第40回「小説でもどうぞ」佳作 文 跋扈
第40回結果発表
課 題
演技
※応募数317編
突然のお手紙、そして、名乗らぬ非礼をお許しください。
そんな一文で、この手紙ははじまった。真っ白な飾り気もない封筒に入れられ、藤田の下駄箱に置かれていたのだ。乱雑に入れたはずの上履きが揃えられ、その上に整然と佇む封筒は、正座をして藤田を待っていたかのようであった。
恋文にしては味気なく、いたずらにしては色気のない風貌である。心当たりはないがお礼金でも包まれていそうで手に取ってみるも、宛名もなく、中身はどうやら折りたたまれた紙のようだ。封筒に紙。当たり前の組み合わせだが、そっと藤田が鞄に隠したのは、滲み着いた差出人の思念がそうさせたのかもしれない。
左右に目をやるも、こちらをうかがう人影はない。朝の昇降口は普段とかわらず校庭から運ばれる砂と交わされる挨拶で煙たく、喧騒に押し出されるように藤田は上履きを落とした。
昼休み。早々に教室をはなれた藤田は、野球部の部室の裏手に潜んでいた。家に帰ってから開封しようかとも思ったが、どうにも気になって落ち着かない。鞄に拳銃でも隠し持っているような心境であった。
ポケットに突っ込んでいた白い封筒の折り目をのばし、藤田はまじまじと眺める。
はさみを持ってくればよかった。封筒の折り返してあるふたの部分はしっかりと糊付けされていた。なかの紙を破らないように慎重に封筒の頭をちぎっていく。
やっとの思いで開封し取り出された中身は、素っ気ない外見とは異なり、上下の端に黄色いチューリップの絵が施された可愛らしい便箋であった。いかにも女性の好みそうな装飾に藤田の表情もゆるむ。
淡い期待を胸に読みはじめた手紙は、だいぶんと毛色の違う書き出しだったが、藤田はそこからつづく文章に止まらず二行三行と目を走らせた。
突然のお手紙、そして、名乗らぬ非礼をお許しください。
重々無礼は承知しておりますが、私の存在など示したところで、貴方の記憶の汚点にしかなりえないのです。
ただ、陰ながら貴方を想うことしかできない哀れな人間がいるのだとご承知ください。
藤田耕平様。私は永らく溢れる貴方への愛をもてあまし、幾度となく筆をとっては虚しさをしたため、引き出しの奥にしまい込む日々を送ってまいりました。本当に意気地のない人間です。
私のようなものは、貴方と出会えたことを神に感謝し、このまま身を焦がすほどの恋ができた美しい思い出を生涯の宝に、残りの人生を歩んでゆくのがお互いのためなのだと心得ておりました。
ですが、先日のことです。ふとしたことから貴方に起こった忌々しい出来事を知りました。そのことで、貴方がどれほど傷つき自信を失われているかも耳にしたのです。
どうして、何事にもひたむきに取り組む貴方にあんなにも酷い行いができるのでしょう。どうして、だれにでも優しさを惜しまない貴方にあんなにも酷い言葉をあびせられるのでしょう。どうして、女性に生まれながら貴方のような素晴らしい人に愛される幸運を踏みにじることができるのでしょう。
あまりの不条理に、私は自分のことのように涙をこぼし、無力という途方もない虚空に落ちてゆく心持ちでした。
そして、ひとしきり嘆きの底に浸り涙も涸れはてたころ、この一度身を投げた錯覚が私を少しばかり大胆にしたのです。
そうだ、今こそ貴方へ手紙を送ろう。
これを最後に引き出しの惨めな手紙はすべて捨ててしまおうと決めたのです。
誠心誠意書きあげたつもりですが、いたずらと思われても当然です。気色が悪いと思われても仕方がありません。
ですが、これだけは信じてください。貴方はとても魅力的な男性です。貴方の長所をあげればきりがありません。焦らなくとも、きっと貴方の良さを理解できる相応しいお相手が現れることでしょう。
なので、どうか今は先にある幸福を信じて、残りの学校生活も友人とともに楽しく過ごしていただくことが私の唯一の願いです。
見返りなどもとめてはおりません。ただ、こうして最後まで私の拙い手紙を読んでいただけただけで、そう思うだけで、私は満たされるのです。
本当に読んでいただいてありがとうございました。
末筆ながら貴方様の末永いご健康とご多幸をお祈りいたします。
最後の一文字を読み終わると同時に、校舎から響く女子の笑い声が耳に入った。
はたして、これはラブレターだったのだろうか。あまりにも古風で片苦しい告白に、どういった感情がわいているのか藤田自身もわかりかねた。
それでも、藤田は便箋を揃えてたたみ、封筒に戻した。そして、急いで弁当をかきこんだ。
「なあ、高橋。お前、誰か女に俺のことを話したか」
「なんだよ。急に」
教室では、いつものように藤田の後ろの席で高橋が読書をしていた。高橋は読みかけの太宰治を机に伏せると、藤田へ顔を向ける。
「別にたいしたことじゃないんだ。俺が悩みを相談するような相手はお前しかいないからな。お前なら知ってるかと思ったんだ」
「だから、なんだよ」
「少し気になっただけだから、心当たりがないなら忘れてくれ」
自分から話を振っておいて、藤田は身勝手に会話を切り上げ席につく。高橋も深追いすることはなく再び本を手に取った。たとえ親友であっても、あの手紙は安易に打ち明けてはならないものだと藤田は感じていたのだ。
そんな藤田の背後で、親友が湧き上がる欣幸を押し殺していたことなど知る由もない。
(了)