第40回「小説でもどうぞ」選外佳作 本番いくよ、3、2、1 北島雅弘
第40回結果発表
課 題
演技
※応募数317編
選外佳作
本番いくよ、3、2、1 北島雅弘
本番いくよ、3、2、1 北島雅弘
感じのいいレストランだった。全面ガラス張りの窓の外には竹林が広がり、室内には趣味のいい調度品が置いてある。照明はやや薄暗く、壁の間接照明が柔らかに室全体を包んでいる。外にはしばらく前から静かに雪が降り始め、それが笹の葉や石灯籠を白く染めている。目の前には綾乃がいて真新しい緑色のセーターに膝の見える白いスカートを穿いている。
「誕生日おめでとう」と綾乃がいった。
「ありがとう」と僕は答えた。
プレゼントはストップウォッチ機能のついたアナログ式の腕時計だった。文字盤が青く、十二時、三時、六時、九時の場所には白く輝く石が埋め込まれている。見るからに高級そうな時計だ。僕は驚いて「これ、高かったんじゃない?」と訊いた。
ふふ、と彼女は笑った。
「すっごい高かったよ」
「どうしてこんなの買ったの」
「大切な浩介の誕生日だもの」
そういって彼女はぷっと吹き出した。「ほんとのことをいうとね、それ、中華製」
「中華製?」
「そう、中国で作られたものなの」
「なんだ」と僕はいった。
中国製なら安いものだと千円台で買える。見た目だけは高級腕時計と変わらない。
「でも嬉しいよ。前のが壊れてずっと腕時計買おうかと思っていたから」
「すぐ壊れないといいんだけど」
「そうだね。でもありがとう」
僕は時計を嵌めて腕を顔の前に持ってくる。なかなかいい感じだ。
「明日から仕事にはこれをしていくよ」
オードブル、肉料理、魚料理、なんかその他いろいろ出てきてそれらを一品ずつ片付けていく。ここへ来た時の最初の緊張はいくらかほぐれている。窓の外では雪が少しずつ積もり始めている。
「何年かな?」
僕は窓から視線を戻して彼女に訊いた。
「何年って?」
「僕たちが付き合い始めて」
「わたしが二十二の時からだから五年だね」
「そうか。もう五年か。今更だけど時の過ぎるのは早いね」
「めちゃくちゃ早い」
「そろそろいろんなことを考えなきゃ行けない時期かな」
「いろんなことって?」
彼女はわかっているのにそう訊く。
「もちろん二人のことだよ」
「わたしの気持ちは決まってるんだよ。あとは浩介しだい」
僕には迷いがある。それは不安といってもいい。僕はミュージシャンを目指してずっとアルバイトの身だ。インディーズでCDも出したがほとんど売れなかった。こんな自分が家庭を持ってやってゆけるのかどうか。そこでまた僕はこの話題を曖昧なままやり過ごした。
アパートに帰ったのは十時近かった。雪はかなり積もっていたが、幸い電車は動いていた。アルコールに弱い僕はもう眠たくて仕方がない。「ちょっと寝るよ。先に風呂入ってて」といってラブソファーの上に腰を下ろした。
そこで横になって目をつぶった途端に「はい、カット」という声がした。身体を起こすとひげの濃い男がこちらを向いて中腰で立っている。男の隣にはカメラらしいものがあり、まわりに何人かの男女がそれを取り巻いている。
僕は訳がわからず、ソファーに座ったまま呆然としていた。
「じゃあ、次行こうか。シーン28」
「3、2、1」と若い男がいい、ひげの男が大声で「はい」といった。と同時に白いワンピース姿の綾乃がエコバッグを持って部屋に入ってきた。
「ちょっと遅くなっちゃった。夕ご飯、すぐ作るからね」
僕は部屋の真ん中に突っ立ったまま何もいえない。
「ああ、だめだめ。吉野さん、どうしたの。セリフ忘れた? おい、何回目だ」
隣の男が「8回目です」と答えた。
「ああ、あかん。今日はこれまで。続きは明日だ。吉野さん、明日は頼みますよ」
そういって彼らは若い男一人を残してゾロゾロと部屋の外へ出て行ってしまった。
「どうなってるの?」
僕は綾乃に訊いた。
「何がですか?」
「何がって」
「これ」
「これって」
「ドッキリなのか?」
首を傾げた綾乃は僕の言葉を無視して頭を下げた。
「じゃあ、また明日。失礼します」
僕は彼女の袖をつかんだ。
「説明して。何がどうなっているのか」
「何がって、お芝居のことですか?」
「お芝居? じゃあ、僕たちの関係は?」
「シナリオでは破局になって終わるんだけど、どうも山下さんがそれでは暗いからハッピーエンドにしてくれって工藤さんにいっているみたいですよ」
何をいっているのかさっぱりわからない。
「あの、もういいですか。今日は早く終わったんで家に帰って洗濯したいんですよ」
綾乃は背を向けて行ってしまった。僕は床に散らばったコードを束ねている男に尋ねた。
「あの、何がどうなっているのか教えて欲しいんですが」
「ああ、吉野さん、今日はどうしたんですか。お身体の調子でも悪かったのですか」
僕の苗字は吉野ではない。木内だ。しかしそんなことはどうでもいい。
「皆さんここで何をやっているんですか」
男は不審な顔をした。それからちょっとして笑顔になった。
「演技の練習ですか」
「演技? どういうこと?」
僕は言葉に詰まってしばらく自分の置かれた状況を考えていた。夢か? いや、夢なんかじゃない。僕は首を横に振った。顔を上げると男の姿ももうなかった。部屋はいつにも増して深閑としている。僕はドアを開けて外へ出た。そこにはギラギラと輝く真夏の太陽があった。眩しい。日の光が肌を焼く。高層ビルが建ち並んでいる。見知らぬ風景だった。吉野? 演技? シナリオ? それでは一体僕は何者なのか。そう思った時、後ろでまた「カット」という声がした。
(了)