第40回「小説でもどうぞ」佳作 オフクロの告白 翔辺朝陽
第40回結果発表
課 題
演技
※応募数317編
オフクロの告白
翔辺朝陽
翔辺朝陽
「お母さまが家に入れてくれないんです。どうしましょうか?」
出社して間もなくヘルパーの佐々木さんから携帯に連絡があった。オフクロの佳江は十年前オヤジが亡くなってからずっと実家で一人暮らしをしていたが、八十歳を超えた頃から認知症が進行し、ついこの間、要介護3の認定を受けたばかりだった。
今まで何度も仕事中にオフクロから呼び出しを受け、これ以上会社に迷惑をかけきれないと思い、ヘルパーを頼むことにした。この日は初めて訪問介護に来てもらう日だった。
――さんざん説明してオフクロも了解していたはずなのに……。
俺はイラつく気持ちを抑えながら上司に事情を説明し、実家に向かった。佐々木さんには今日の訪問介護はしなくていいと伝えた。
実家に着くとオフクロは今にも食ってかかりそうな顔で居間の籐椅子に腰掛けていた。
「あれはアンタの新しい女か?」
俺の顔を見るなり、オフクロが問い詰めてきた。認知症が進行し、以前のオフクロとは思えないような言葉遣いの上に、最近は俺のことを息子ではなく夫の功と認識している。頭ごなしに否定するのは良くないとケアマネから言われていたので、それからはオフクロの前で夫を演じることにしていた。
「違うよ、ヘルパーさん。この間、説明しただろ」つい口調がきつくなる。
「嘘をつけ。毎晩あの女の元に帰っているんだろう?」
俺が毎日家に帰ってこないのを夫が浮気していると疑っているようだった。
オヤジの名誉のためにもこれは肯定できないと思い、
「佐々木さんは身の回りのお手伝いをしてくれるよう私が頼んだ人だよ。私の女なんかではない」とオヤジの口調を真似してきっぱり否定した。
「それじゃあ、なんで毎日帰ってこないんだ?」
それは、自分の家に帰って……と言いかけて、今は夫を演じているんだったと思い直し、口ごもる。この件をどう言い訳していいものか咄嗟には思いつかなかった。
「どうした? 何も言えないのか?」
「……」
下を向きながらオヤジならなんて言うかを必死に考えるが何も浮かばない。しばらく沈黙が続いた後でオフクロが猜疑心の塊のような顔で言った。
「仕返しのつもりか? あの女を家に入れて私を追い出すつもりなんだろ?」
――仕返し? なんのことだ?……。
言っている意味が分からず呆然としていると、オフクロが吐き捨てるように言い放った。
「知っていたんだろう? 達也がアンタの子じゃないってこと。だからあてつけに女作って家を出ていったんだろう?」
えっ?……俺は驚いて絶句したまま固まった。
――ちょっと待ってくれ、俺がオヤジの子じゃないって?……、冗談だろう。
オフクロの突然の告白に頭が混乱してどうしていいかわからない。認知症の妄想といってしまえばそれまでだが、もしオフクロが言っていることが本当だったとしたら、オヤジは五十年もの間、オフクロに騙されていたことを知らないまま亡くなったことになる。それとも知っていて、すべてを受け入れて黙って俺を育ててくれたのだろうか? 世間体を気にしていつも俺に厳しく当たっていたオフクロと違い、オヤジは優しかった。その優しさは真実を知らなかったからなのか、それともすべてを知っていて受け入れていたからなのか、俺には知る由はなかった。でもどちらにせよ、オヤジが俺を本当の息子として育ててくれたことに間違いはない。これだけは自信を持って言えた。
あれこれ考えているうちに、次第にオヤジがかわいそうに思えてならなくなった。俺は改めてオヤジになりきり、「そうだ、佳江の言うとおりだ。それで、達也は誰の子なんだ?」とオフクロの言葉の真偽を確かめるため語気を強めて問い詰めた。
するとオフクロは急にソワソワと体を小刻みに動かし始めたと思うと、そのうち観念した様子でため息をつき、
「やっぱり知っていたのか……。達也の父親はアンタとお見合いで結婚する前にお付き合いしていたアンタの知らない人だ。いつか言わなければと思ってたけど、どうしても言えなかった。騙したのは悪かったと思っている。でも世間様から後ろ指を指されないように、アンタの前では良き妻を演じ、誠心誠意尽くしてきた。許してくれとは言わないが、頼むからここを追い出すのだけは勘弁してくれ」と懇願してきた。今までの乱暴な口調とは打って変わって静かな口調だった。さっきまでと別人のような豹変ぶりに戸惑う。
こんな時、オヤジならなんて言うのだろうかと考えた。オフクロを許すのか、許さないのか、それともすべて認知症の妄想に違いないと相手にしないのか、いくら考えても息子の俺には分からなかった。しかし家から追い出すわけにもいかないので、思いついたまま「それじゃあ、これからは佐々木さんと仲良くしてくれるか? それが条件だ」と言った。
オフクロは黙って頷き、意外にもあっさりと受け入れた。
家路についてもずっと頭の中がモヤモヤしていた。でも仮にオフクロの告白が本当だとしても、オフクロが許せないとか本当の父親に会いたいといった気持ちは起こらなかった。その代わり、これからもオフクロの前で夫としてオヤジを演じ続けることが、オヤジの供養にもなるし、オフクロの贖罪にもなる気がした。
私は携帯を取り出すと、佐々木さんに「もう大丈夫です。母をよろしくお願いします」と連絡をした。
(了)