第37回「小説でもどうぞ」選外佳作 割れた窓ガラス 獏太郎
第37回結果発表
課 題
すごい
※応募数207編
選外佳作
割れた窓ガラス獏 太郎
割れた窓ガラス
シンは自宅前の公園に、なぜお地蔵さんがあるのか、なんとなく気にしながら大人になった。あるときから、毎日欠かさず飾られていた花がなくなったのが、気になっていた。
今朝も母のキョウコが、ゴミ袋を手に出かけた。会話が噛み合わず、ちぐはぐな行動に悩まされる毎日だ。最近は、独語が多くなり、神経に刺さると感じる時間が多い。なぜか、〈割れた窓ガラスは、早く直さなあかん〉
と、よく言う。
キョウコが帰ってきた。〈おかえり〉ではなく、〈ゴミを持って帰ったらあかんで〉という言葉が第一声だ。キョウコは公園のゴミを拾っては、自宅へ持って帰るのだ。なぜか、花と一緒に。いったい何度、公園のゴミ捨て場に運んだか。これが認知症介護の大変さってやつか……。いつ終わるともしれない介護に、疲弊する日々だ。そろそろ施設に入れたほうが。そんな話を、妻とすることが増えた。
ある日曜日、キョウコの幼馴染みのセツコが遊びに来た。認知症介護認定看護師なので、何かと相談に乗ってもらっている。キョウコとセツコは、同じ病院で長らく看護師として働いてきた。相変わらずゴミ拾いが続いていることを伝えると、〈シュウちゃんのことが、ずっと忘れられへんねんね〉と、セツコがぽつり。セツコの横で、キョウコはずっと独語を話している。シンは思わず、
「シュウちゃんって、誰ですか」
「キョウちゃんがゴミ拾いをするきっかけになった子やねん」
話は、シンが小学生のときにさかのぼる。
小学校で、新しい活動が始まった。週末に街のゴミを拾うという活動だ。始めたのは、シュウちゃんという子だった。いつも遊ぶ公園が汚れているのは嫌だ、という理由からだった。その活動が、新聞やメディアに取り上げられるようになると、シュウちゃんのいじめが始まった。ええかっこしい、目立ちやがって、などと上級生から言われるようになったからだ。それでも、シュウちゃんは活動を続けた。大人たちも参加して、活動は広がりを見せた。同時に、いじめはエスカレートした。それに気づいたのは、キョウコだった。夏なのに長袖を着ているのを不審に思い、聞いてみたのだが〈おばさん、大丈夫やで〉と言って、シュウちゃんは笑顔を見せるだけ。キョウコは子供のケンカに首を突っ込むのはと思い、特に母親に伝えることはなかった。
活動が始まって一年が過ぎた頃、シュウちゃんは自ら命を絶った。いじめはエスカレートする一方で、シュウちゃんは誰にも相談をしなかった。大人たちは心を痛め、公園の片隅にお地蔵さんを建てた。キョウコはゴミ拾いを続け、毎日花を供えた。もしもあのとき、親御さんに伝えていたら。キョウコは
「シュウちゃんが、〈割れた窓ガラス〉に見えたんやって。もしすぐに修理していたら、結果は違っていたかもって、ずっと言うてた」
話を聞き終えて、全てがつながった。同時に、シンはあることを思い出した。
「シンちゃん、どしたん? 泣いてるやん」
小さな沈黙ができた。
「明日から、ボクもゴミ拾いに加わります」
ずっと忘れていた過去が、シンの心に呼び覚まされた。シュウちゃんをいじめていた上級生の一人が、シンだったのだ。誰がいじめたのかなど、積極的な調査はなかったので、シンがいじめていたということは、キョウコは知らなかった。シンの中では、シュウちゃんをいじめたことは、忘れ去られた過去の話だった。キョウコにとっては、絶対に忘れることのできない出来事だったのだ。この差は、あまりにも大きかった。その差に、シンは言葉を失った。
シンは休みになると、キョウコと一緒に公園へ行く。キョウコは何も言わず、黙々とゴミを拾う。小一時間ほど作業をして、キョウコは家に向かって歩き始めた。手には大量のゴミの入った袋がある。シンがそっと話しかけた。
「重たいやろ、持つで」
キョウコはずっと、独語を話すばかりだ。
自宅に戻ると、キョウコはキョロキョロし始めた。突然動きが止まったかと思いきや、急に走り出した。三メートルも行かないうちに立ち止まり、しゃがみ込んだ。何かをしている。しばらくすると、走って戻ってきた。キョウコの手には、花が握られていた。
ずっと、忘れずにいる。
ほんまに、凄いわ。
シンは、改めて母を見た。キョウコの瞳の中に、シュウの姿を見た気がした。
(了)