公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第40回「小説でもどうぞ」佳作 また息をする 十六夜博士

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第40回結果発表
課 題

演技

※応募数317編
また息をする 
十六夜博士

 十年ぶりに見る部長宅は、やはり瀟洒しょうしゃな一軒家だった。家さえ失ったこの俺。部長はこの十年、俺とは全く違う人生を歩んだことが伺える。呼び鈴に指を置くと、緊張で一瞬息が止まった。眼をつぶり、ボタンを押すと、インターフォンから聞き覚えのある声が返ってきた。
 一瞬の間があき、「……ヤマモトくんか。ちょっと待っていてくれ」と一度インターフォンが切れる。しばらくして玄関が開いた。
 真っ白になった髪の毛と深くなった皺。久しぶりの部長は十年前より随分老けていた。それでも、俺の方がもっと老けているはずだから、やっぱり勝ち組なんだろう。
「やぁ、よく来てくれた」
 もっと困惑したりするのではないかと思っていたが、部長は遠方から訪ねてきた友人に対するように、俺を笑顔で家の中に招いた。
「いやー、今日は家内もいなくてね。こんなものしか見つからなかったけど」と、袋菓子とコーヒーを、そそくさと俺の前に並べた。
「元気なのかい?」
 痩せ細り、ヨレヨレのカジュアル服を着た俺が元気なわけはない。その原因は部長が作ったのだから、その言葉にカッとなってもおかしくなかった。だが、不思議と俺は冷静だった。きっと、部長の顔が出会った頃のように自然だったからだろう。少なくとも、俺にリストラを宣告した時の顔ではなかった。
 大好きな部長だった――。会社に入った時、最初の上司が部長だった。その頃は係長。面倒見の良い部長は、以来俺を引き立ててくれ、一緒に出世して行き、結局、二十年近く一緒に働いたことになる。だが、俺が四十の時、会社が傾き、大規模なリストラが行われた。
 部長から部員それぞれが個室に呼ばれ、突然の退職勧告が言い渡された。拒絶しても、悩んでいても、最後には(考えといてくれ)と言われる。そして、何度も面談が繰り返された。強要は決してしない。違法になるからだ。だから、辞める必要はないのだが、数ヶ月、面談が続くうちに、部の士気は下がり、一人、二人と退職して行った。チームワークが良く、部長との雑談も多かった部だったが、部長と話す者もいなくなり、部長は能面のような顔で仕事をするようになった。
(結局、会社の偉いさんは、俺たちのことなんて部品としてしか見てないんだ)
(辞めさせれば辞めさせるほど偉くなる)
(人徳者だなんて、とんだ勘違いだ。演技が上手い野郎だぜ。だまされた)
 辞めていく同僚は、部下を守ろうとせず、淡々と部員をリストラしていく部長を呪った。そして、俺もその一人になり、会社を辞めた。
 その後の俺の人生は悲惨そのもの。まともな就職先はなく、二人の小学生、住宅ローンを抱えた家計は破綻。妻との諍いも増え、結局、妻と子どもたちは出ていった。
 息を殺すように生きてきた。もう生きる希望もない。一緒に冥土に行ってやる――。ブルゾンのポケットに入れたナイフを握りしめる。
「殺しに来たんだろ」
 何も応えない俺との沈黙を破り、部長が平然と言った。息が止まる。
「顔に書いてあるよ。それに、ブルゾンをいつまでも脱がないしな」と続けた。
「なんで逃げないんですか」と、息を吐いた。
 部長はフッと笑った。悲しそうな目で。
「最後だから言うよ。あの時、俺は無力感に苛まれていた。俺なりに愛していた部下たちに退職勧告しか出来ないことに。会社に文句も言ったさ。辞めてやるともね。でも、俺が辞めたら、別のやつが君らを辞めさせるだけだ。だとしたら、引導を渡すのは俺の責任だと思ったんだ。そして、一生憎んでもらうのも俺の責任……」
「憎んでもらう……」
「そうだよ。それぐらいしか君らに報いるものはない。だからいつかこんな日が来るんじゃないかと思っていたよ」
 部長は俺を恐れるどころか、清々しい空を見るような顔をしていた。
「でも、待ってくれ。俺を殺しても、君が犯罪者になるだけだ。君のポケットにあるものを貸してくれ。俺が自分でやるよ」
 部長は俺のポケットに手を伸ばした。部長の目をじっと見る。演技ではない。本気だ。
 俺は立ち上がり、玄関に向かって走った。俺はバカだ――。みんな役割を演じて生きている。悪役を受け入れてさえ。俺の人生は誰のせいでもない。演技の下手な俺のせいだ。
「待ちなさい!」
 玄関を飛び出た俺の後ろから部長の声がする。俺は腕で目を拭いながら走った。「また会いに来なさい!」と、遠くから声がまだ聞こえる。そして、部長の声が聞こえなくなる頃、足を止めた。ポケットからナイフを取り出し、横を流れる小川に放り投げた。長年の不摂生で上がった息を、ハアハアと音を立ててする。
 ああっ、俺はまだ、息をしている――。
(了)