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第37回「小説でもどうぞ」選外佳作 すごいやつからの宿題 若葉廉

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小説・シナリオ
小説でもどうぞ
第37回結果発表
課 題

すごい

※応募数207編
選外佳作 

すごいやつからの宿題 
若葉廉

 休み時間に教室の自席でぼーっとしていると志垣の声が聞こえた。
「竹内、体力測定前のウォーミングアップでも足速えな」
「そりゃ陸上部だからな。試合で本気で走るところを見てみたいな」
 運動場を一緒に眺めているらしい山村の声が続いた。
「この土曜日に県の記録会があるらしいけど、見に行くか?」
 佐藤が提案したが、少し間があって荒木が難色を示した。
「見たいけど、土曜の午前中はゴロゴロしていたいし、朝早く起きるのも無理」
「それな」
 彼らは爆笑したが、それをとがめるような西野のかん高い声がした。
「あんたたち、ダメねえ。イケメンや成績優秀にはなれなくても、なんにでも真面目に取り組む姿勢だけでも見習おうとは思わないの?」
 僕は同じクラスだった一年生の頃の竹内を思い出した。成績優秀な努力家だったが、ガリ勉臭を感じさせず、足が滅法速いうえに球技も万能だった。協調性のある温厚な性格だったので、同級生からすぐに、すごいやつ、と尊敬される存在になった。
「そんなこと言ったって、竹内と俺たちじゃレベチじゃん」
 志垣が投げやりに反論したところで予鈴が鳴った。
 授業が始まっても、僕はずっと運動場の竹内の姿を追った。彼は反復横跳び、ハンドボール投げなどの記録を測定し終えると、百メートル走のスタート位置についた。周りに集まった生徒たちが見つめる中、竹内は力強く地面を蹴って走り出した。すぐにトップスピードに達すると瞬く間に並走者を引き離す。全身の筋肉を躍動させて疾走した竹内は、空に浮かぶ入道雲のように、圧倒的な迫力と存在感だった。僕は思わず、すごい、と呟いた。

 放課後、僕は図書館でひとりぼーっとしていた。何かを考えていたはずなのに、気がつくとぼーっとしている。そんなふうにひとりで静かに過ごす時間が僕は好きだった。
「ちょっといい?」
 ふいに声がした。振り向くと竹内が立っていた。僕は、疾走する姿を見た数時間前の興奮を思い出し、どきどきしながら頷いた。
「吉岡君、今、すごくいい顔してた。何を考えてたの?」
 意外な質問に戸惑ったが、僕は恥ずかしさを感じながらも正直に答えた。
「なんにも。ただ、ぼーっとしてた」
 竹内の表情が硬くなった気がした。そっけない答え方に気分を害したのかと心配していると、彼は突然頭を下げた。
「ぼーっとする方法を教えてほしいんだ」
 僕は唖然とした。周りにいた生徒たちも竹内のただならぬ様子を見てざわつき始めた。僕は目顔で竹内を外に誘うと、先に立って人気のない校舎の裏手まで無言で歩いた。裏口の短い階段に並んで座ると、待ちきれなかったように竹内が口を開いた。
「僕は制約や前提がないと、ものを考えられないみたいなんだ。与えられた課題をこなすことを繰り返してきたからだと思う。これまでの努力に裏切られた気がして、やり切れなくなるんだ」
 誰もがすごいと評する竹内にもこんな悩みがあることに僕は驚いた。どう相槌を打つか迷っていると、竹内が話を続けた。
「そんなときにふと思い出したのが、ぼーっとする一年生の吉岡君の顔だった。あんなふうにぼーっとできれば、自由にものを考えられると直観したんだ」
 僕は、ぼーっとすることで彼が問題を解決できるかわからなかったが、悩みの深刻さはひしひしと感じられた。ただ、ぼーっとすることを教えた経験も教える自信もなく、どう答えていいか迷っていた。
「早いほうがいいから、明日から教えてほしい」
 竹内はそう言うと、僕の返事も聞かずに足早に立ち去った。

 翌日の昼休み、僕が席でぼーっとしていると、さほど親しくない佐藤が、僕が竹内に頭を下げさせたと噂になっていると教えてくれた。竹内が毎日僕を待って一緒に下校するのを見た周りは、僕のことを、すごい竹内に何かを頼まれるすごいやつと言うようになった。面識のない生徒から進路を相談されたり、クラス会で意見を求められたりすることが増えた。僕は何も変わっていないのに、僕に対する周りの態度は突然大きく変わった。この違和感を引きずりながら、学期末までの三週間、僕は竹内と毎日一緒に下校し、ぼーっとする方法を説明した。竹内がぼーっとする練習をして、僕がアドバイスをしたりした。ただ、三日もすると新たに教えることがなくなったので、僕は同じ話を繰り返すしかなかった。だから二学期になれば、竹内は何も訊いてこないことを期待した。実際、その通りになった。夏休みの間に、竹内が父親の海外転勤に帯同してアメリカに行ってしまったからだ。

 新学期が始まって二週間も経つと、誰も竹内のことを口にしなくなった。僕も話しかけられることはなくなり、以前と同じ日常が戻ってきた。だが、僕だけがわかる以前との違いがあった。ぼーっとしていても、現実逃避しているような気恥ずかしさを感じなくなったのだ。それは竹内のおかげだった。
 真面目に努力して知識や技能を培う竹内を、周りの誰もがすごい存在だと思っていた。そんなすごい彼が、ぼーっとすることに価値を見出し、救いを求めた。僕はしだいに、ぼーっとすることは意義があり、僕にとっての価値にまだ気づいていないだけだと思うようになった。その価値が何かを見つけることは、竹内が僕に残した宿題のような気がした。夏休みは終わったが、竹内もいないことだしゆっくりと考えていいだろう。
 空に広がるイワシ雲を眺めながら、僕はそんなことをぼーっと考えていた。
(了)