受け入れを拒否されたけど、のちに大きなスキャンダルになり、『レディメイド』というジャンルが広まっていくんだ。レディメイドとは日常の既製品をもとにした作品で、アートの可能性を大きく拡げたといわれている」
「それって古着でもポスターでも、なんでも使っていいということだよな」
 僕がそう言うと、丸男がポンと手を叩いた。
「レディメイド! いいじゃないか。もう時間がないし、それで行こうぜ!」

 九月一日。登校の日。僕は必死になってリヤカーを引っ張っていた。家から学校までは三十分ほどかかる。ときどき周りから笑い声が聞こえてきて、気にかかった。
 学校に着く直前、丸男と夏彦に出会った。
「おい、それはなんだ?」
 丸男が目を剥いて叫んだ。
「なにって、男性用小便器だよ。取り外して持ってきた」
 夏彦がリヤカーにのった便器にしみじみと触った。
「まさか本当にこんなデカブツを持ってくるとはな。僕は本を組み合わせたオブジェ。丸男はスイカにサインを入れたのを持ってきたんだが。いや、驚いたな」
 僕たち三人は並んで歩いて、一階にある二年B組の教室へ入った。
 三十名ほどのクラスメイトがほぼ一斉に振り向き、リヤカーを引いている僕を見て固まってしまった。夏彦が教卓に進み出て、慌てて事情を説明した。すると、全体の雰囲気が柔らかくなり、打ち解け始めた。
「やるなぁ。すげえおもしろいじゃん」
「トイレから外された便器なんて初めて見た」
「こうして見ると、便器ってけっこうきれいかも」
 笑い声がパラパラと聞こえだし、教室が楽しい雰囲気で沸き立ち始めた。みんな、リヤカーを引いた僕の周りに集まり、口笛を吹いたり、拍手を送ったりした。予想外の反応に、僕の方こそあっけに取られた。
「勇気君! ちょっとしたヒーローじゃないか。みんなから愛されてるね」
 夏彦がからかうように僕の後ろから肩を叩いた。

 三時間目、美術の時間が来た。クラスメイトたちが美術室へ移動したので、僕もリヤカーで便器を運んだ。そして、便器の壁に取り付ける面を底にして机にのせ、着席した。
 美術担当の嵐山が現れた。彫りの深い顔をした長髪の男で、気難しい性格をしていた。嵐山は驚いた顔をして僕に近づき、作品をしげしげと眺めた。
「これは一体なんだ?」
「夏休みの課題です」
「これは受け取れんな」
「なぜです」
「なぜか? こんな不衛生な荷物を受け取れないし、デュシャンの二番煎じで独創性もないからだ」
 正論だった。僕は意気消沈した。
「待ってください!」
 夏彦が立ち上がり、僕と嵐山の間に割って入った。
「これを見てください」
 夏彦の右手にはスマホが握られていた。その画面には、僕がヒーローになった、さっきの朝のシーンが映っていた。
「確かに学校に便器を持ってくるのは、非常識かもしれません。でも、勇気君はみんなに衝撃を与え、価値観を揺るがし楽しませてくれました。これは立派なパフォーマンス・アートだと思います。独創的とはいえませんか?」
 嵐山は考え込んだあと、口を開いた。
「分かった。作品は受け入れよう。ただし、便器は始末に困るし勘弁してくれ。もらうのは、スマホのその映像作品だ」
 そして、一息置いてこう付け足した。
「ひょっとすると、アートっていうのは、人の生き方、考え方そのものなのかもしれんな」
(了)