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第40回「小説でもどうぞ」選外佳作 どっちなんだ! 青の祐美

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第40回結果発表
課 題

演技

※応募数317編
選外佳作 

どっちなんだ! 
青の祐美

 次はこの家にするか。
 差し込む夕日に目を細めながら、スーツ姿の若い男は思った。この家、とは今まさにタクシーから降りた老人が玄関の鍵を開けようとしている、木造二階建て家屋のことだ。旅行にでも出かけていたのか、老人の傍らには中くらいのキャリーバッグが置いてある。
 老人の薄い背中に近づき、声をかける。名刺を渡しながら、自分は通信業者の社員であること、近々行われる工事の説明のため、対象区域であるこの辺り一帯の住宅を一軒ずつ回っているところだと言った。
「それはご苦労さまです」
 じっと名刺を眺めていた老人は愛想よく微笑む。
「でもあいにく、今この家には僕しかいなくて、説明は息子が戻るまで待っててもらえたらありがたいんだけど」
「ご安心ください。説明といいましてもごく簡単な内容ばかりですので」
「息子を待つまでもない? でもそれは、きみがまだ若いからそんなことが言えるんだ。僕みたいな老人になってごらんよ。簡単だったことも、簡単ではなくなるんだから」
 参ったな。悲し気に肩を落とす老人に、男は眉間の皺を微かに寄せた。
「きみから聞いた話を、息子にきちんと話せる自信もないし、だからねえ、頼むよ」
「息子さん、いつお戻りになりますか」
 待てるかどうかは、老人の返答次第だ。
「もうすぐだよ。もうすぐ刑務所から戻って来る」

「え?」
 男の頬がひくひくと引きつる。
「刑務官なんだ」
「……ああ、それは大変なお仕事ですね」
「そうねえ。日夜、暴力的で気の荒い連中を相手にするわけだから舐められないよう、日々体を鍛えなくちゃだし、目つきなんか凶悪犯なみに怖くなっちゃって」
「なるほど」
「この間もね、受刑者同士の喧嘩を息子が力づくで押さえつけたそうなんだよ」
「そうですか」
「その後は彼らの話に根気よく耳を傾けてあげるらしくて。だからなんだな。一時の気の迷いで人生棒に振ったって、息子の前で泣き出す受刑者もいるんだって」
 へえ、と男は適当に相槌を打ちながら辺りをきょろきょろと見渡す。
「息子さん、帰りませんね」
 視界に映るのは学校帰りの子どもたちや、犬の散歩をするおばさんばかり。
「もうすぐだよ、もうすぐだから」
 老人はにこやかに答えるも、男は諦める決意をした。いつまでもこの家ばかりに構ってはいられない。日が落ちるまでまだ時間はある。他を当たろう。
「申しわけありませんが、時間がありませんのでこれで失礼します」
 放っておいたら、いつまででも喋っていそうな老人に、男は軽く頭を下げた。

 上手くいった。
 遠ざかる男の背中を、息を潜めるように見つめていた老人は胸を撫でおろす。助かった、これで一安心だが、ほっとしたとたん男への腹立たしさでいっぱになる。よりにもよって我が家に目をつけるとは。ただでさえ遠方の親戚の葬儀でくたくただというのに。もやもやしながら鍵を開けて中に入る。夕日に染まった玄関にキャリーバッグを置いて、リビングに向かう。
 真っ先に目に飛び込んだのは、ソファでだらしなく寝息をたてる息子と、ローテーブルの上で転がるビールの空き缶が数本。老人は苦虫を噛み潰す。
 息子は刑務官などではない。職場こそ刑務所だが仕事は事務員、それも週三日のアルバイト。四十にもなって、結婚もせず定職にも就けない息子を、いつも冷めた目で見ていた老人だったが、今回ばかりは役に立ったと思うことにした。
 おかげで強盗を追い払えた。さっきのあの男は、我が家を襲うための下見に現れた強盗だったに違いない。テレビで同じ手口の事件を何度も見ていたから間違いない。だから、工事などと下手な芝居で近づいた男に、老人も芝居で対抗した。この家に屈強な刑務官がいるとわかれば、必ず恐れをなす。二度とこの家を襲うなんて馬鹿な気は起こさなくなる。
 効果はてきめん。息子の話をしたとたん、男は落ち着きを失い、不安げに辺りを見渡し始めたではないか。
 刑務所での話は以前に見た、海外ドラマを参考にした。息子からその手の話は聞いたことがなく、おそらく外部に漏らしてはいけないことになっているのだろう。
 ほとんど出鱈目だが、息子が刑務所で働いていなければ思いつかなかったアイデアだ。
 老人は自分の機転に満足した。だからと言ってこのままにしておくつもりはなかった。強盗が現れた事実を警察に通報しなければ。
 老人が固定電話に体の向きを変えようとしたとき。空き缶に交じって横たわる、二つ折りの黒いファインダーに気付く。手を伸ばして開いてみる。
『防犯カメラの設置工事について』
 自治会からの回覧板だった。老人は唖然とした。留守の間に、そんなことになっていたとは。ならば、あの男は本物?
 いや、と老人は首を振った。そうとは限らない。工事の話を聞きつけ、本物と偽って現れたのかも。
 いや、果たしてそうだろうかと今度は首を捻る。あの丁寧な物腰は、昨日や今日で身につくものではない。
 いや、前職がサラリーマンだったなら、それくらい朝飯前だ。
 いやでも……ああわからん。いったい、どっちなんだ。
 老人はたまらず、リビングを抜けて外に飛び出す。答えは近隣住民が知っている。
(了)