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短いからこそ見えてくる?「短歌とジェンダー」(2/2)

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短歌
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時代とともに変わるジェンダー

前述の、AとBを男女カップルと結論づけた読解は、身体的な性別に基づくものではありません。「嫁さん」という言葉の持つ性別的な役割や、男言葉・女言葉という先入観、結婚は男女一組でするものという現状の法制度によるものです。つまり、ジェンダーに基づいた読解です。

この短歌が発表された1980年代はもちろん、2000年代でも、前述の読解は揺るがなかったかもしれません。けれども現在では、男言葉・女言葉の概念はかなり薄くなりました。親しい間柄での会話であれば、男女関係なく「なれよ」というラフな口調を使う人もいますし、決して言わない人もいるでしょう。また、「いいの」というようなソフトな口調も男女関係なく使われます。

また、交際は男女一組でするものという前提もなくなりました。同性婚の法制化は未だ実現していませんが、パートナーシップ制度を導入する自治体も増え、同性同士で家族になる人も、少なくとも私の感覚ではめずらしくありません。

そもそも1980年代〜90年代は、私自身が子どもだった頃なので記憶がありますが、プロポーズは男性から女性に対して行うのが「普通」でした。女性から男性へのプロポーズは「逆プロポーズ」なんて言われていた時代です。今の感覚だとビックリしますよね。結婚するかしないか、どちらから言いだしたって、よそ者が勝手に言いだすんじゃなければ好きにすればいいと思います。

このように、ジェンダーに対する先入観をなくした上で、どのような特性のある身体を持ち、どのように自らを把握し、どのように健康や安全、社会性を保ち、どのような服を着て、仕事をして、恋愛をするのかしないのか、個人にゆだねられるべきだ、という見直しの波がきています。いわゆる「ジェンダー・フリー」です。もちろん、ジェンダーの根幹には積みかさなった歴史や文化、差別があるわけで、ある日突然フリーになるはずはなく、いかに解体していくかという問題もあります。

短歌は短い詩形なので、言葉が内包している「共通の認識」を活用しています。共通の認識のなかには、当然ながらジェンダーも含まれます。ジェンダー感が大きく変化しつつある今、短歌の読解にも影響が出てくるでしょう。前述の「缶チューハイ」の一首を読んだ人が、男女を想定しないケースも出てくるはずです。

私も短歌を詠み、読む人間として、また、女性として生活して子どもを育てている人間として、ジェンダーは常に考えていきたい重要な事柄です。

短歌を通じて、ジェンダーのこれからを考えよう

最後に、ジェンダーに関する短歌公募をご紹介します。

3月8日は国際女性デー
リーブラ短歌大賞 ~ジェンダーを詠む~

港区立男女平等参画センター・リーブラが主催する短歌賞。女性の権利獲得や、政治・経済などへの参加を進めるため、1975年に国連が制定した国際女性デー(3月8日)にむけて、ジェンダーをテーマにした短歌を募集しています。女性らしさに関する内容だけでなく、もちろん男性らしさ、さまざまな観点からのジェンダーを詠みませんか? 選者は、NHK短歌にも出演されていた歌人のカン・ハンナさん。郵送、FAXだけでなく、主催者サイトのフォームからも応募可能。1人1首までです。

徳島から短歌とジェンダーを発信!
田丸まひる選「ジェンダー短歌」募集

徳島新聞が主催。前述のリーブラ短歌大賞と同様、国際女性デーに向けてジェンダーに関する短歌を募集しています。徳島在住の歌人、田丸まひるさんが選者を務めます。田丸さんは、「こいびとのひとりひとりを街路樹に縛りつけたら燃えるのですか(『硝子のボレット』)」「花束を引きずるほどの一日を果ててだれかの夢にとけたい(『ピース降る』、いずれも書肆侃侃房)」などの、心にすっと入って離さないような口語短歌が魅力の歌人です。全国から応募可能なので、ぜひ挑戦を!

 

短歌は短いので、自分自身のありさまや悩みを事細かに書く必要はありません(書けません)。だからこそ、より純粋に、より正確に、ジェンダーに対する違和感や悩み、解決、それらに光が当たった瞬間を描けるような気もします。性別、年齢問わず、ジェンダーの観点から短歌を読んだり、詠んだりしてみると何かが変わっていくかもしれません。